著者
早川 由紀夫 ハヤカワ ユキオ Hayakawa Yukio
出版者
群馬大学教育学部
雑誌
群馬大学教育学部紀要. 自然科学編 = Science reports of the Faculty of Education, Gunma University (ISSN:00175668)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.35-50, 2014

2011年3月11日に起こった大きな地震と津波のあとしばらくして、大量の放射性物質が福島第一原発から大気中に出た。私はその汚染分布を迅速に把握して地図に表現し、インターネットで即座に公表した。放射性物質は原発から連続的定常的に放出されたのではなかった。3月12日、3月15日、それから3月20-21日に大きな放出イベントがあった。原子炉格納容器の圧力が低下あるいは上昇したときに対応する。順に1号機、2号機、3号機からの放出だった。大気中に出たセシウムは1京1000兆ベクレル(11PBq)。1986年のチェルノブイリ原発事故で出たセシウムの1/12である。しかし人口密度を考慮すると、被害は両者ほぼ同じかフクシマが3倍深刻である。芝生や森の林床だけでなく、アスファルトの上でも2011年3月に降り積もったセシウムはほとんど移動していない。そういった場所の放射線量率の自然減衰はセシウム134と137の半減期でよく説明できる。この事故で放出されたセシウムに起因するがん死の増加は5300人と見積もられる。今後50年間の福島中通りにおける放射能リスクは交通事故リスクの1/2である。