著者
HIGA MARCELO G.
出版者
フェリス女学院大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
2000

アルゼンチンに定住した日本人移民の間、「ニッケイ・日系」的なアイデンティティの登場は比較的遅く、80年代末から90年代初頭にかけて起こった日本への「出稼ぎ」移住の体験をきっかけに普及したのである。なお、ニッケイという範疇は彼らのアイデンティティ志向の中で重要な指標となって来たが、これを名乗る場所や文脈などによって意義が異なり、必ずしも統一した意味世界を指していると言えない。一方では、アルゼンチン出身者にとって、日本で日系人を名乗ることは合法的に労働する以外の意味が薄く、主観的な選択としてあまり採用されていない。日本人及び他の南米出身者に対しても従来の国籍の方が自他認識の方法としてむしろ有効である。さらに、南米出身者同士は確かに職場を始め様々な生活の場を共有するが、ニッケイとしての特別な連帯感は今のところそれほど強く表れていない。彼らはそれぞれの国籍に沿って結合する傾向があり、日系人・ニッケイよりも互いに外国人として接するのである。他方では、アルゼンチンにおいてニッケイたるものはアイデンティティを語る上で近年新たな意味をもつようになったことも否定できない。この現象の発生状況について前年度の報告で触れたが、今回の調査では「沖縄」に由来する要素について詳しく調べることができた。アルゼンチンの移民集団の構成からして、沖縄の存在は不思議ではないはずであるが、従来移民の子孫の間アルゼンチンに対して日本は対立の対象として認識され、沖縄は積極的な位置を占めていなかった。しかし、ニッケイの登場と共に、オキナワというものも再認識され、アルゼンチンで理解される「ハポネス」の重要な部分を示すようになった。アルゼンチン出身の日本人移民子孫のアイデンティティ志向には、様々な経緯を辿って来た要素が複雑に組み合わせられており、ニッケイとされるものもその中の一つの表現である。人々は定住民だと前提とする場合、国籍または固有文化は指標として採用しやすいが、移民は常の状態となる時その有効性は低下する、今後文化やアイデンティティの動熊を理解する上でこのようなケースを追求し続ける必要がある。