著者
紙 博文 カミ ヒロフミ Hirofumi Kami
雑誌
経営情報研究 : 摂南大学経営情報学部論集
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.27-44, 2006-07

本稿の目的は、現在価値による測定属性が歴史的な展開過程の中でどのように認識され、展開してきたかを考察することである。そのためには、まず、現在価値測定が発展してきた背景に会計の目的観及び利益計算システムの転換があったことを述べ、そこでの現在価値測定の3つの特質((1)資産・負債の測定値として理想的な測定値、(2)公正価値の代替値、(3)事業価値の算出)が、企業評価を主体とする事業価値評価の算出に関する情報提供にあったことの検証を行っている。本稿では、現在価値測定の発展を3つの時代((1)複利計算から生命保険数理活用の時代、(2)投資意思決定への適用の時代、(3)リスクの把握と事業価値算出の時代)に区分しその考察を行なっているが、こうした考察から、これまでの記録、純利益計算中心の会計から企業の事業価値評価の会計へと、会計の進展を知ることができる。とりわけ、1960 年代以降、意思決定有用性アプローチと資産負債アプローチという会計の目的観、利益計算システムの変更が、現在価値測定の適用拡大に拍車をかけ、リスクを考慮した利子率の適用や資本コストを利子率に適用することで、予想されたキャッシュ・フローからリスクを除外し現在の価値(= 時価)が求められ、また、資本コストの適用により企業価値の主体となる事業価値が算出されるようになってきた。このように現在価値測定の歴史的経緯を辿ることでそこに会計の果たす役割の変化を知ることができる。
著者
紙 博文 カミ ヒロフミ Hirofumi Kami
雑誌
経営情報研究 : 摂南大学経営情報学部論集
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.61-77, 2004-02

本稿の目的は、消費税法にかかる益税(現象)を吟味し、益税(現象)を通して消費税法の実質、実態を明らかにすることである。 ""益税""とは何か。本稿で述べたように納税義務者である事業者、とりわけ免税業者等が、我々から預かった消費税額を自分の懐へ入れているという意味での益税は存在しない。むしろ、自分の利益を割って納付する免税業者等の""損税""と大企業サイドに発生する""隠れた益税""(過剰転嫁含む)こそが指摘されなければならない。だが、我々消費者の中小零細事業者に対する""益税感""は根強い。それは、こうした感覚を抱く、消費税法のいくつかの条文、それを助長する環境、および特例措置の存在があるからである。 消費税の役割は、あくまでも所得に関する補完としての役割を担うべきである。しかしながら、わが国では、所得、財産と同様に基幹税としての役割を持たされつつある。それは、税率を引き上げにより容易に税収(1%=約2.5兆円の税収になる)が確保される。すなわち、消費税が微税し易く、依存され易い性格であるためである。そして、こうした消費税率の上昇は、結局は、その人の""所得""に帰着し、消費者にいっそうの不公平感を与え、それが助長されていくのである。
著者
紙 博文 カミ ヒロフミ Hirofumi Kami
雑誌
経営情報研究 : 摂南大学経営情報学部論集
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.29-46, 2007-07

本稿の目的は、株式会社の資本金(額)が""零""であることの考察することである。手順としては、まず、最低資本金制度廃止の論理を法的に、そして会計的に吟味し、資本金の意義及び純資産(資本)の部の役割を検討したうえで、制度廃止によるいくつかの疑義を問い、会社法と会計における資本(金)のあり方を検討することとする。ここで制度廃止による法的な論理をみると、資本金は、法的には配当規制上の概念として-それは配当における上限金額(単なる数額)を示すのみであるが-存在するだけで、債権者保護としてそれほど役立つものでもない、とされていることであり、このことから資本金の額は自由に設定でき、金額は""零""でもかまわないという論理が導かれている。こうした論理に対して、会計サイドからの意見はあまり聞くことはできない。それは、制度会計の名のもとで会計の独自性を発信できないからであろうか。会計は、適正な期間損益計算を行いその結果を公表することを目的としており、純資産(資本)の部では、資本の維持拘束性、資本と利益の区分を重視する。また、資本金に関してもその大きさは会社の事業規模をはかるモノサシとして、また、株主からの出資額として財産の存在を示すものとしても意義あるものである。しかしながら、立法サイドが、資本金を""零""にすることを可能とし、債権者保護機能も放棄したような状況では、いくら会計基準は会計サイドのものに従う、といっても会計にもっとも肝心な資本取引、損益取引等を含む会計一般理論を構築することは困難なことなのかもしれない。