著者
芹川 博通 Hiromichi SERIKAWA
雑誌
淑徳短期大学研究紀要 = Bulletin of Junior College of Shukutoku (ISSN:02886758)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.107-144, 2004-02-25

国家 (政治) と宗教 (団体) のかかわりは、人間の歴史や文明と共に古い。文明の草創期においては、宗教的価値規範が統治者の意志決定を支配し、聖俗の社会組織の分化が明確でなかったので、国家と宗教との関係が問題となることはなかった。しかし、普遍的な理念や価値をもつ世界宗教が成立する一方で、固有の主権を主張し、国境を設け、独自の統治組織をもつ国家が確立していくにつれ、宗教と国家との関係が拮抗し、これらの間に、種々の形態を生みだした。国家と宗教との関係には、大別して、国家と宗教が合一している政教一致型と、その間が分離している政教分離型がある。さらに前者のなかにも、宗教が国家を支配するときは、神権政治や祭政一致制度を生み、国家が宗教を支配する状況では、国家は宗教を政治的に利用し、国教制や宗教の公認制をつくった。後者の政教分離型は、おおくが近代思想のもとに発生したもので、国家と宗教は法律や制度のうえで分離される。この場合にも、さまざまなものがある。ここでは、国家 (政治) 権力と仏教とのかかわりの一例を、中国晋代の慧遠 (三三四~四一六) と沙門不敬王者の問題を中心に考察するものである。