- 著者
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藤田 佳子
Yoshiko FUJITA
- 雑誌
- 淑徳短期大学研究紀要 = Bulletin of Junior College of Shukutoku (ISSN:02886758)
- 巻号頁・発行日
- vol.52, pp.181-196, 2013-02-25
パネルシアターは1973年に古宇田亮順が創始して40年が経ち、現場では多方面で活用されてきているが、研究の場ではまだまだ絵本や紙芝居と比べて論文や著作が少ない。ここでは、パネルシアターが誕生するまでを古宇田亮順の半生を振り返ることによりまとめた。第二次世界大戦の少し前に上野の寺で生まれ、物がない時代に育った古宇田は幼少期、工夫をして遊ぶことや紙芝居の面白さに触れる。大正大学に入学してからは、児童研究部に所属し、子どもたちの幸福のために熱心な部員とともに活動した子ども会活動の中で、人形劇等の上演を通して喜んでもらえること、その喜びを共有することを学んだ。そのためにはたゆまぬ努力と研究があった。現状だけでは満足しない古宇田は、失敗を重ねながら遂にパネルシアターを生み出した。そこには、作画の松田治仁との出会いも大きく関わっている。松田の絵を活かすために、そしてお話の構成を膨らますためにと探した結果、1972年パネルシアターに適した素材、不織布(三菱製紙MBSテック130番、180番)を見つける。その不織布をのちに「Pペーパー」と名付ける。その後、30以上の作品を製作した後、1973年に「パネルシアター」と命名して、発表する。このパネルシアターの発見には、古宇田の「人に喜んでもらいたい」「必要なものは必ず見つかるという信念」をもった生き方・考え方があったからこそ生まれたのだと確認した。