著者
Housam Darwisheh
出版者
独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
中東レビュー (ISSN:21884595)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.65-79, 2020 (Released:2020-03-27)
参考文献数
45

現代史の殆どの期間、共和国体制のエジプトと南に隣接するスーダンは緊張関係にあった。それはエジプトとスーダンの支配者の政治志向の違いや、中東・北アフリカ(MENA)地域内での対立するブロックとの連携に起因していた。物質的・観念的および外交的な資源と影響力により、そして自らの政治的目標の追求のために、エジプトはスーダンや他のナイル川流域国家の行動を抑制し左右することができていた。それはとりわけエジプトの国家的存在と繁栄が依存するナイル川の水資源の利用に関わる問題について顕著にみられた。しかしながら中東およびアフリカの角における地域的・国内的な変動、とりわけ2011年以降の同地域の地政的な変化により、エジプトのスーダンに対する影響力は顕著に後退し、水資源を巡る新たな政治力学はスーダンをナイル河畔における地政的アクターとして登場させるに至っている。スーダンはかつてナイル川の水問題ではエジプトの忠実なパートナーであったが、現在では上流の国家との連携関係やナイル川の水資源の自国での利用についてより柔軟な立場を主張するようになっている。本論は以上のような文脈でエジプト・スーダン関係を歴史的に回顧し、また2011年以降の中東およびアフリカの角地域の地政的な変動を概観しようとするものである。エジプトのスーダンおよび他のナイル川流域国家に対する影響力の低下の要因は、(1)エジプト国内の不安定化および中東地域全体への影響力の低下、(2)同国の体制維持と国内安定化のために地域の主要国にさらに依存するようになっている事、そして(3)同国のナイル川流域における覇権の喪失に拠ることを議論する。
著者
Housam Darwisheh
出版者
独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
中東レビュー (ISSN:21884595)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.56-74, 2019 (Released:2019-05-30)
参考文献数
67

本論稿が主に論じるのはエジプトで30年近く続いたムバーラク政権の転覆後の権威主義体制への移行過程、とりわけ2013年6月のモハンマド・モルスィ政権崩壊とその後のアブデル・ファッターフ・スィースィー大統領の許での権力集中である。スィースィー政権が先行するムバーラク体制・サダト体制・ナセル体制などと著しく性格を異にしている点については多くの先行研究が論じているが、同国の政治システムの移行過程についてはこれまで充分な議論がなされてこなかった。 スィースィー体制は先行する体制と異なり、その政治支配の基盤を政党に置いていないことが特徴として挙げられる。スィースィー大統領は支配の根拠を政党政治ではなく、軍や警察、司法などの強力な国家機関を背景にした個人支配の原理に置いている。本論稿ではこのような支配体制のあり方を可能にしているモルシー政権崩壊後のエジプト内外の政治環境、権力集中を可能にしている構造的背景、政治システムの移行過程について新たな視角から論じようとするものである。(文責・鈴木均)
著者
Housam Darwisheh
出版者
独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
中東レビュー (ISSN:21884595)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.54-60, 2017 (Released:2019-11-12)

今日の中東諸国において、エジプト、シリア、イラク、リビア、イエメン、アフガニスタン等、統治体制の困難を抱えている国々は地域的な暴力主義の温床となり、ニューヨーク、ロンドン、マドリッド、ジャカルタ、ニューデリー、パリ、ブリュッセルなどを標的にした国際テロリズムの震源となってきた。これらの背景には社会的な極度の不平等・貧困の問題があるのであり、単に安全保障上の観点のみの対応策では体制の権威主義化を助長することで社会の矛盾を拡大させ、過激主義の拡大に資するだけである。アラブ世界の諸国家はかつては過激な「アラブ民族主義」の主張で国民の支持を得てきたが、それらの一部は莫大な石油収入に頼ることで国民との正常な関係の構築に失敗し、少数の支配者層による権力の独占に終始してきた。その結果として現在中東地域の若年層は、世界でも最も自らの社会経済から疎外され、抑圧された状況に置かれている。エジプト・イラクなどの各国では伝統的な農業生産の基盤が長期的に破壊され、食料の多くを輸入に頼るに至っている。域内の各国はこうした現状に対処するどころか全くの機能不全に陥っているのである。さらに2010年末以降の短い「アラブの春」によって覚醒した若者の一部は、その後の政治状況の暗転のなかで「イスラーム国」などに流入し、アフマド・ダッラーウィーのように悲劇的な最期を迎えた例もある。これまで米国の対中東政策は成功してきたとは言い難く、むしろ新たな紛争の火種となる社会の分裂と対立を助長することに終始してきた。その最終的な帰結ともいえる「イスラーム国」の問題を乗り越えるためには、軍事的な対抗手段に訴えるのではなく、経済成長と分配の平等、国民に開かれた民主的統治システムなど、まさに「アラブの春」で希求された理想の実現を図っていく以外にはあり得ない。(文責・鈴木 均)
著者
Housam Darwisheh
出版者
独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
中東レビュー (ISSN:21884595)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.72-93, 2018 (Released:2019-03-15)
参考文献数
40
被引用文献数
1

エジプト政治を扱った本論稿で主に論じるのはホスニ・ムバーラク元大統領の罷免以降の政治過程における司法界の存在である。エジプト司法界はムバーラク体制崩壊後の選挙における不正への介入を通じてエジプト政治の主役に躍り出た。エジプト司法界はこの間民主化を希求する国内の様々な政治主体やその政治過程に対して絶大な影響を与え続け、他方でムスリム同胞団の統治期には非イスラーム主義的な世俗主義勢力側もまた同胞団の権力行使に対抗するべく司法的な手段に訴えることが度々であった。だがこうした司法の意図的な介入がいかに2011年以降のエジプトの移行過程を大きく阻害し、やがて軍部が国内の全権力を掌握するに至ったかを分析し明らかにするのが本稿の目的である。本稿の構成としては、(1)2011年以前のムバーラク体制下におけるエジプト司法界の独立性とそれが体制末期に次第に体制側に取り込まれていく過程を検証し、(2)ムバーラク体制後から同胞団系のムルシー大統領の罷免に至るまでの間に司法界がいかにエジプトの政治プロセスに関与したかを具体的に跡付け、検討を加える。以上の議論を通じてエジプト司法界が政治的移行過程における各政治勢力間の合意形成をいかに阻害し、選挙の結果に基づいた実効性ある議会制度と政治組織の定着を妨げ、その結果としてエジプトにおける権威主義的支配の復活を助けることになったかが明らかとなるだろう。
著者
Housam Darwisheh
出版者
独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
中東レビュー (ISSN:21884595)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.43-64, 2015 (Released:2019-12-07)

エジプトではムバーラク大統領の国内政策と域内におけるエジプトの影響力低迷が引き金となって、2011年1月25日に抗議運動起こった。抗議運動はエジプト全土に拡がり、18日間の民衆的な反体制運動によってムバーラクは軍に見捨てられ、失脚に追い込まれた。この民衆蜂起によって警察は街頭から撤退し、シナイ半島の警察署は焼き放たれ、ムバーラクが率いていた国民民主党の建物や国内治安機関の本部は襲撃され、国家機関が数ヶ月にもわたって機能不全となり、ムバーラク体制の崩壊は国内的な混乱を招くこととなった。振り返れば、エジプトでの政治的大変動は社会的な革命へと展開することはできなかった。その理由は独裁体制からの移行を先導できる組織化された反体制勢力が存在しなかったためである。民衆による抗議運動は一時的に体制を転覆できても旧体制のエリートを分裂させることはできず、軍の影響下にある体制の復活を防ぐこともできなかった。2011年以降のエジプトは現在まで混乱状態に陥ったままであるが、1カ月に及ぶエジプト軍最高評議会(SCAF)の暫定統治、エジプト史上初の自由な大統領選挙によって選出された文民大統領のムルスィーによる一年余りの統治、そして2013年7月の軍事クーデターによって権力の座に就いたスィースィーの統治といった過程で、民衆蜂起がエジプトの外交関係に及ぼした影響はごく僅かであった。本稿は、現在のエジプトの外交政策が2011年の革命にほとんど影響を受けていないのはなぜか、またエジプトの統治者たちが政権の正統性、体制の強化および政治的な安定性を確保し、国内的な課題に対処するための戦略をいかに策定しているのかを説明することを試みる。本稿での主張は、ムバーラク以降のエジプトが体制の強化と保全のために外交政策を進めており、国内的な混乱によって地域内アクターへの依存度が高まっていることである。