- 著者
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Housam Darwisheh
- 出版者
- 独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
- 雑誌
- 中東レビュー (ISSN:21884595)
- 巻号頁・発行日
- vol.2, pp.43-64, 2015 (Released:2019-12-07)
エジプトではムバーラク大統領の国内政策と域内におけるエジプトの影響力低迷が引き金となって、2011年1月25日に抗議運動起こった。抗議運動はエジプト全土に拡がり、18日間の民衆的な反体制運動によってムバーラクは軍に見捨てられ、失脚に追い込まれた。この民衆蜂起によって警察は街頭から撤退し、シナイ半島の警察署は焼き放たれ、ムバーラクが率いていた国民民主党の建物や国内治安機関の本部は襲撃され、国家機関が数ヶ月にもわたって機能不全となり、ムバーラク体制の崩壊は国内的な混乱を招くこととなった。振り返れば、エジプトでの政治的大変動は社会的な革命へと展開することはできなかった。その理由は独裁体制からの移行を先導できる組織化された反体制勢力が存在しなかったためである。民衆による抗議運動は一時的に体制を転覆できても旧体制のエリートを分裂させることはできず、軍の影響下にある体制の復活を防ぐこともできなかった。2011年以降のエジプトは現在まで混乱状態に陥ったままであるが、1カ月に及ぶエジプト軍最高評議会(SCAF)の暫定統治、エジプト史上初の自由な大統領選挙によって選出された文民大統領のムルスィーによる一年余りの統治、そして2013年7月の軍事クーデターによって権力の座に就いたスィースィーの統治といった過程で、民衆蜂起がエジプトの外交関係に及ぼした影響はごく僅かであった。本稿は、現在のエジプトの外交政策が2011年の革命にほとんど影響を受けていないのはなぜか、またエジプトの統治者たちが政権の正統性、体制の強化および政治的な安定性を確保し、国内的な課題に対処するための戦略をいかに策定しているのかを説明することを試みる。本稿での主張は、ムバーラク以降のエジプトが体制の強化と保全のために外交政策を進めており、国内的な混乱によって地域内アクターへの依存度が高まっていることである。