著者
鯨井 正子 Masako Kujirai 国立音楽大学音楽研究科
雑誌
音楽研究 : 大学院研究年報 (ISSN:02894807)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.77-92, 2013-03-29

本論は、昭和戦前期の家庭において、当時の子どもにとってレコードがどのような存在となり何をもたらしたのかを考察する上で、西洋芸術音楽のレコードと童謡のレコードに着目し、レコード企業のひとつである日本ビクター発行の月刊誌『ビクター』を資料に、家庭において両レコードがどのような接点を持って同調するに至り、さらにどのように展開されるのか解き明かすことを目的とした。 西洋芸術音楽と童謡の二つのレコードの接点は、比較的通俗的で聴きやすい曲目を収録した『ビクター洋楽愛好家協会』と『ビクター家庭音楽名盤集』の登場により、西洋芸術音楽が家庭に歩み寄り、西洋芸術音楽のレコードを聴くことが家庭を中心に実践され、聴き手が拡大していく中に児童をも巻き込んでいったことから推測できると考えられた。洋楽愛好家協会と家庭音楽名盤集のレコードは、聴衆層の増大と拡大を促し、愛好者を作ったが、このことにより、児童向けレコードの、特にレコード童謡に対し、それが現在伝えられているような大正期の創作童謡とは芸術的に異なる質を持つレコードであっても、その優劣を問わない親世代が増えたことを予想することができ、大衆的とされるレコード童謡は自然と家庭に入ったと推察された。ゆえに家庭において、西洋芸術音楽のレコードと童謡のレコードが共存し同調することにつながると考えられた。 接点が見出されて以降の西洋芸術音楽のレコードと童謡のレコードは、まさに時局を背景に展開されていったと言え、家庭、レコード企業、レコードそのものといった様々な立場が、時局下において、その解釈や役割を変えていったことがわかった。まず、家庭の意味や役割は、時局を背景に情操教育や情操教化の場に転じたことが明らかとなった。その家庭を販売の対象とする蓄音機・レコード会社は、時局を支え、家庭娯楽と音楽報国のために積極的に責任を負うことを明言するようになっていった。媒体であるレコードは、情操や慰楽、及び報国のため、そして国民精神作興のために存在し提供されるものとして示された。中でも、聴衆層を拡げた洋楽は日本の音楽であると捉え直され、大正期の創作童謡を含んだ童謡のレコードとともに、時局の緊張感ゆえに求められる情操やゆとりの役割を担い、国民や第二の国民と呼ばれた子どもたちに向けて与えられていったと考えられた。 最後に、時局のもと、企業が娯楽と報国を並列の責務に据えてレコードを制作し販売していく中で、西洋芸術音楽と童謡のレコードもその役割や解釈を変えていったが、レコードを聴いていた聴衆は、時局に合わせていく企業の指向をそのままに受けたとは限らず、音楽を音楽として受け入れるような聴き方をしていたのではないかと述べ、結びとした。