著者
中辻 小百合 Sayuri Nakatsuji 国立音楽大学音楽研究科
雑誌
音楽研究 : 大学院研究年報 (ISSN:02894807)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.17-32, 2011-03-31

本稿は、湯浅譲二(Joji Yuasa, 1929-)によるテープ音楽作品《ヴォイセス・カミング Voices Coming》(1969)における創作意図を探ることを目的とするものである。曲は全3曲から構成され、あらかじめ録音された発話言語が主な音響素材として用いられているが、第1曲目〈テレ・フォノ・パシィTele-phono-pathy〉では電話交換手と通話希望者とのコミュニケーションにおける言葉が、続く第2曲目〈インタビュー Interview〉においては発話されたセンテンスの中から抜粋された間投詞と接続詞の部分が、そして第3曲目〈殺された二人の平和戦士を記念して A Memorial for Two Men of Peace, Murdered.〉では浅沼稲次郎(Inejiro Asanuma, 1898-1960)とマーティン・ルーサー・キング(Martin Luther King, 1929-1968)牧師による演説の中の言葉が選択されている。本稿では、まず曲毎に、使用素材の言語的特性について検討を試みた結果、この作品においては、発話の意味内容と直接的に関わる部分、つまり意味論的側面が主たる問題とされているのではなく、第1曲目においては言語コミュニケーションにおける交話的機能としての側面が、第2曲目では言語の美的・芸術的な部分すなわち吉本の論じる自己表出的側面が、第3曲目においては音響的なヴァイオレンスとしての側面が問題とされていることが明らかになった。曲中では、会話の文脈から切り離された素材の新たな再配置によって、個々の素材の個別的・具体的特性がクローズ・アップされる一方、言語自体の持つ記号性や意味性が希薄となるのである。また、同じ語句によるカノン等の対位法的配置によって、詩における押韻の手法に似た効果が生み出されることで、言語の詩的側面が浮かび上がり、ある種の詩的な空間が作り出される。湯浅がこの作品で最終的に目指していたことは、言語の意味内容を音楽によって表そうとする従来の芸術歌曲やオペラの声の在り方を根本から問い直し、発話言語における指示的側面を排除した上で、音響的側面や自己表出的側面、交話的機能としての側面に焦点を当て、それらを詩的形式によってではなく、あくまで作曲家の立場から音楽芸術作品として、音楽的かつ詩的に再構成することにあったと結論付けた。続いて、本作品が《問い Questions》(1971)、《演奏詩・呼びかわし Performing Poem Calling Together》(1973)、《天気予報所見 Observation on Weather Forecasts》(1983)といった言語コミュニケーションに関わる声の作品群の中でどのように位置付けられるのかを探るべく、各作品を比較検証した結果、本作品はこれらの作品群の発端として位置付けられることが明らかになった。今後は、これらの作品毎の特性をより明確にし、流れを整理した上で、湯浅にとって言語コミュニケーション系列の作品とはいかなるものであるのかを検討していくことが求められる。
著者
鯨井 正子 Masako Kujirai 国立音楽大学音楽研究科
雑誌
音楽研究 : 大学院研究年報 (ISSN:02894807)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.77-92, 2013-03-29

本論は、昭和戦前期の家庭において、当時の子どもにとってレコードがどのような存在となり何をもたらしたのかを考察する上で、西洋芸術音楽のレコードと童謡のレコードに着目し、レコード企業のひとつである日本ビクター発行の月刊誌『ビクター』を資料に、家庭において両レコードがどのような接点を持って同調するに至り、さらにどのように展開されるのか解き明かすことを目的とした。 西洋芸術音楽と童謡の二つのレコードの接点は、比較的通俗的で聴きやすい曲目を収録した『ビクター洋楽愛好家協会』と『ビクター家庭音楽名盤集』の登場により、西洋芸術音楽が家庭に歩み寄り、西洋芸術音楽のレコードを聴くことが家庭を中心に実践され、聴き手が拡大していく中に児童をも巻き込んでいったことから推測できると考えられた。洋楽愛好家協会と家庭音楽名盤集のレコードは、聴衆層の増大と拡大を促し、愛好者を作ったが、このことにより、児童向けレコードの、特にレコード童謡に対し、それが現在伝えられているような大正期の創作童謡とは芸術的に異なる質を持つレコードであっても、その優劣を問わない親世代が増えたことを予想することができ、大衆的とされるレコード童謡は自然と家庭に入ったと推察された。ゆえに家庭において、西洋芸術音楽のレコードと童謡のレコードが共存し同調することにつながると考えられた。 接点が見出されて以降の西洋芸術音楽のレコードと童謡のレコードは、まさに時局を背景に展開されていったと言え、家庭、レコード企業、レコードそのものといった様々な立場が、時局下において、その解釈や役割を変えていったことがわかった。まず、家庭の意味や役割は、時局を背景に情操教育や情操教化の場に転じたことが明らかとなった。その家庭を販売の対象とする蓄音機・レコード会社は、時局を支え、家庭娯楽と音楽報国のために積極的に責任を負うことを明言するようになっていった。媒体であるレコードは、情操や慰楽、及び報国のため、そして国民精神作興のために存在し提供されるものとして示された。中でも、聴衆層を拡げた洋楽は日本の音楽であると捉え直され、大正期の創作童謡を含んだ童謡のレコードとともに、時局の緊張感ゆえに求められる情操やゆとりの役割を担い、国民や第二の国民と呼ばれた子どもたちに向けて与えられていったと考えられた。 最後に、時局のもと、企業が娯楽と報国を並列の責務に据えてレコードを制作し販売していく中で、西洋芸術音楽と童謡のレコードもその役割や解釈を変えていったが、レコードを聴いていた聴衆は、時局に合わせていく企業の指向をそのままに受けたとは限らず、音楽を音楽として受け入れるような聴き方をしていたのではないかと述べ、結びとした。
著者
今野 哲也 Tetsuya Konno 国立音楽大学音楽研究科
雑誌
音楽研究 : 大学院研究年報 (ISSN:02894807)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.123-138, 2010-01-01

本研究は、アルバン・ベルク(Alban Berg 1885-1935)の《4つの歌 4 Lieder》作品2(1909-10)より、第2曲「眠っている私を運ぶSchlafend tragt man mich」、および第3曲「今私は一番強い巨人を倒した Nun ich der Riesen Starksten uberwand」の2曲について考察するものである。ベルクは、作品2の第4曲「微風は暖かくWarm die Lufte」から無調性へと移行したと言われていることからも、この第2、3曲は和声語法上の転換点として捉えられる。しかし実際に分析を進めてみると、従来の方法での和声分析が充分可能であることが分かった。本稿の目的は、和声分析を主な観点としながら、詩の内容と関連させながら考察を進め、この2曲がどのような楽曲構造を形成しているのかを明らかにしてゆく事である。尚、研究方法は、調性作品として分析が可能であることから、島岡譲(Yuzuru Shimaoka 1926-)分析理論を基本的に用いることとする。歌詞はドイツ生まれのユダヤ人、アルフレート・モンベルト(Alfred Mombert 1872-1942)の連作詩、『灼熱する者Der Gluhende』(1896)全88編の中から選ばれている。モンベルトは表現主義の過度期の作家として分類され、ニーチェ(Friedrich Nietzsche 1844-1900)からの影響も指摘されている詩人である。第2、3曲の詩を考察してみると、ロマン派までの文学で慣用的に用いられてきた言葉と共に、ニーチェに関連していると思われる言葉も多く見出される。こうした言葉は、和音のひびきや動機の技法によって緻密に表現されており、本稿はこの観点からの考察も進めてゆく。ところで、作品2の分析を進めてゆく過程で、第2、3曲は、構想の段階から、2曲で1つの楽曲構造を形成しているという結論に達した。両者の構造を個別に見てみると、第2曲は「es→Es→Es-As」の3部構造、第3曲は「as→d -F→es-Es」の3部構造となり、それぞれ開始する調とは異なる調で終結する事となる。そこで、第2、3曲がペアで1つの構造を形成していると仮定し、両者の主調をes-mollで一貫させて考察してみると、「es→ Es→Es-As|as→d F→es-Es」という構造が浮かび上がってくる。つまり、中間に位置する「As|as」は、主調に対するⅳ度調として機能しているという解釈が可能となる。こうした楽曲構造と詩の内容とを関連させて考察した結果、主人公が眠りにある状態が描かれている場面では基本的にes-moll(Es-dur)が、アクティヴで覚醒状態にあると思われる場面ではas-moll(As-dur)、そして再び眠りにとらわれてゆく場面では再びes-moll(Es-dur)へと回帰してゆくという見解を持つに至った。本稿の締めくくりでは、以上の分析結果を踏まえながら、作品2全体と、ベルクの初期語法について敷衍する。