著者
Matteo Casari
出版者
東京大学フィレンツェ教育研究センター
雑誌
Cultura Italo-Giapponese : Annali del Centro Studi e Ricerche dell'Università di Tokyo in Firenze
巻号頁・発行日
no.3, pp.63-78, 2006-07

能の伝統がもつダイナミズムは静的なものである。このパラドックスはいかにも「日本的」であるが、伝統を具体的にとらえてみるとその意図するところはあきらかとなる。伝統は継承の問題であり、それは書物を通して、または口伝という手段にて行われる。世阿弥が『風姿花伝』にて聖徳太子をひいているのは、この古代の政治家が書物を著すことで狼楽の継承に尽力した、とするためである。そうした書の歴史を補完するのが、師と弟子の直接の関係である。世阿弥が『夢跡一紙』にこめたのは秘伝の不可避性と不可能性であった。こうしたニ面性のある技の伝達において、伝統とは書き直されていくものとしてとらえられる。型とは、こうした伝統がまさしく具象化したものであった。有名な「初心不可忘」との言葉は、自覚ある者が創造的に関わっていける堅固な伝統を想定しているのである。