著者
Luca Stirpe
出版者
東京大学フィレンツェ教育研究センター
雑誌
Cultura Italo-Giapponese : Annali del Centro Studi e Ricerche dell'Università di Tokyo in Firenze
巻号頁・発行日
vol.3, pp.9-28, 2006-07

唐代末期から都市の形成がはじまり、市民層が成熟するにつれ、娯楽への欲求が高まった。そこで講談師が登場し、語りに使われる白話体による話本(huaben)が人々のあいだに広まった。おそらく官僚の退屈しのぎから生まれたとも考えられる話本によって「高尚」でない文学がはじめて生まれたのだった。なかでも好まれた題材はいわゆる法廷ものである。そこでは徳の高い判官が活躍し、超自然的な要素に頼りながら事件を解決していくという展開がよくみられ、謎解きという要素が存在しなかった。これには蛮族による支配という元代の社会不安(非理性的なるもの)を反映しているといってもよい。この時代から、世の不正を正す馬判事の人気が高まり、現代もなお人気の高いキャラクターとなっている。こうした中国の推理小説は、唐代から整備のはじまった刑法を啓蒙するよう(挿絵本を見よ)、罰の概念を伝える教育的役割を担っていた。
著者
Matteo Casari
出版者
東京大学フィレンツェ教育研究センター
雑誌
Cultura Italo-Giapponese : Annali del Centro Studi e Ricerche dell'Università di Tokyo in Firenze
巻号頁・発行日
no.3, pp.63-78, 2006-07

能の伝統がもつダイナミズムは静的なものである。このパラドックスはいかにも「日本的」であるが、伝統を具体的にとらえてみるとその意図するところはあきらかとなる。伝統は継承の問題であり、それは書物を通して、または口伝という手段にて行われる。世阿弥が『風姿花伝』にて聖徳太子をひいているのは、この古代の政治家が書物を著すことで狼楽の継承に尽力した、とするためである。そうした書の歴史を補完するのが、師と弟子の直接の関係である。世阿弥が『夢跡一紙』にこめたのは秘伝の不可避性と不可能性であった。こうしたニ面性のある技の伝達において、伝統とは書き直されていくものとしてとらえられる。型とは、こうした伝統がまさしく具象化したものであった。有名な「初心不可忘」との言葉は、自覚ある者が創造的に関わっていける堅固な伝統を想定しているのである。
著者
Martina Becatini
出版者
東京大学フィレンツェ教育研究センター
雑誌
Cultura Italo-Giapponese : Annali del Centro Studi e Ricerche dell'Università di Tokyo in Firenze
巻号頁・発行日
vol.1, pp.73-115, 2004-06

19世紀後半から岩倉具視や岡倉天心の訪問を受けたフィレンツェでは、幾人かの美街商と蒐集家を中心に日本文化への関心が高まった。次第に日本趣味は本格化し、プッチーニの『蝶々夫人』はその好例となった。一方、マッキア(色斑)派と呼ばれる画家たち、ファットーリやシニョリーニらはパリのジャポニスムを担う画家同様、日本の浮世絵を重要な霊感の源とみなしていた。またトスカーナ地方には、アール・ヌーヴォーの流れの中で日本趣味をとりいれた室内装飾や建築物が残されている。
著者
Daniela Raddi
出版者
東京大学フィレンツェ教育研究センター
雑誌
Cultura Italo-Giapponese : Annali del Centro Studi e Ricerche dell'Università di Tokyo in Firenze
巻号頁・発行日
vol.1, pp.187-225, 2004-06

とかく欧米に伝わる日本映画のイメージは単一的かつ不完全であるが、映画の一時代が決して一人の作家によって代表されることはない。本稿では対照的な二人の映画監督を中心に1960年代の日本映画を再考する。日本ヌーベルバーグの旗手としてしばしば言及される大島渚はイデオロギー的立場からマスの視点の実現と解体に努める一方、どのような流れにも与しない今村昌平はあくまでも個に焦点を定めフィクションとドキュメンタリーの狭間に身をおいた。