著者
小坂 美保 Miho OSAKA
雑誌
女性学評論 = Women's Studies Forum
巻号頁・発行日
vol.32, pp.53-72, 2018-03-20

スポーツにおいて素晴らしい記録がでたとき、当該アスリートには「賞賛のまなざし」と「ドーピングでは?」「疑惑のまなざし」が向けられる。女性アスリートには、この2つのまなざしだけでなく、「男性では?」という「性別へのまなざし」が加わる。本報告では、性別に疑惑を向けられたある女性アスリートを事例に、スポーツにおける性別問題について考察をおこなった。競技を実施する上での平等性の確保とともに、女性のパフォーマンスが男性をうわまわる可能性を排除しようとする構造がスポーツ界に存在するのではないだろうか。そのために、髙いパフォーマンスを発揮した女性アスリートに対して「性別疑惑」が浮上し、「女性選手」のカテゴリーへの包摂を拒むのである。そして、当該選手が、「女性選手」として競技に参加するためには、「女性選手」という枠組みに適合する身体にならなければならない。近代スポーツは、「女」か「男」かという二分法を揺るがす選手の存在は、近代スポーツが抱える「女性/男性」という枠組みの枠組みの限界を示しているともいえるのである。
著者
小坂 美保 Miho OSAKA
雑誌
女性学評論 = Women's Studies Forum
巻号頁・発行日
vol.31, pp.107-131, 2017-03-20

本研究は、近代都市公園という空間において「女性」がどのように表象されてきたのかについて明らかにしようとしたものである。具体的には、明治時代に誕生した日比谷公園に焦点をあて、女性が公園においてどのように過ごしていたのかを、錦絵に描かれた「女性」から分析することとした。錦絵は、明治期以降、視覚的イメージを流布する一つのメディアとして顕著な存在となっていった。明治維新後の文明開化の光景を視覚的情報として民衆へ提供してきた。言語的メッセージに比べ、視覚的メッセージである錦絵は、多くの人びとに日比谷公園という新しい空間を知らしめるだけでなく、そのような新しい空間において人びとがどのように過ごすべきなのかをも伝えたのではないだろうか。このような視点から、日比谷公園が描かれた7枚の錦絵を「女性」を中心に詳細な分析を行った。錦絵には、多くの女性が描かれていた。どの女性もきれいに着飾り、流行の装いをし、日比谷公園内を逍遥している。7枚の絵は、発行年をみると一番古いものから新しいものまで30数年の開きがある。しかし、7枚の絵に描かれる「女性」の姿は、髪型の違いや着物の柄の違いはあるが、大きな変化はみられない。男性の場合は、洋装や自転車に乗る人が描かれるようになっているのに対し、女性は、着飾り、こどもの手を引き、妻として夫についていく、という「型」からの逸脱がほとんどみられない。つまり、錦絵によって伝えられる「女性」のイメージは画一的である。このことは、公園という場所にふさわしい「女性」の「像」があり、人びとへの視覚的情報として「望ましい女性像」を浸透させていったのではないだろうか。日比谷公園をモチーフにした錦絵からは、女性がまさに近代都市公園にふさわしい「可視的な情報としての "身体"」として、目にみえるように図像化されていたといえる。