著者
小口 千明 Oguchi Chiaki
巻号頁・発行日
1987

本研究は、主体である人間集団の環境観(人間集団が認識し、評価した環境)を研究対象として、環境観が相対比であるか否かを、時空・空間両側面から実証的かつ帰納的に解明することを企画したものであって、第I部;概念の検討(4章),第II部;相対的認識像の事例研究(6章),第III部;結論からなる構成である。 第I部では、問題の所在、研究目的と方法、隣接諸学をも含めた既往の諸研究の成果と限界などに言及し、本研究の果す意義について論述している。 まず第1章では、環境は主体があってはじめて成立する相対的概念であるが、従来の地理学的研究の多くの場合、主体の側からの追究が不充分と指摘し、人間集団の時空的異質解明の必要性について述べている。 第2章では、従来その実態が明示されていない環境観の相対性を、実証的事例研究によって追求し、環境研究に不可欠な主体の異質性を、時・空両側面から明らかにするとの企図を明示し、研究方法には、みずから開発の「好まれない空間」(嫌われ空間)を要指標として採用することの意義を述べている。 第3章では、地理学、歴史地理学、心理学および文化人類学などの研究動向展望の結果、環境観の相対性は、時空両面からの追求により把握可能であることを理論的に確認できるとし、ただし過去の環境認識解明の手法は、今日でも未開拓に等しいとして、本研究が過去の景観復原への途を開いたと強調している。 第4章では、好まれない空間把握のための具体的指標としてどのような事象を採用すべきかとの観点から、本研究で追求した各事例に関する相互関係を述べている。 第II部の各章は、上述した各指標を用いた事例研究で、時と所の相違により同一事象に対する認識と評価が異なっていること、人間集団の環境観がいかに相対的であるかの実証を企図した論述である。 まず第1章では、北海道開拓に際し、集治監が集落形成の核となった事が例外ではないことを、現地調査と豊富な資料採訪によって究明し、反社会的な罪とかかわる行刑施設とその周辺が、つねに好まれない空間であることは断定できないこと、今日の一般的価値観と明治の北海道のそれとの対比の結果、このような空間がまことに相対比であることを論述している。 第2章は、埼玉県吉見町を事例として、一般の家相観では凶とする方角(南西)が、ここでは「富士向き」と呼び吉とすることに着眼し、その一因はこの地域の局地的な強風にあることを実証、詳細な現地調査と江戸期の各種「学相書」の探索による伝統的家相観の把握結果との対比から、同一空間に対する評価が、地域により相対比であると述べている。 第3章では、事例を茨城県桜村に求め、村落社会における虫送りと道切りの民族行事にあって、ムラ境とする地点が行事によっては異なることを実証し、邪悪という好ましい空間が、同一社会においてさえ相対的な領域観に基づくものであると述べている。 第4章では、海水浴導入期には医療が主眼とされたから、その立地条件が波の荒い岩場のある海岸を適地としたのに対し、娯楽を目的とする今日の海水浴場の場合は、前者こそ危険水域として遊泳禁止区域となっているのに言及、目的が異なる場合の評価の相対性について述べている。 第5章では、瀬戸内斜面一帯に今日も分布する石風呂入浴の習慣を有する人々(他人の汗が多く浸み込んだ床に横臥)と、この習慣のない人々との間に認められることを述べている。 第6章では、死と関連する空間について、西日本一帯に分布する忌言葉ヒロシマ(死後の世界)を死標として、元来は地名ではなかったのが、同音の混同から今日では広島市と意識されがちになった結果、この忌言葉を用いる人々と広島市の現住者との間に、相対的な認識像開きが見い出されると述べている。 第III部 結論では、本研究の成果としてまず、従来は論理的推察にとどまっていた環境観の相対性について時空両面にわたり実証的に提示できたことをあげ事例研究の結果から、その実態を通時的相対性、地域的相対性、時空同一(状況)的相対性の三つの類型にまとめることが可能と主張し、現代の景観との対比によって過去の環境観復原を実証的に停止する研究手法は、本研究の結果創案したものと論述している。