著者
小口 千明
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.67, no.9, pp.638-654, 1994-09-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
46
被引用文献数
1 1

本研究は,位置選定にかかわる日本の伝統的な吉凶判断において方位がきわめて重要視されるのに対し,距離や寸法にはあまり関心がもたれないことに着目して,日本における伝統的な空間認識の特質を寸法とのかかわりから捉えようとしたものである. 沖縄県を中心として唐尺と呼ばれるものさしが存在し,このものさしを用いて,寸法による吉凶判断が行なわれている.そこで,現実の景観のなかにこのものさしに基づく吉凶の観念がどのように投影されているかを,沖縄県の波照間島と鹿児島県の与路島を事例として検討した. 沖縄県の波照間島では,住居の門の幅と墓の特定部分の寸法が唐尺による吉凶判断の対象とされる.奄美の与路島では唐尺は用いられていないが,唐尺と類似の目盛りを有するさしがねが門の位置と幅を定めるための判断基準として用いられている.両島内の集落で住居の門幅を実測したところ,それぞれの地域の判断方法に基づき吉寸を示すものが高率であった.これは,寸法に対する吉凶の観念が投影された住居景観が現実に存在することを示している.ただし,両島に方位にかかわる習俗が存在しないことを意味するものではない. 日本では,位置選定にかかわる吉凶判断において,空間の評価軸が方位に置かれる場合が多い.しかし,現在までのところ沖縄や奄美地方でのみ確認された例ではあるが,寸法の概念も評価軸として存在することが示された.理論的には方位も寸法もともに空間評価のための座標軸となりうるなかで,現実としてどの尺度が座標軸として選択されるかは地域によって相対的であるといえる.したがって,方位による吉凶を著しく重視した空間認識は,見方を変えれば寸法による吉凶を重視しない空間認識としてその特質を把握することが可能となる.
著者
小口 千明
出版者
The Human Geographical Society of Japan
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.215-229, 1985-06-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
48
被引用文献数
12 8

The purpose of this paper is to clarify the situation and the process of acceptance of sea bathing during the Meiji era. In Japan, only a few people living in Ono (Aichi Prefecture) had customarily bathed in the sea (shiotoji) since the 13th century. Most of the Japanese, however, never bathed in the sea till the Meiji era.The idea of sea bathing, based on a German medical book, was introduced into Japan in 1881. The first bathing beach in Ono was opened in the following year, and the second one in Oiso (Kanagawa Prefecture) in 1885. Sea bathing in the Meiji era was intended to cure certain diseases, such as tuberculosis, internal diseases and women's diseases. At the time, it was thought that strong waves on a rock beach were needed in order to give intense stimuli for the skin. Nevertheless, the practice of immersing oneself in strong waves did not become popular among the Japanese.At that time, there were two types of sea bathing. One was the way to plunge into the sea directly (cold sea bathing), and the other was to bathe in heated sea water (hot sea bathing). Hot sea bathing was a way of making people accustomed to cold bathing little by little.By the way, the Japanese have a time-honored custom of taking a hot-spring cure (called toji). People regarded hot sea bathing as the same behavior as the hot-springcure, and this accounts for the quick spread of sea bathing to many people. Eventually, sea bathing was accepted by Japanese as a variation of hot-spring cure, and it has spreaded over many of the coastal areas of the country (Fig. 7).
著者
高屋 康彦 小口 千明
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.84, no.4, pp.369-376, 2011-07-01 (Released:2015-09-28)
参考文献数
26
被引用文献数
3 5

史跡・吉見百穴の坑道壁面における凝灰岩の塩類風化による岩屑生産の速度を把握し, 塩類と岩屑の量的関係を求めるため, 崩落物質を回収する現地調査を1年間にわたって実施した.温度・湿度がともに低い冬から春先には粒状の風化による岩屑生産が著しく, それ以外の時期には岩屑量は非常に少なかった.壁面で観察された析出鉱物としては, 冬から春先にかけてはナトリウムミョウバンおよびハロトリカイトが顕著であり, 石膏とジャロサイトは年間を通して認められた.岩屑量および析出する鉱物種の季節性から, 塩類の析出に伴う岩屑生産に最も寄与している鉱物はナトリウムミョウバンおよびハロトリカイトであると考えられる.崩落した岩屑量と塩類量との間には一次の相関があることが明らかになった.
著者
小倉 拓郎 早川 裕弌 田村 裕彦 小口 千明 守田 正志 清水 きさら 緒方 啓介 山内 啓之
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

小学校の総合的な学習の時間では,身の回りにある様々な問題状況について,問題の解決や探究活動に主体的,創造的,協同的に取り組む態度を育て,自己の生き方を考えることができるようにすることを目標としている(文部科学省 2008).この目標を達成するために,地域や学校の実態に応じて,自然体験や観察・実験などの体験的学習や,地域との連携を積極的に行うことが求められている.演者らは,自然地理学・地理教育・空間情報科学・建築学・歴史学・文化財科学などの専門分野を生かし,横浜市登録地域文化財に指定されている「田谷の洞窟」保存プロジェクトを実施している.このなかで,UAS(Unmanned Aerial System,通称ドローン)を用いたSfM多視点ステレオ写真測量や,地上レーザ測量(TLS: Terrestrial Laser Scanning)などを用いた高精細地表情報を基盤に,洞窟保全や文化財保護などの研究を通して,地域の地表・地下環境情報のアーカイブに取り組んでいる.本研究では,横浜市田谷町「田谷の洞窟」とその周辺域を対象とし,高精細地表情報の取得方法や利活用事例に触れることを通した課題発見型・体験型の地域学習を実践し,児童たちの学習効果について検証する. 本授業は,横浜市立千秀小学校第6学年の総合的な学習の時間および図画工作科を利用して実施した.当該校では,田谷の洞窟を主題として,1年間を通して地域の歴史や文化財の保存,環境についての学習を発展させてきた.学習のまとめとして,3学期にUAS-SfMやTLS由来の地表データから大型3D地形模型を製作した.地形模型作成プロセスを通して,児童たちは地形の凹凸や微細な構造を手で感じ取り,1・2学期に学習した地域学習の内容を喚起させた.その上で,デジタルで高精細な地形モデルや,アナログな立体模型を自由に俯瞰したり,近づいて観察したりすることで,さまざまなスケールにおける地域の構造物や自然環境の位置関係,規模について再認識することができた. 本授業のまとめとして地域で報告会を開催し,作成した大型3D地形模型を利用しながら地域住民や参画する大学教員・大学院生と意見交換を行った.生徒たちは意見交換を通して1年間の学習の整理だけでなく,多様な学問分野の視点や時空間スケールで地域を見つめなおし,自ら立てた課題の再考察や新たな課題を発見することができた.
著者
小倉 拓郎 早川 裕弌 田村 裕彦 守田 正志 小口 千明 緒方 啓介 庵原 康央
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.166, 2021 (Released:2021-03-29)

1.はじめに 防災学習は,初等教育における総合的な学習の時間において,従来の各教科等の枠組みでは必ずしも適切に扱うことができない探究的な学習として,地域や学校の特色に応じた解決方法の検討を通した具体的な資質・能力を育む課題学習の一例として挙げられている1).ハザードマップは防災学習でよく用いられるが,浸水高や震度分布などの複雑なレイヤ構造を有するため,児童らが一般的に苦手とする基礎的な地図の判読スキルのみならず,重なり合う地図上の情報を適切に取捨選択して理解する能力が要求される.そのため,発災現場などの非日常体験をより直感的に想像できる授業実践や教材の開発が求められる. そこで,実際に自然災害の生じた地域における小学校の児童を対象とし,校区内での被災状況をハザードマップと地形模型を援用した3Dマッピングにより把握することから,地域環境を見つめなおすという防災学習を実践した.本報告では,その実践の過程や学習内容,児童の気づきについてまとめる.2.授業実践の内容 本実践は,2019年度に横浜市立千秀小学校の総合的な学習の時間および図画工作科で計8時数実施した.ここでは,2017年度の小学校6年生が,航空レーザ測量にもとづく標高データ由来の地域の大型地形模型(縮尺1/1000)を製作したため2),これを3Dマッピングの基盤として用いた.一方,防災情報の基礎として,横浜市栄区洪水ハザードマップに描かれている浸水最大規模のレイヤ情報をスチレンペーパーで作成し,地形模型の上に貼り付けることで,通常は2次元の地図で提供されるハザードマップの情報を3次元的かつ実体的に表現した. 本地域では,令和元年台風19号の通過により,校区内で浸水被害や倒木,信号機の風倒などがみられた.児童らは校区内の台風通過後や過去の被災状況について,通学路や自宅周辺の観察や近隣住民への聞き取り調査を実施し,内容と位置をメモや写真にまとめた.調べた内容は地図と模造紙にも記入した(図1).また,被災内容を記したピクトグラムを作成し,調べた位置情報をもとに地域の大型地形模型の上に設置した(図2).その上で,授業の最終段階では,担任教諭や外部協力者としての大学教員・大学院生を交えて,被災した場所の位置や分布の特徴について議論した.3.結果と考察 児童らは地図に被災状況を並べる作業を通して,浸水箇所が河川に近いことや,信号機・テレビアンテナ等の損傷が住宅地に多いことに気づいた.その結果,校区内の地域でも,被災種類に地域性があることを理解した. その後,児童らは,自ら調査した情報を地形模型の上に乗せる作業を行うことによって,地形の凹凸と被災種類の関係に興味をもった.その結果,信号機の風倒箇所が谷部に集中していることに気づいた.地形に注目する中で,自然地形と人工地形の形状の違いについても関心をもち,地図と照らし合わせながら地形改変(宅地開発)や同じ標高の面(段丘面)について確認していた.また,道路や田畑が浸水した箇所は,ハザードマップで描かれていた浸水想定で浸水高が高い傾向を示す箇所に集中していることに気づいた.そこで,本地域の地形の成り立ちについて教員が説明し,旧河道であることを理解した. このように,大型地形模型を利用することによって,児童らに2次元の地図上での議論では浮かび上がらなかった,地形と被災内容の3次元的な空間関係を考える傾向が見られ,3Dマッピングによる考察の深化が観察された.3次元表現を行うことで,水平方向の位置関係や被災種類と土地利用との関係に対する関心から,垂直方向の関心にも目が届き,模型を上から俯瞰するだけでなく,しゃがむ,視点を変え斜め方向から360°回りながら眺める,といった身体を動かしながら対象を理解しようとする行動が見られたことも,3次元的な自然現象の想像・理解につながったと考えられる.4.文献1)文部科学省 2017. 小学校学習指導要領解説.2)田村裕彦・早川裕弌・守田正志・小口千明・緒方啓介・小倉拓郎 2020. 総合的な学習の時間を活用した地理・地形教育の実践−地域文化資源を用いた小規模公立小学校への地域学習から−, 地形, in press.
著者
小口 千明
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.67, no.9, pp.638-654, 1994
被引用文献数
1 1

本研究は,位置選定にかかわる日本の伝統的な吉凶判断において方位がきわめて重要視されるのに対し,距離や寸法にはあまり関心がもたれないことに着目して,日本における伝統的な空間認識の特質を寸法とのかかわりから捉えようとしたものである.<br> 沖縄県を中心として唐尺と呼ばれるものさしが存在し,このものさしを用いて,寸法による吉凶判断が行なわれている.そこで,現実の景観のなかにこのものさしに基づく吉凶の観念がどのように投影されているかを,沖縄県の波照間島と鹿児島県の与路島を事例として検討した.<br> 沖縄県の波照間島では,住居の門の幅と墓の特定部分の寸法が唐尺による吉凶判断の対象とされる.奄美の与路島では唐尺は用いられていないが,唐尺と類似の目盛りを有するさしがねが門の位置と幅を定めるための判断基準として用いられている.両島内の集落で住居の門幅を実測したところ,それぞれの地域の判断方法に基づき吉寸を示すものが高率であった.これは,寸法に対する吉凶の観念が投影された住居景観が現実に存在することを示している.ただし,両島に方位にかかわる習俗が存在しないことを意味するものではない.<br> 日本では,位置選定にかかわる吉凶判断において,空間の評価軸が方位に置かれる場合が多い.しかし,現在までのところ沖縄や奄美地方でのみ確認された例ではあるが,寸法の概念も評価軸として存在することが示された.理論的には方位も寸法もともに空間評価のための座標軸となりうるなかで,現実としてどの尺度が座標軸として選択されるかは地域によって相対的であるといえる.したがって,方位による吉凶を著しく重視した空間認識は,見方を変えれば寸法による吉凶を重視しない空間認識としてその特質を把握することが可能となる.
著者
宋 苑瑞 西浦 忠輝 小口 千明
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2019年大会
巻号頁・発行日
2019-03-14

沖縄の首里城公園内にある園比屋武御嶽石門は「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」の一カ所として2000年に世界遺産に登録された.石門とその奥の森を園比屋武御嶽といい,琉球王国の国王が外出するときに安全を祈願する礼拝所として使われてきた.1519年に琉球石灰岩で建てられ,1933年には旧国宝に指定されたが沖縄戦で大破され,1957年に復元された後に解体修理し1986年に完成し,1972年国指定建造物になった.解体修理時には古い屋根石を使用したが,この際にクリーニングや撥水性シリコーン樹脂の含浸や表面の穴埋めを行った.現在は図1でも確認できるように,石門全体の色は黒っぽくなり,屋根(右側が古屋根材を使用したところ)の部分の穴埋め箇所とオリジナル石材とは色の差も目立つようになっている.穴埋めとシリコーン樹脂塗布から30年後の状況を色彩計を用いて定量的に把握し,今後の修理処置に役立てられることを本研究の目的とする. 修復された屋根の表面の色や石門の全体的な色の把握するために,石門の表面の51か所で分光測色計(コニカミノルタ社製,CM-700d,測定径Φ8mm)を用いて定量的測定を行った.この測定器は,測定時間はわずか1秒程度で,簡便に携帯できる特徴があり,多様な分野で使用されている.石門の正面から見た際に黒色化した部分の割合をPhotoshopを用いて求めた.石門の表面温度を測定擦るため,FLIR社製の熱カメラを用いて,表面の温度分布を把握した.一年中の気温と湿度の変化を把握するために,那覇市市民文化部文化財課の許可を得て,ボタン型温湿度測定器(ハイグロクロン)を石門の南側の左上の方に設置し,観測を行った. 分光測色計による測定の結果,修復当時は石灰岩の色が明るく,屋根部分に修復材とほぼ同じ色だったが,30年後は変色速度や状況が異なり,修復材の方は灰色に,本来の石材はより黒色になっている箇所が多かったことが分かった.園比屋武御嶽石門の屋根の下で観測された年間平均気温は24℃,平均湿度は81.5%で,高温多湿な亜熱帯気候の特徴が見られた.冬季の平均気温も22.1℃で,湿度も80%に至り,最低気温も8.5℃だった.そのため,植生の成長がとても速く,建物の表面の色に影響を与えた可能性がある.
著者
宋 苑瑞 藁谷 哲也 小口 千明
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
日本地球惑星科学連合2016年大会
巻号頁・発行日
2016-03-10

アンコール遺跡は,クメール王朝によっておもに9~13世紀に建てられたカンボジアの石造建築物群である.遺跡には王朝を代表する芸術と文化が建物の彫刻に多く残され,1992年にユネスコ世界遺産に指定されたことから,毎年多くの観光客を集めている.自然劣化の進んだアンコール遺跡の保存修復は,20世紀初頭からフランス極東学院によって行われてきた.また内戦後,とくに悲惨な状態にあったアンコールワット寺院の修復作業は,インド考古調査局(ASI)によって1986~1993年に行われた.ASIはアンコールワット寺院を構成する砂岩ブロックの割れ目にモルタルを注入して水の浸透を防ぎ,紛失部分や毀損箇所を修復するとともに,建物を覆う植物の除去作業を行った.また,寺院のほぼ全域(約20万m2)を対象として,砂岩ブロックの表面洗浄を行った. このような膨大な規模の洗浄作業後,アンコールワット寺院の表面の色は建築当時の砂岩本来の色である灰色~黄色い茶色に戻った. 現在,アンコールワット寺院を構成する砂岩ブロックの表面は全体的に黒っぽく見える.これは,おもにシアノバクテリアのバイオマットであり,1994年以降に形成されたものである.文化財の保存修復分野では,バクテリア,カビ,地衣類をはじめミミズやシロアリ,植物などの生物的要素が遺跡(岩石)を風化(生物風化)しているのか,保護しているのか長く議論が続いている.これは風化現象が物理的,化学的,生物的な要素が合わさって起こるとても複雑な現象であり,風化環境や風化継続時間によって異なる結果がもたらされているためと考えられる.本研究では,アンコールワット寺院の第一回廊基壇に付着するシアノバクテリアが,砂岩ブロック表面にどのような影響を与えているかについて検討を進めた.ASIによると,基壇の砂岩ブロックに対しては,アクリル樹脂を用いた防水処理を行っている.しかし,その約2年後からシアノバクテリアが基壇表面を覆い始め,砂岩ブロックはスレーキングによる剥離部分とシアノバクテリアの付着した黒色変色部分が共存するようになったという.そこで,このような砂岩ブロック表面の剥離部分と変色部分に対して,シュミット・ロックハンマーとエコーチップ硬さ試験機を用いた反発硬度測定を行った.その結果,剥離部分は変色部分に比べて反発値が最大3.7倍大きかった.剥離されず,シアノバクテリアにも覆われていない部分も変色部分に比べて最大3.6倍も大きかった.シアノバクテリアはアンコールワット寺院の回廊を保護しているのではなく,表面硬度の低下を引き起こしている点では風化を促進していると言える.さらに, アンコールワット寺院に関しては,殺虫剤を使い生物的要素を除去してもすぐに原状に戻るため,表面洗浄作業はほとんど意味がなく,人工樹脂処理後20年以上経過した今はそれが蒸発を防ぎ風化を加速させたり,それ自体が溶け落ちるなど他の問題の生じているため樹脂の使用を慎重にする必要がある.
著者
鈴木 隆介 西田 治文 小口 千明 田中 幸哉
出版者
中央大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

蛇紋岩で構成される山地(以下,蛇紋岩山地と略称)は,一般にそれに隣接する非蛇紋岩山地に比べて,(1)相対高度が高く,(2)谷密度が著しく低く,(3)尾根が丸く,山地斜面が緩傾斜であり,(4)浅い滑り面をもつ地すべりが多い,といった特異な削剥地形を示す.蛇紋岩山地の,そのような特異な削剥地形の成因を解明するために,以下の研究をした.北海道敏音知周辺,北上山地宮守地域,京都府大江山を中心に,自然露頭および大規模な砕石場において,現地岩石物性試験(弾性波速度,貫入硬度,シュミットロックハンマー反発度,浸透能,節理密度),室内での新鮮岩および風化物質の岩石物性試験(圧縮・圧裂引張・剪断強度,密度,間隙率,間隙径分布,P波・S波速度,定水位透水係数)ならびに鉱物分析を行った.蛇紋岩の節理密度は,深部では節理の多い部分と少ない部分が複雑に混在しているが,地表に近いほど節理密度が大きくなる.また,日本の主要な蛇紋岩山地についての地形計測によると,蛇紋岩山地の平均高度は蛇紋岩体の面積が約10km^2より大きい場合には周囲の非蛇紋岩山地より高いが,それより小さい場合には逆に低い,ことが判明した.このような蛇紋岩山地の削剥地形の特徴は,蛇紋岩の特異な岩石物性を反映した,次のような削剥過程に起因すると考えた.蛇紋岩の強大な残留応力が削剥に伴う除荷作用によって解放されるために,蛇紋岩が膨張して,引っ張り割れ目が増加して節理密度が増加し,蛇紋岩は葉片状さらに塊状に破砕する.そのため,葉片状,塊状,礫状の蛇紋岩は高透水性を示すので,地表水が浸透しやすくなり,谷は浅く,谷密度が低くなる.一方,風化すると,蛇紋岩は吸水膨張するので,表層部に浅い地すべりを発生しやすくなるので,斜面は緩傾斜になる.その削剥過程における雪達磨効果のために,大規模な蛇紋岩体ほど高い山地を形成している.
著者
石井 英也 小口 千明 大濱 徹也
出版者
筑波大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2000

青森県の下北半島に位置する脇野沢村は、江戸時代に能登半島を中心とする北陸の漁民や商人が、ヒバや鱈を求めてやってきて定住したしたことによって、その建設が促進された村である。そのため、脇野沢に住む住民達は、当初から明治初期頃までは水主を業とするものが多く、いとも軽々と周辺地域での他所稼ぎに従事してきた。その後、明治維新による山林の国有地化などによって、脇野沢住民の生業は鱈漁への傾斜を強めるが、鱈漁の季節性を埋め合わせるように、幕末以降発達しつつあった北海道鰊漁への他所稼ぎが多くなった。脇野沢村では、大正期以降に鱈漁が興隆し、それに北海道鰊場への他所稼ぎを組み合わせる一種の複合経営が成立する。それとともに、他所稼ぎの弊害も見られるようになるが、しかし、昭和戦前期までの他所稼ぎは、むしろ地域経済に利をもたらすものと肯定的にみられる傾向が強かった。第二次世界大戦後、脇野沢の鱈漁や、まもなく北海道の鰊漁も壊滅する。しかし、北海道はその開発が国の緊急課題となり、さまざまな基盤整備が行われるようになる。こうして脇野沢住民は、北海道での土木出稼ぎに従事するようになり、思いがけずに失業保険も手にするようになる。その出稼ぎは、高度経済成長期になると、とくに東京を中心とする関東にも向かい、まさに「出稼ぎの村」が形成される。この頃になると出稼ぎの量も質も、出稼ぎを引き起こすメカニズムも変質し、とくに昭和40年代以降にはさまざまな社会問題が注目されるようになった。その重要な問題の一つが、持続的社会の崩壊、つまり出稼ぎ者や年金生活者の増大に伴う地域そのものの空洞化であった。出稼ぎは、諸問題の発生や出稼ぎ者の高齢化や「出稼ぎは悪」という風潮のなかで、昭和末期以降急速に減少してきたが、村の再建が急がれる。
著者
小口 千明 Oguchi Chiaki
巻号頁・発行日
1987

本研究は、主体である人間集団の環境観(人間集団が認識し、評価した環境)を研究対象として、環境観が相対比であるか否かを、時空・空間両側面から実証的かつ帰納的に解明することを企画したものであって、第I部;概念の検討(4章),第II部;相対的認識像の事例研究(6章),第III部;結論からなる構成である。 第I部では、問題の所在、研究目的と方法、隣接諸学をも含めた既往の諸研究の成果と限界などに言及し、本研究の果す意義について論述している。 まず第1章では、環境は主体があってはじめて成立する相対的概念であるが、従来の地理学的研究の多くの場合、主体の側からの追究が不充分と指摘し、人間集団の時空的異質解明の必要性について述べている。 第2章では、従来その実態が明示されていない環境観の相対性を、実証的事例研究によって追求し、環境研究に不可欠な主体の異質性を、時・空両側面から明らかにするとの企図を明示し、研究方法には、みずから開発の「好まれない空間」(嫌われ空間)を要指標として採用することの意義を述べている。 第3章では、地理学、歴史地理学、心理学および文化人類学などの研究動向展望の結果、環境観の相対性は、時空両面からの追求により把握可能であることを理論的に確認できるとし、ただし過去の環境認識解明の手法は、今日でも未開拓に等しいとして、本研究が過去の景観復原への途を開いたと強調している。 第4章では、好まれない空間把握のための具体的指標としてどのような事象を採用すべきかとの観点から、本研究で追求した各事例に関する相互関係を述べている。 第II部の各章は、上述した各指標を用いた事例研究で、時と所の相違により同一事象に対する認識と評価が異なっていること、人間集団の環境観がいかに相対的であるかの実証を企図した論述である。 まず第1章では、北海道開拓に際し、集治監が集落形成の核となった事が例外ではないことを、現地調査と豊富な資料採訪によって究明し、反社会的な罪とかかわる行刑施設とその周辺が、つねに好まれない空間であることは断定できないこと、今日の一般的価値観と明治の北海道のそれとの対比の結果、このような空間がまことに相対比であることを論述している。 第2章は、埼玉県吉見町を事例として、一般の家相観では凶とする方角(南西)が、ここでは「富士向き」と呼び吉とすることに着眼し、その一因はこの地域の局地的な強風にあることを実証、詳細な現地調査と江戸期の各種「学相書」の探索による伝統的家相観の把握結果との対比から、同一空間に対する評価が、地域により相対比であると述べている。 第3章では、事例を茨城県桜村に求め、村落社会における虫送りと道切りの民族行事にあって、ムラ境とする地点が行事によっては異なることを実証し、邪悪という好ましい空間が、同一社会においてさえ相対的な領域観に基づくものであると述べている。 第4章では、海水浴導入期には医療が主眼とされたから、その立地条件が波の荒い岩場のある海岸を適地としたのに対し、娯楽を目的とする今日の海水浴場の場合は、前者こそ危険水域として遊泳禁止区域となっているのに言及、目的が異なる場合の評価の相対性について述べている。 第5章では、瀬戸内斜面一帯に今日も分布する石風呂入浴の習慣を有する人々(他人の汗が多く浸み込んだ床に横臥)と、この習慣のない人々との間に認められることを述べている。 第6章では、死と関連する空間について、西日本一帯に分布する忌言葉ヒロシマ(死後の世界)を死標として、元来は地名ではなかったのが、同音の混同から今日では広島市と意識されがちになった結果、この忌言葉を用いる人々と広島市の現住者との間に、相対的な認識像開きが見い出されると述べている。 第III部 結論では、本研究の成果としてまず、従来は論理的推察にとどまっていた環境観の相対性について時空両面にわたり実証的に提示できたことをあげ事例研究の結果から、その実態を通時的相対性、地域的相対性、時空同一(状況)的相対性の三つの類型にまとめることが可能と主張し、現代の景観との対比によって過去の環境観復原を実証的に停止する研究手法は、本研究の結果創案したものと論述している。