著者
辻 成史 Shigebumi TSUJI
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 = Otemae journal of humanities (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.A1-A24, 2004

第二次大戦後欧米の美術史研究は、長期に亘って E. Panofsky の主導の下に展開されたイメージ解釈学-イコノロジー-の強い影響の下にあった。1980年頃を境に、いわゆる New Art History を始めとしてイコノロジーに対する批判が顕在化してくるが、それとてもイメージを記号と看做すという点においては、本質的に前者と決定的に袂を別つに至らなかった。両者に通底していたのは、イメージと言語、あるいはイメージと超越的客観の間に暗黙のうちに前提されていた同一性/同時性であり、その記号論的根拠を脱構築することなくしては、イコノロジーのみならず、十九世紀以来続いてきた近代主義的美術史学の限界突破の難しいことが次第に明らかとなってきた。欧米の美術史学には、1990年頃を境にこの方向に沿っての展開が著しい。本論の著者はこの数年、美術史学の根本をなす可視性/不可視性の問題をさまざまな方角から取り上げてきたが、今回はプラトンから8世紀初頭のダマスコスのヨハネに至る古代-初期ビザンティン思想における「質料/物質」概念の変遷を通覧し、プラトン自身その晩年に示唆するに至った作品の存在論の反イデア的根源-「コーラ」-に注意を向けてみたい。