26 0 0 0 OA 院政期興福寺考

著者
元木 泰雄
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前女子大学論集 (ISSN:02859785)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.175-195, 1987

12 0 0 0 OA 源頼朝論

著者
中村 直勝
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前女子大学論集 (ISSN:02859785)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.1-16, 1972
著者
松原 秀江
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.(87)-(109), 2010

堀辰雄の文学に大きな影響を与えた女性たちが、彼の前に常に親子がらみで現れることに注目して、その誕生及び幼少年期を見ながら、『聖家族』に至るまでの作品内容とそれらを比較し、親がらみと裏返しをキーワードに、『聖家族』の書名が「聖母子」ではなく、「聖家族」だったことの意味を考える。
著者
松村 昌家 Masaie MATSUMURA
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 = Otemae journal of humanities (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.103-120, 2003

幕末にヨーロッパ諸国に向けての使節団派遣のお膳立てをした駐日英国公使オールコックは、その準備の過程で、外交問題とは直接に関係のない二つのプランを練っていた。一つは、一八六二年五月一日に行われる第二回ロンドン万国博覧会の開会式典に、使節団の代表数名を送りこむこと。そして万博会場に日本製品を展示することによって、日本に対するイギリス側の関心を引きつけること。二つとも日英交流史における画期的な出来事であったにもかかわらず、従来あまり注目された形跡がない。本稿では、六二年万博開会式典に臨んだ七名の使節団代表者たちの、文字どおりの異国体験に注目するとともに、この日のパフォーマンスとして仕組まれた「ピクチャー・ギャラリーズへの大行進」が、いかなるものであったかを解き明かす。特に「ピクチャー・ギャラリーズ」は、イギリスにおける万博文化史のなかで、きわめて重要な意味をもっているのだ。日本から送られた展示品は、大部分がオールコックの蒐集になるものであったとはいえ、万博における日本の初参加であったことに変わりはない。これを使節自身はどう見たのか、そしてイギリス側からの評価はどうであったのか。やはり見逃してはならない興味深い日英交流史のひとこまであったのである。
著者
坂本 理郎
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.A115-A131, 2007

本研究は、近年の新規学卒者の採用をめぐる調査や文献をふまえたうえで、新規学卒者に求められる資質が「即戦力」ではなく、より基礎的な資質、いわゆる「基礎力」であることを指摘した。そして、このような求人側(企業)と求職側(新規学卒者)をつなぐ言葉の曖昧さを問題視し、これまで官庁や諸機関が実施してきた調査や提言の不十分な点や学術的検討の希薄さを示した。このような問題意識を背景に、関西を基盤とする大企業24社の採用担当者に対するインタビュー調査を実施し、質的データの分析を行った。その結果、「I.対自己」の基礎力として「自律」、「ストレス耐性」、「II.対他者」の基礎力として「言語的コミュニケーションカ」、「共感力」、「III.対課題」の基礎力として「論理的思考力」、「創造的思考力」、「実行力」を見出した。さらに考察を行い、「共感力」に「自己の感情の表現力」を加えて「情緒的コミュニケーションカ」とし、「実行力」の中に「適応・柔軟性」を加えることによって、仮説的なリストを提示した。このリストは仮説であるので、今後さらに調査を行い、検証していく必要がある。また、業種や職種での差異や、このような基礎力を、企業における人材の選抜および開発や高等教育において活用していく方策の検討を今後の課題としてあげた。
著者
小田桐 弘子
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.1-16, 2005

もし、「ミニヨンの歌」が「レモンの木は花咲き…」ではなく原詩の通りKennst du das Landの直訳ではじまっていたらどうであったろうか。「レモン」の訳語によって日本近代詩史が始まったことは既に先学により、実証されているところである。小論は、このレモンからの連想である梶井基次郎の「檸檬」をつないで、私観を述べたものである。
著者
丹羽 博之
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.(17-30), 2013

『源氏物語』の桐壷巻に、亡き桐壷更衣の母君を帝の使い命婦が訪れ、帝の言葉を伝え、共に亡き更衣を偲ぶ名場面がある。娘を亡くした母君の歎きのことば「命長さの、いとつらう思ひたまへ知らるるに、」について『河海抄』には「荘子曰く寿則多辱」という注がある。しかし、「命長さの、いとつらう思ひたまへ知らるるに、」の「いとつらう」と『荘子』の「寿則多辱」の「辱多し」とでは、かなり意味がずれる。一方、白楽天の「感旧」の詩は、二十年の問に親しい四人の友人が次々に亡くなり、自分だけが生きながらえた実感を結びの句で「人生莫羨苦長命 命長感旧多悲辛(人生羨むこと莫かれ苦だ長命なることを命長ければ旧に感じ悲辛多し)」と直截に表現しており、読者の心を打つ。晩年の白詩には、このような飾り気の無い率直な表現が多い。親しい人々を次々と亡くした実感を素直に述べており、万人の心を打つもののあはれが詠まれている。白氏文集を愛読し、『源氏物語』の中に多く利用した紫式部はこの詩も知っていて、桐壷巻に利用した可能性もある。『源氏物語』の中には『荘子』を利用した明確な例は「寿則多辱」を除けば認めにくい。従来の注の検討を行い、白詩との関係を考察する。
著者
平川 祐弘 Sukehiro HIRAKAWA
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学人文科学部論集 = Otemae journal of humanities (ISSN:13462105)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.107-126, 2004

平川はかねて「盆踊りの系譜-ロティ・ハーン・柳田国男」と題して文学的な連鎖反応としての盆踊りの記述をたどった (平川『オリエンタルな夢』所収) 。ロティのバンバラ族の輪舞記述に感心したハーンは、それを英訳し、さらにはロティのような目付きで山陰の盆踊りも見、記録したのである。そのような文学史的な系譜には筆者の主観的な思い入れがまぎれこむ可能性がある。ハーンに刺戟された柳田国男が陸中小子内で書きとめた盆踊りの解釈も、川田順造の調査によれば、柳田の思い入れがあるようだ。またハーンの盆踊り記述を読み、自分も盆踊りを見て書いたモラエスの「徳島の盆踊り」解釈にも観念的な先入主が混じっているのではないか。日本人が死者たちと親しい関係にあるとモラエスは信じた。ハーンもモラエスも盆祭りを festival of the dead として見た。ところでロティやフランシス・キングが盆祭りを自分の物語のセッティングとして用いた異国趣味の作家であったのに対し、モラエスにとって盆踊りは自分がその輪の中にはいることを得なかった「死者の祭り」であった。その意味ではモラエスの『徳島の盆踊り』はアンチ・クライマックスで終る作品である。その拍子抜けした読後感をハーンの作物の読後感と対比すると、ハーンの特色が逆に浮び上がる。ハーンには自分は日本人の心の世界へ入り得たという喜びがあった。ハーンの文章を文学たらしめているのは、そのようなハーンの自信と喜びの中にひそんでいるのではあるまいか。