著者
高城 玲 Takagi Ryo
出版者
神奈川大学経営学部
雑誌
国際経営論集
巻号頁・発行日
vol.42, pp.11-29, 2011-10-31

本稿の目的は、タイ社会をマクロな政治経済的な制度論の分析のみではなく、日常の相互行為を通じて社会や秩序、政治経済が生み出されていくというミクロな視点からも照射するための予備的考察とすることである。同様の目的の為に先の拙稿〔2009〕では、ミクロな分析を特徴とするタイの人類学的な研究が、相互行為と社会秩序に関してこれまで如何なる議論を積み重ねてきたのかを整理した。その延長線上に本稿では、相互行為と社会秩序をめぐる問題に関して、タイの文脈を離れたより広い分野の研究が理論的にどのような議論を積み重ねてきたのかに焦点を当てて検討し、残された問題の所在と今後の研究視座を提示する。取りあげる理論的背景は、人類学あるいは周辺諸科学のものを対象とし、「方法論的個人主義-バルト」、「言語行為論-オースティン、サール」、「儀礼的コミュニケーションと日常的コミュニケーション-ブロック」、「エスノメソドロジー」、「共在の場における対面的相互行為-ゴッフマン」、「オートナーによる整理」、「ハビトゥス、戦略、象徴権カ-プルデュー」という7つの論点から整理する。結果、特にブルデューとゴッフマンの議論を中心に、プラクティスの議論を軸に相互行為の過程という視座から具体的な民族誌記述を重ねて行くことの重要性を導き出す。具体的には、今後の研究方向において、第1に、ゲームのセンスによって慣習的に遂行されていくプラクティスのやりとりのミクロな過程に徹底的にこだわり、相互行為と社会との連関に焦点を当てていくべきこと、第2に、その過程を具体的な場所と時を持った行為の場所から、微細な厚い記述のタイの民族誌的記述として明らかにすべきこと、という2点を課題として指摘する。研究論文