著者
高嶺 久枝 Takamine Hisaye
出版者
琉球大学国際沖縄研究所
雑誌
国際琉球沖縄論集 = International Review of Ryukyuan and Okinawan Studies (ISSN:21867933)
巻号頁・発行日
no.2, pp.49-51, 2013-03-29

琉球王国時代、朝貢関係にある中国皇帝の使いである冊封使を歓待するために創られた御冠船踊り(宮廷舞踊・古典舞踊)。私を踊り手として解放してくれるきっかけを与えてくれたのが、普天満宮先代宮司で、舞踊家の故新垣義志氏の創作、神楽舞「初穂」でした。この踊りは湛水流(古典音楽の古型)の音曲にのせ、祭式作法を取り入れ、かつて沖縄の村々の祭りを司った神女の姿で踊ります。そして稲穂を持ち、豊作は神の恩恵によるものとして'初穂'を神に捧げます。祈りの舞を踊る時、私の想いのベクトルは神聖な対象に向かい、精神の浄化を求め、かつ求められ、透明化していきます。舞の透明化をめざすべく、身体は観客に向かっている時でも、私自身の想いのベクトルは私自身の魂へ向き、または崇高なものへ向かいます。そして自分自身を内視します。その繰り返す行為が純化された精神的な世界へと導いてくれます。文字のない社会における島の女達は、時として神人になり、白い衣裳をまとって幾日も龍もり、心の内から発する歌と祈りの所作で男達を、子供達を、すべての人々を愛で包み、島の繁栄を祈りました。そして現世と来世をつなぎ、生を豊かに謳歌してきたと思います。文献にみる「舞踊」に関する言葉には、三つの系列があります。(1)「遊び」(神女の歌舞や船遊び、祭事における神事的な歌舞、行事をさす)・(2)「なより」(身振りのつく踊りで手の舞いはこねり)・(3)「舞い」の三つです。古代から「舞う」は鳥や蝶が飛翔するさまを表わすときに使います。それらは兄弟の航海を守護する「おなり(姉妹)神」の化身でもあると信じられています。神女達は果報を寄せる霊力を持つとみられ、「舞い合い」「群れ合い」によって波風を和めんとし、鷲の羽でつくった「風直り」を髪に挿し、薄衣装をはためかしてその飛翔するさまを舞います。神女達が御嶽の庭に降臨し、「なよる」のは、島を「直」す、すなわち和め、繁栄をもたらすためでした。「遊び」「なより」「舞い」は、言葉は違っても、「祈り」という点では、共通の意味合いをもっています。私は現代に生きる者として、女性(姉妹オナリ)のもつ霊力を表現した作品『風なおり』を1991年に発表し、先達の思いを、祈りの心を舞いに映し出してみました。現代に生きる古典舞踊は、時と場所を超え人々の生への共通のテーマを表現していると思います。舞う側の無駄を削ぎ落とし、昇華され、透明化された表現は、人々のもつ精神世界に触れ、蘇らせ、心の綾を象徴すると思います。私は生命あるものすべてに神の心が宿り、その神に生命養われたことへ感謝し、歌と踊りを神々に献じた先人達の智慧と愛に満ちた心を学びたいと思います。さらに、芸能に宿る今もむかしも変わらない愛と祈りの精神性を受け継ぎ、これまで培ってきた身体に宿る技と心のリズムで難な表現を可能に出来るようにし、創造・継承の使命を持ちつつ、日々の精進を怠らないように心がけたいと思います。