著者
高瀬 英彦 タカセ テルヒコ Teruhiko TAKASE
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集
巻号頁・発行日
vol.45, pp.247-255, 2008-01-31

十数年前、セーヌ川沿いのコンシェルジュリーのマリー・アントワネットの独房で、「ギロチン」とマリー・アントワネットが処刑前に書いた妹宛の「手紙」を見た.「マリー・アントワネットの遺言書」といわれているものだ.涙でにじんだ文字が痛々しかった.フランス革命という歴史を実感しつつ、歴史の残酷さに胸が痛くなったことを思い出す.その後、「ギロチンと手紙」はどこかへ消えた.リアルすぎて、一般の目に触れぬよう資料館に移され、保存されたようだ. 今年、ラファイエット百貨店近くの「贖罪礼拝堂」を訪れた際、その手紙が、コピーされて残っていた.そのコピーが手に入ったので記録のため、ここに再録して保存しておきたい. 手紙を読むと歴史上の女王というより、残してゆく子供たちを気遣う母親そのものの姿だ.歴史上の出来事、人物像については様々な観点から様々な見方がなされる.マリー・アントワネットについても同じで.彼女の生き方に同情もあれば非難もある.以下、本文では1)マダム・エリザベットに宛てたマリー・アントワネットの最後の手紙 (1)日本語訳 (2)直筆の手紙2)マリー・アントワネットの誕生から結婚までの概略3)国家財政の逼迫4)オーストリアへの亡命失敗と処刑の順で記録した.