- 著者
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米山 徹幸
Tetsuyuki YONEYAMA
- 出版者
- 埼玉学園大学
- 雑誌
- 埼玉学園大学紀要. 経済経営学部篇 = Bulletin of Saitama Gakuen University (ISSN:21884803)
- 巻号頁・発行日
- no.13, pp.101-110, 2013-12
英国の証券規制は、長年にわたり、自治の伝統に根ざす金融街シティーの自主規制機関に基盤を置いていた。サッチャー政権のビッグバン直後に成立した1986年金融サービス法は、貿易産業省(DTI)を所轄の監督官庁として、1988年4月、証券投資委員会(SIB)のもとに業務分野ごとに専門の自主規制団体(SRO)を配置する自主規制制度を導入した。1997年10月、労働党政府の下で、金融業界の多岐にわたる自主規制機関を一元的に統一し、金融サービス全般を監督する市場監督機関として金融サービス機構(FSA)が発足する。翌年にはイングランド銀行(BOE)から金融機関の監督権限が移管し、さらに2001年に施行された2000年金融サービス・市場法によって、FSAの監督庁としての立場はいっそう明快となった。 ところが、2010年5月の総選挙で保守党と自由党の連立政権が発足すると、2007年末に破たんの危機に陥った住宅金融銀行ノーザン・ロックに始まる同国の金融危機で、「誰も負債水準を管理できず、危機がやってきても誰も責任の所在をわからなかった」という政権内の指摘から、イングランド銀行(BOE)、金融サービス機構(FSA)、財務省による三者共同の金融監督体制は機能しなかったとして、FSAを解体し、金融機関を監督する権限の大部分がBOEに移管することになった。2012年金融サービス法に基づき、2013年4月、FSAは廃止となった。 本稿は、各金融業界の自主規制監督を一元化するFSA発足の経緯を世界最古の相互保険会社エクイタブルの破たんを中心に検証する。