著者
熊 華磊 XIONG Hualei
出版者
鹿児島大学
雑誌
地域政策科学研究 (ISSN:13490699)
巻号頁・発行日
no.10, pp.195-211, 2013-03

本稿の目的は,鹿児島県伊佐市忠元公園という花見の名所を事例として,地域社会における花見の定着と変遷の経緯を記述し,その中で,花見文化と地域社会とのかかわりを考察することにある。これまで,花見についての研究は主に日本の歴史における花見の展開に関する研究であり,現代日本の花見に関する研究も,そのほとんどが花見を日本という大きな枠組みで捉え,その形式上の属性に注目したものであった。しかし,花見が日本全土に広がったのは明治中期以後のことであり,各地域は,それぞれの置かれた環境の中で花見を定着させてきた。従って,花見を特定の地域と結びつけて考察する視点が必要であることや,また,花見を考える場合,花見という行為に目を向けがちであるが,花見が行われる場所にも目を向ける必要があると言える。伊佐市の忠元公園は,桜の名所として形成されて以来,2度にわたって桜の消失と復活を経験した。本稿は,その中の2度目の復活に焦点を当て,復活を成し遂げた背景には,地域社会の一般の人々による自発的な関わりが大きいという事実から,花見と地域社会との関係の解明を試みた。2度目の復活に関わった「忠元桜の会」の会員たちのインタビューから,花見は場所として一つの「共通基盤」となり, 地域社会の人々に「歴史的時間」や「娯楽的空間」の記憶を共有できる場を提供し, それによって形成された「集合的記憶」は, また地域の人々に花見の場所に対する共通の価値や意義を与え, さらにはそれが, 花見の場を復活し維持する「原動力」になったことを明らかにした。本稿は, 花見を地域社会との関わりという視点から現地調査に基づいて研究するという方法の可能性を示したが, 全国各地でこのような事例研究が蓄積されることによって, 日本人にとって花見がいかなる意味を有しているのかという, より一般的かつ大きな問題系への接近も可能となるであろう。This paper describes the historical process of Tadamoto park in Isa City in Kagoshima prefecture tobecome a popular sight for cherry-blossom viewing, and how the people around the park was involved in thepreservation of the cherry trees to maintain the park. Previous studies on cherry-blossom viewing always fellinto a general description and argument of cherry-blossom viewing in a wider context of Japan. Also theyalways focused on the cherry-blossom viewing from the viewers point of views. Thus, my study will focuson how cherry-blossom viewing is deeply related to regional society. The cherry trees of Tadamoto park were restored twice in the past. The study describes how and why the community people of Isa made such an effortto restore the cherry trees, and what did it meant to them. In conclusion, I argue that the place of cherryblossom viewing became a common base for the community people to give them a collective memory of theplace. Also I will maintain that the collective memory in turn contributed as a driving force for communitypeople to recover the cherry trees and sustain the place for cherry-blossom viewing.