著者
矢治 夕起 Yuki YAJI
雑誌
淑徳短期大学研究紀要 = Bulletin of Junior College of Shukutoku (ISSN:02886758)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.85-96, 2014-02-25

米国による本土空襲が必至となる中、1944(昭和19年)4月、東京都は都下の公私立幼稚園に対して休園・閉鎖、もしくは戦時託児所への転換を求める通牒を出す。多くの幼稚園が休園・閉鎖に向かう中、戦時託児所に転換して保育を続ける園も僅かながら存在した。その一つ、1941(昭和16)年に開園した江戸川双葉幼稚園は、1944年7月1日付で戦時託児所へと変わる。戦時託児所は、ほぼ年中無休で長時間保育をするよう規定されていたが、江戸川双葉戦時託児所では戦時託児所への転換後も、幼稚園時代とほぼ変わらない保育が続けられていた。東京都は幼稚園から戦時託児所に転換したすべての園に対して、戦時託児所としての基準の遵守を強く求めていたのではなかった実態が明らかになった。