著者
飯野 幸江 イイノ ユキエ Yukie Iino
雑誌
嘉悦大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.31-47, 2006-11-30

三井家の事業と同苗を一元的に統轄する機関として宝永7(1710)年に設立された大元方は、江戸時代を通じて同苗の総有財産を管理し、それを事業に投じることで運用し、その見返りとして各営業店から功納を受け取っていた。功納は大元方の主要な収益源で、大元方の収益のほとんどが功納であった。こうした大元方の経済活動は、大元方の決算書である大元方勘定目録を作成することで明らかにされた。大元方勘定目録は、財産計算部分、損益計算部分および期末資本計算部分から成り、今日の財務諸表に相当するものである。明治時代になって、大元方と併存する統轄機関として東京大元方が設立された。これ以後、各営業店からの功納は東京大元方に上納されることになり、大元方制度は事実上、崩壊することになる。大元方へは功納の代わりに東京大元方から為替金が送られ、これによる運営を余儀なくされた。こうして大元方の統轄機関としての役割は東京大元方に取って代わられ、明治6(1873)年に大元方は廃止された。これとともに160年以上にわたって作成され続けた大元方勘定目録も、その役割を終えることになったのである。