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言及状況
Yahoo!知恵袋 (1 users, 1 posts)
平城京に都が置かれていた奈良時代には、天皇の日常の住まいである内裏と、政務や儀式を行なう朝堂院は南北に接していました。
これはなぜかと言うと、奈良時代には天皇の政治に公私の区別がされておらず、内裏と朝堂院の区別や位置関係は、ただ単に唐の都・長安を模したものにすぎなかったからです。
つまり、当時は天皇の住まいと政務の場所を隔てる必要はなく、天皇の御座所こそが国家の政治の行われる場所であるという認 ...
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