40 0 0 0 OA 大日本地誌大系

著者
雄山閣編輯局 編
出版者
雄山閣
巻号頁・発行日
vol.第39巻, 1933

言及状況

外部データベース (DOI)

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建長寺を出ると第六天社が有ります。 『新編相模国風土記稿』には「四方中央鎮神社 五神各社なり〈東、八幡、西、子神、南、第六、北、熊野、中央、五大尊、各其所に鎮座す〉」とあり、この第六天社だけが現存しています。 https://t.co/ILtJnJ3ukL https://t.co/Re8eqP3cA4
伝北条高時の腹切やぐら。 『新編相模国風土記稿』には「腹切岩窟 小富士山の麓にあり、北条氏滅亡の時、残兵此に逃げて自殺せし地なり、近世まで遺骨を掘出すことあり、又古瓦をも多く掘出せし事あり、其瓦紋に三つ鱗ありと云ふ」とあります。 https://t.co/78NTWkzxaS https://t.co/oRmJfUJhgm
『新編相模国風土記稿』には「祇園天王社 松殿町にあり、永保年中新羅三郎義光の勧請にて神体は秘像と云伝ふ、[中略]又応永年中佐竹四郎義秀の霊を祀し社其屋鋪蹟にありしが、後年大破に及しより玆に合祀すと云ふ、故に土俗佐竹天王と称す」とあります。 https://t.co/YNvXLsLEt4 https://t.co/uN5sUbbhZm
この愛染明王像は『新編相模国風土記稿』巻73の鶴岡八幡宮の条 https://t.co/Tx7d7xHyJf に「愛染堂 楼門の西にあり、像は運慶の作〈長三尺〉、即八幡の本地仏なり」と書かれていた八幡大菩薩の本地仏だろうか? https://t.co/sbf5mY2K89
『新編相模国風土記稿』巻之七十(鶴岡 一) https://t.co/tHm4gstmwW によると、「建久二年若宮の背後、松ヶ岡に稲荷〈松岡明神と号す〉社ありしを、北方丸山に移し、其蹟に宮祠を建、八幡を勧請し、是をも鶴岡八幡宮と称す」 この北方丸山に移されたのが、今の丸山稲荷社です。
鎌倉の鶴岡八幡宮の本地仏も愛染明王でした。『新編相模国風土記稿』https://t.co/Tl7LOgNcM0には「愛染堂 楼門の西にあり、像は運慶の作、即八幡の本地仏なり」と記されています。 一方、『御殿司億持記』には「八幡大菩薩 本地阿弥陀」とあり、愛染・阿弥陀の両説があった事が判ります。 https://t.co/E0mTjQ34My

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