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道守
RT @HisadomeK: 『三宅記』で三島大明神一行が伊豆の島々を焼き出す時、劔御子が雇うのが「高根大頭龍ヲ始メ大小ノ神達」なのですが、これは「高根大棟梁」じゃないのかと昔から思っています。 静岡県菊川市に大頭龍神社って有りますが、「高根大頭龍」じゃ意味が繋がらないと思うの…
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科学技術の予見者としてのSF その実態と機能
@uncle_dagon @bys06412 遠藤周作はアポロ11号の月面着陸時に「これでSF作家は失業だな」とコメントしたそうです。 (ただ、私はこのコメントの出典を確認できていません) https://t.co/29Bi2WIMp7
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本居宣長全集
RT @HisadomeK: 本居宣長『答問録』の「神道の安心は、人は死候へば善人も悪人もおしなべて、皆よみの国へ行事に候、善人とてよき所へ生れ侯事はなく候」「よみの国は、きたなくあしき所に候へども、死ぬれば必ゆかねばならぬことに候故に、此世に死ぬる程かなしきことは候はぬなり」…
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「戦災孤児」の神話 : 「火垂るの墓」とその作者
清水節治『「戦災孤児」の神話 : 「火垂るの墓」とその作者』はこちらからダウンロードできます。 https://t.co/pMXAb4ysI8
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蘇民将来符の淵源をめぐって
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒出岡 宏 「蘇民将来符の淵源をめぐって」 『人文科学年報』第53号(2023) https://t.co/ELp3YfTRwy
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定印上に宝塔を載せる弥勒如来像の研究
@goshuinchou 検索したら「定印上に宝塔を載せる弥勒如来像の研究」の梗概が見つかりました。 https://t.co/M0ejIIxX1c
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承久記
慈光寺本『承久記』に記された、武田信光の「鎌倉勝バ鎌倉ニ付ナンズ。京方勝バ京方に付ナンズ。弓箭取身ノ習ゾカシ」という身も蓋もない鎌倉武士のリアリストぶりが大好きです。 #鎌倉殿の13人 https://t.co/3InOIHxI2u https://t.co/ZAd5jH3tKu
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神技寛永三馬術
@hyousen かっこいい度々平のパネル https://t.co/8doaPk7obB より https://t.co/mRUXg4De9E
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日本書紀纂疏 : 6巻
一条兼良『日本書紀纂疏』は国会図書館デジタルコレクション(図書館・個人送信資料)で読めます。 https://t.co/Jed71O8Jq7
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日本書紀纂疏 : 6巻
RT @HisadomeK: @akakize 一条兼良『日本書紀纂疏』巻第四に記された「三蛇毒気神、疑是八岐大蛇之化現歟(三に蛇毒気神、疑ふらくは是れ八岐大蛇の化現か)」です。 一条兼良も断言しているわけではありませんが。 https://t.co/9vEBs6on6i ht…
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日本書紀纂疏 : 6巻
@akakize 一条兼良『日本書紀纂疏』巻第四に記された「三蛇毒気神、疑是八岐大蛇之化現歟(三に蛇毒気神、疑ふらくは是れ八岐大蛇の化現か)」です。 一条兼良も断言しているわけではありませんが。 https://t.co/9vEBs6on6i https://t.co/xMFcdSdZdU
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大日本地誌大系
『新編相模国風土記稿』には、石雲寺の石五重塔は「御所の塔と唱ふ、来由詳ならず、手を触るれば祟ありと云、貴人の墳墓などにや」とあり、大友皇子の名は記されていないので、皇子と結び付けられたのはそんなに古くないのかもしれません。 https://t.co/fzYvBke2KG https://t.co/XoKTfSoMHI
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大日本地誌大系
『新編相模国風土記稿』の石尊社辺図 大山の山頂には、石尊社(本社)・小天狗社(前社)・大天狗社(奥社)の他、徳一社(祭神は大山祇尊)と風雨神社が鎮座していました。 https://t.co/3Jf39N0xhN https://t.co/xkZ5EofJz0
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大日本地誌大系
大山阿夫利神社本社(石尊大権現) 祭神は大山祇大神。 『新編相模国風土記稿』には「石尊社 当山の本宮にして山頂にあり。【延喜式神名帳】に載せし、阿部利神社是なり。祭神鳥石楠船尊。神躰秘して開扉せず(縁起に載せし往昔彩光を発せし像是なりと云)」とあります。 https://t.co/KD36VI3laW https://t.co/RoXCm5c8ww
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大日本地誌大系
二重瀧 『新編相模国風土記稿』には「瀧は堂の西に在、二段に落(上段高三丈六尺、下段四丈四尺幅六尺)、良辯登山の時、此瀧に瀧神出現の事、縁起に見ゆ」とあります。 https://t.co/KD36VIlup4 https://t.co/HWkpYwWwzO
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大日本地誌大系
大山阿夫利神社の摂社・二重社 祭神は高龗神。 『新編相模国風土記稿』には「二重堂 不動堂の北五六町を隔て、二重瀧の傍にあり、故にかく唱ふ、本尊は倶利伽羅明王なり、元禄宝永の二度造営を加へらる」とあります。 https://t.co/KD36VIlup4 https://t.co/B4iTFoBctx
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大日本地誌大系
大山阿夫利神社の摂社・浅間社 祭神は木花咲耶姫命・磐長姫命。 『新編相模国風土記稿』には不動堂(雨降山大山寺)の条に「浅間社 蔵王権現、毘沙門を相殿とす」とあり、挿図では不動堂の背後に鎮座しています。 https://t.co/4UHH2oOAdJ https://t.co/yBRsBdtIbz
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大日本地誌大系
大山寺 『新編相模国風土記稿』には「不動堂 雨降山大山寺と号す、本尊銅像(長三尺七寸、中興開山願行作)なり、二童子を置、(中略)天平勝宝七年僧良辯山頂に攀て不動を拝し、霊告を得て、不動の像を彫刻し、且堂舎僧坊等を造立す」とあります。 https://t.co/4UHH2p6JrR https://t.co/5mKpU58rZI
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大日本地誌大系
来迎院 『新編相模国風土記稿』には「来迎院 女坂の右にあり。密空山大山寺と号す。古義真言宗(八大坊末)、開山義範、寛治二年十月五日卒。中興弘誉、寛永九年正月三日卒。本尊弥陀。当寺は別当八大坊、及山上寺院の菩提寺なり」とあります。 https://t.co/phHGp04SWg https://t.co/WOgPBcxD9M
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大日本地誌大系
女坂と男坂 大山阿夫利神社下社への表参道で、ケーブルカーを使わない場合はどちらかの道を登ります。 『新編相模国風土記稿』には「山麓より坂本村の地二十二町を登り、前不動堂に至る。此所より左右に登る山路二條あり、右を男坂と云、左を女坂と呼ぶ」とあります。 https://t.co/rCEZtLHubn https://t.co/fqOI0mGymo
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大日本地誌大系
元瀧の傍の祠には高龗神と祓戸四柱神が祀られています。 『新編相模国風土記稿』に「飛瀧権現社 師職武栄太夫持」とありますが、この祠が飛瀧権現社に相当するのだろうか? https://t.co/rCEZtLHubn https://t.co/k4PWj4p8om
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大日本地誌大系
元瀧 『新編相模国風土記稿』には「本瀧、坂本町にあり(高一丈三尺余、幅一丈二尺)、瀧上に不動を置、瀧守武栄太夫」とあります。 https://t.co/0oHkLLyCDD https://t.co/HewoP1jpWe
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大日本地誌大系
開山堂(良辯堂) 『新編相模国風土記稿』には「良辨堂 良辨小児の像(猿のいだきし像にて自作と云、其の図上に載す)及四十二歳の像(自作、長二寸五分)を安置す。藤之坊持」とあります。 https://t.co/rCEZtLHubn https://t.co/uYIsAMgZrV
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大日本地誌大系
良辯瀧 『新編相模国風土記稿』には「良辨瀧、開山町良辨堂の辺にあり(高三丈二尺、幅二尺余)、行家二宇を建、瀧守藤之坊」とあります。 https://t.co/0oHkLLyCDD https://t.co/4cXC9Qw5E6
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大日本地誌大系
愛宕社・松尾社 『新編相模国風土記稿』には「愛宕社 享保元年の勧請なり。例祭七月廿四日。師職願成坊持。末社、松尾」とあります。 https://t.co/0oHkLLQLRL https://t.co/JDuqu2vFqT
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大日本地誌大系
愛宕瀧 『新編相模国風土記稿』には「愛宕瀧、福永町愛宕社の傍にあり(高二丈二尺余、幅一尺五寸)、瀧の左右に不動及倶利迦羅不動を安ず、瀧守願成坊」とあります。 https://t.co/0oHkLLyCDD https://t.co/xGnDfDcPu6
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大日本地誌大系
比比多神社の境内社 右から八雲社・日吉山王社、熊野社・稲荷社・淡島社、稲荷社、天満宮です。 『新編相模国風土記稿』には「末社 熊野 稲荷 山王 天満宮 弁天」とあります。 https://t.co/1abluchLbO https://t.co/gacgw9lbH4
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大日本地誌大系
比比多神社 祭神は神吾田鹿葦津姫命 (木花咲耶姫命)。 『新編相模国風土記稿』には「子易明神社 【延喜式】に載せし、当郡四座の内、比々多神社なりと云、(中略)村の小名子易、及隣村上下子安の鎮守なり、(中略)幣殿・拝殿・神楽殿・供所等あり」とあります。 https://t.co/1abluchLbO https://t.co/Ho0YcRtOJs
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大日本地誌大系
伊勢原大神宮の外宮 祭神は豊受姫大神。 『新編相模国風土記稿』には「外宮神躰木像(長四寸一分、背後の銘上に同)」とあります。 https://t.co/DT3dV78kru https://t.co/hSbhsrZpmU
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大日本地誌大系
伊勢原大神宮の内宮 祭神は天照大御神。 『新編相模国風土記稿』には「内宮の神躰銅像(長二寸、背に運慶十九代、大仏師田中刑部正徳四年午五月吉日と彫れり)」とあります。 https://t.co/DT3dV7qtFC https://t.co/SX7SqdFJZ0
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大日本地誌大系
伊勢原大神宮 『新編相模国風土記稿』には「神明社 村の鎮守なり、内外の両社並び建り、拝殿・神楽殿・供所等あり、(中略)当村開墾の頃勧請せし所にて、伊勢の神廟に擬し、二十一年目毎に社頭修理を加へ、遷宮の式あり、例祭六月十五・十六の両日なり、村持」とあります。 https://t.co/DT3dV78kru https://t.co/xeQDBPmPPF
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大日本地誌大系
伊勢原火伏不動尊 『新編相模国風土記稿』には「大覚院 知水山と号す。当山修験(江戸青山鳳閣寺配下)。開山聖真、慶安四年九月卒。本尊不動」とあります。 https://t.co/DT3dV78kru https://t.co/iRONgI5dOG
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国史大系
「宇摩志麻治命奉斎殿内於天璽瑞宝、奉為帝后、崇鎮御魂、祈祷寿祚、所謂御鎮魂祭自此而始矣」「令茲十宝謂一二三四五六七八九十而、布瑠部由良由良止布瑠部、如此為之者、死人返生矣、即是布瑠之言本矣、所謂御鎮魂祭是其縁矣」(先代旧事本紀) https://t.co/VHOFSbK9nZ
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古語拾遺
「凡、鎮魂之儀者、天鈿女命之遺跡」(古語拾遺) https://t.co/trCm8kGckB
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特選神名牒
伏見稲荷大社の下社・中社・上社の祭神については異説が多く、『特選神名牒』は諸説を紹介した上で大市姫命(下社)・宇迦之御魂神(中社)・須佐之男命(上社)の説を採っています。 https://t.co/g3oDIgaFZM
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日本歌学全書
和泉式部歌碑 『後拾遺和歌集』巻二十(神祇雑六) の詞書に記された伝説に因む歌碑です。 https://t.co/380Sc4k4lz https://t.co/sB6kZbnIj2
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続群書類従
中世の『諏訪大明神絵詞』にも「抑本国水内の郡善光寺別社ノ事。日本紀第卅には、持統天皇五年、遣勅使祭諏方水内神等と見えたり。(中略)是則当郡善光寺郭内の当社なり」と記されており、この時代には水内神に該当すると考えられていた事がわかります。 https://t.co/sG7JhKt3ve
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訓読日本書紀
善光寺の近くに鎮座する水内大社(健御名方富命彦神別神社)。 番組内では説明が有りませんでしたが、『日本書紀』巻第三十の持統天皇五年八月辛酉条に「使者を遣はして、龍田の風神、信濃の須波、水内等の神を祭らしむ」と記されている水内神の論社です。 https://t.co/Ll828vJNy0 #ブラタモリ
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公暁の法名について
舘隆志「公暁の法名について」(印度學佛教學研究, 61 巻, 1号, pp.164-167, 2012) https://t.co/52qzKFqZzd によると、公暁の読みに関する史料は無いが、その師である公胤については「コウイン」と記した親鸞直筆の史料が現存しており、公暁も公をコウと読まれていた可能性が高い。 #鎌倉殿の13人 https://t.co/GemV0FkYMG
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牛頭天王暦神辯
@tcuek_suzuki 以前、平田篤胤『牛頭天王暦神辯』 https://t.co/evdKyjVqtf に引用されているのを遡って『塩尻』の当該箇所に辿り着きました。 「密宗の次第物」が具体的に何だったか知りたいですね。天野信景は尾張の人なので、牛頭山宝寿院あたりに伝わったものかな?とか想像しています。
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塩尻 : 随筆
「牛頭天王の梵語〈密宗の次第物に見ゆ〉世に多く知る者なし……」は天野信景の『塩尻』。 https://t.co/cuqrmheNAL https://t.co/k5KziMRrBI
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大岡政談鰯屋騒動
落語「人情八百屋」は講談「大岡政談 鰯屋騒動」の発端を独立させたものだとは知っていましたが、講談からダイレクトに伝わったのではなく、浪曲経由で伝わったのか。 下記のリンクは国会図書館デジタルコレクションにある双龍斎貞鏡の速記本。 https://t.co/mFOHHolrVU https://t.co/FCEcve7x6G
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国史大系
RT @HisadomeK: @goshuinchou @Sawayaka_san 史料で茶が確認できるのは、『日本後紀』巻二十四(弘仁六年四月癸亥)。 嵯峨天皇が近江国滋賀の韓埼(唐崎)に行幸された記事中に「大僧都永忠、手づから茶を煎じ奉御す」と記されています。 https:…
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国史大系
@goshuinchou @Sawayaka_san 史料で茶が確認できるのは、『日本後紀』巻二十四(弘仁六年四月癸亥)。 嵯峨天皇が近江国滋賀の韓埼(唐崎)に行幸された記事中に「大僧都永忠、手づから茶を煎じ奉御す」と記されています。 https://t.co/MBWDpoGsmA https://t.co/KfrQU5ND8f
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延喜式 : 校訂
『延喜式』の内膳司(天皇の食事を掌る部署)の条に「萵苣(レタス)」が掲載されているのが確認できますね。 https://t.co/cvsfZCSBHk https://t.co/O7X4QxAfP4 https://t.co/uENDgXn6qj
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公事根源新釈
旧日本軍の「元帥」とは関係無くて、室町時代に一条兼良が有職故実について記した『公事根源』の「太元帥ノ法」の項に「此の帥ノ字をは讀まず、たゞ太元ノ法とよむが、口傳にて侍るなり」と書かれています。 https://t.co/LSnSRRRQha https://t.co/s7dCRwkTLd
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夜窓鬼談
@sakashima2 ちなみに、「くびれ鬼」の絵の元ネタは石川鴻斎『夜窓鬼談』の縊鬼。 https://t.co/XAdwY1GZ2A
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吾妻鑑
個人的は、平賀朝雅さんの最期の描き方にちょっと不満が有りました。 『吾妻鑑』に記された「仙洞で後鳥羽院と碁を打っている時、追討使が来た知らせが有ったが、動じずに目算を終えて、院に退出を願った」という場面が見たかったのですが。 #鎌倉殿の13人 https://t.co/S4XcHgcD6F https://t.co/Eor9FsZJNX https://t.co/tDxHZIVia4
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因果の小車
芥川龍之介が元ネタにしたのが、鈴木貞太郎(大拙)が邦訳したポール・ケラス『因果の小車』の「蜘蛛の糸」。 この原話では、仏陀は極楽ではなく閻浮提から蜘蛛の糸を下して犍陀多を救済しようとします。 https://t.co/L6Ses475nh
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続群書類従
人形劇では巴御前が木曽義高の母であるかのように描かれていたのですが、「木曽系図」(『続群書類従』第五輯上)では義隆(義高)に「清水冠者 母鞆絵」と注記されているので、鞆絵(巴)を母とする説も有ったようです。 #人形劇平家物語 https://t.co/zMg8opk9Tb https://t.co/C2n6tcZTOn
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大日本地誌大系
『新編相模国風土記原稿』には「【神名帳】に載る所当国の大社にして今も一宮と号す、社伝に祭神は応神天皇なり……」と記されています。ただ、応神天皇説も東国に八幡信仰が広まった後の説であり、本来の御祭神ではないと思われます。 https://t.co/YebbjzsBn5
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大日本地誌大系
『新編相模国風土記原稿』には「村の鎮守にて式内の社なり(【神名帳】高座郡小社五座之一)、今或は神明宮とも云、相伝ふ祭神は雄略天皇の皇后なりと云、本地は三尊弥陀」と記されています。 若日下部命を祀るのは、この所伝に基づくものでしょう。 https://t.co/Mz28hxx05Q
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日本文学全集
RT @HisadomeK: @u_saku_n 「はたをらくにする」説を弘めたのは、山本有三『路傍の石』(1937-38)に出てくる印刷所の老職工の言葉かと。 勤労と貯蓄の重要性を説く人生訓みたいなもので、語源として語っているわけではないのですが。 https://t.co/…
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日本文学全集
@u_saku_n 「はたをらくにする」説を弘めたのは、山本有三『路傍の石』(1937-38)に出てくる印刷所の老職工の言葉かと。 勤労と貯蓄の重要性を説く人生訓みたいなもので、語源として語っているわけではないのですが。 https://t.co/QOV1lFQa6k https://t.co/bSl5cvuFdD
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日本大蔵経
『金峯山秘密伝』によると、熊野は胎蔵界、吉野は金剛界であるのに対し、天河弁財天は両部冥会の蘇悉地として重視されます。 「天河伝説」というタイトルから、修験道関連の伝奇的趣向を期待して読んだのですけれど……ほぼ関係無かったですね。 https://t.co/lMNiwiQWdm
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神社と史蹟
@goshuinchou 鳴尾浦の漁師の網に神像がかかった時は「吾は是蛭児神なり。国々を廻りて今此処に来れり、是より西の方に好き宮地あり、彼の所に居らんと欲す。汝よく図らば幸を与へむ」と夢のお告げが有ったのでした。 https://t.co/j0Wn8XEoSj
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本邦に於ける動物崇拜
南方熊楠の「本邦における動物崇拝」によると、 「蜜蜂は神に捧ぐる蜜酒(ミード)を原造するを以て、神使となし、今も歐州に死人有れば、便はち家に飼ゑる蜜蜂に訃報を傳へて、樂土に報ぜしむ風あり」 https://t.co/n9Olb68Y8W https://t.co/bRxzJ9o8JZ
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三國相傳陰陽輨轄簠簋内傳金烏玉兎集
安倍晴明に仮託された『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』によると、五節句は牛頭天王が巨旦大王(巨端将来)を殺して屍をバラバラにした調伏の儀式に由来し、九月九日の黄菊の酒水は巨旦大王の血脈を表しています。 https://t.co/TGFqlDASap
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食道楽
村井弦斎曰く「脳髄が発育して上等の人種になる程食物の影響を鋭敏に受けます、丁度犬は腐つた肉を食べても平気ですが人はそれを食べると胃腸を害する様なもので、高等の動物になる程食物の影響に感じ易いのです」 https://t.co/ATL3HN21Cl
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食道楽
「食育」という言葉は、明治時代に村井弦斎が著した『食道楽』の第252章「食育論 小児の食育」で使われていました。 https://t.co/6tt59jDnhS #ちむどんどん https://t.co/10dwuZ2VQU
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大乗 : ブディストマガジン
国会図書館デジタルコレクションで検索してみたら、仏教雑誌『大乗』1956年6月号(図書館・個人送信資料)に岡本太郎の「ホラー映画」というコラムが掲載されていました。 なお、この岡本太郎氏が爆発の人と同一人物か否かは未確認です。 https://t.co/oFUs0TgmBv https://t.co/XvSPZ4VVDT
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国史大系
@hyousen 完全な断食じゃなく穀断ですが、日本でも『文徳天皇実録』巻六(斉衡元年七月乙巳条)に備前国の米糞聖人の話が有りますね。『宇治拾遺物語』や『今昔物語』でもネタにされていました。 https://t.co/fIKfeo2Pjg
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経済セミナー
@kasuga391 また、『経済セミナー』(1978年)にも、水田洋「内なる異世界を解放する 私の書架から」なる記事が掲載されたようです(国会図書館限定資料なので内容は未確認)。 https://t.co/KgbZuQeRAQ
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外国語・外国文学研究
@kasuga391 SF界以外の例だと、『外国語・外国文学研究』(1978年)に掲載された西堀ゆり「Macbeth試論」の副題が「異世界への旅立ち 解体と豊穣を求めて」でした。 https://t.co/FwQCpp3wv3
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源平盛衰記
なお、遠藤盛遠が袈裟御前を殺した話は『平家物語』ではなく『源平盛衰記』巻第十九の「文覚発心 附 東帰節女事」に記されています。 https://t.co/Q4fJ417mDY
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通俗元亨釈書和解
十一面法で有名なのが白山の開祖である泰澄和尚。 実在した人物かどうかは不明ですが、『元亨釈書』の泰澄伝には、天平八年に「天下疱瘡を煩ひ王公より士庶まで死する者」が多数出た時、「泰澄に勅して十一面観音法を修行し」、数日で疱瘡を終息させた事が記されています。 https://t.co/XYHmqTCE2P https://t.co/eKw6whpuqn
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古語拾遺
日本で一番古い面白い話。 『古語拾遺』によると、天照大神が天岩戸から出て来た時、八百万の神々は「あはれ、あなおもしろ、 あなたのし……」と歌いました。 #暴太郎戦隊ドンブラザーズ https://t.co/xVkqDQNUcd
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太平記
『太平記』には「雲景未来記事」という章があり、崇徳院を筆頭に、淡路廃帝(淳仁天皇)、井上皇后、後鳥羽院、後醍醐院らが悪魔王の棟梁と成って登場します。 https://t.co/nXJ0Nbsrno
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太平記
番組では省略されていましたが、大森彦七の眼前には源義経の他に平教経の亡霊も出て来ました。 保元・平治の乱、治承・養和の源平合戦、元弘・建武に至る様々な争乱で亡くなった武将の霊が集結しており、源義経・平教経は過去の争乱の代表者なのでしょう。 https://t.co/pENytZNcaM #100分de名著 https://t.co/OaGqxs6y7v
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電話計算システム
DIALSの機能やシステム構成については、広田憲一郎「電話計算システム」(『情報処理』1971年3月号)で解説されています。 以下のページからPDFがダウンロード出来ます。 https://t.co/mxA3qI37SZ https://t.co/ITFuDSzxhu
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太平記
『太平記』で一番好きなエピソードは「大森彦七事」。 湊川の合戦で楠木正成を破った大森彦七盛長が、千頭王鬼と化した正成の怨霊に襲われる! 現在語訳は須永朝彦さんの『日本古典文学幻想コレクション』の第1巻(奇談)などで読めます。 #日本怪奇幻想読者クラブ https://t.co/ucs7fJwhJm
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太平記
「三つ鱗」の由来は『太平記』の「時政榎島に参籠の事」に記されていますね。 北条時政が榎島(江ノ島)に参籠すると、「赤き袴に柳裏の衣着たる女房」(弁才天の化身)が現れて時政に神示した後、大蛇と化して海に去り、三枚の鱗を残しました。 https://t.co/svy7maVchV https://t.co/CyRSpUafEz
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続群書類従
『諏訪大明神絵詞』によると、諏訪大社の御射山祭の御狩でも本物の鹿は簡単には捕れなかったので、最終日(旧暦七月晦日)の下御では武士達は草鹿(草で作った鹿形の的)を射てから各自の里に帰ったそうです。 https://t.co/xs6iAunIYI
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続群書類従
神道五部書の中で三書より成立が早い『倭姫命世記』の豊受皇太神の項に「天御中主神御間城入彦五十瓊殖天皇即位卅九年七月七日天降坐」と記されています。これは豊受・天御中主神同体説を踏まえた記述だと思っていたのですが、違うのかな? https://t.co/vKwYR4ZMo0
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三國相傳陰陽輨轄簠簋内傳金烏玉兎集
RT @HisadomeK: 『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』によると、五節句は牛頭天王が巨旦大王(巨端将来)を殺して屍をバラバラにした調伏の儀式に由来し、五月五日の菖蒲結粽(ちまき)は巨旦大王の鬢髪を表しています。 https://t.co/TGFqlDRVcp
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近代日本文学大系
『頼豪阿闍梨恠鼠伝』巻之一で木曾義仲は日吉大社の末社「鼠の秀倉」(現在の鼠社)に「義仲急地平家を討ち亡ぼして禁闕を守護し、官位は頼朝に超えて、征夷大将軍になるならば、神田数多を寄進すべし」と祈念し、願書を納めます。これが頼豪と義高の縁となるわけです。 https://t.co/cur1pijMvW
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近代日本文学大系
『頼豪阿闍梨恠鼠伝』巻之三の頼豪出現の場面 https://t.co/p1fhS5lUQh 「時に不思議や、巌の下より一道の白気陰々と立ち昇り、巌石自ずから二ツに裂けて、内に一人の老僧あり」 https://t.co/oVJvqFHC06
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弘法大師全集
@gishigaku また、「降臨次第麗気記」によると、豊受大神が淡路三上嶽に天降って55万5555年、布倉宮で56万6666年、八輪嶋宮で57万7777年、八国嶽で58万8888年、丹波国比治山で59万9999年、与謝宮で61万1111年。以上を合計すると、豊受大神が天降ってから外宮創建まで349万9996年。 https://t.co/Dzir6vXwou
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源平盛衰記
@goshuinchou 『源平盛衰記』ですね。 「我天岩戸に有し時、落たりし剣也と仰す」 https://t.co/uKkKK7fBIf
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大友能直公御一代記 : 通俗絵入
@gishigaku 朝倉信舜のあらはしたる上記のくときに云く能直公古代の遺事を聞給ふこと御好みありて処々の老人を衆多召集め日々酒食を賜ひて懇に其の談話を御聞あり…… https://t.co/VVYA0yWn5S
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大日本地誌大系
峯ノ薬師(大覚山東慶寺) 『新編相模国風土記稿』には「薬師堂 別当三井寺基立は明応年時なりと云、本尊薬師〈木坐像長一尺三寸、行基作〉、是を峯の薬師と号す、或は三井の薬師と称して県中に名高き一区の旧跡なり」と記されています。 https://t.co/MpVaLFkoZI https://t.co/27gTra6kzc
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箋注倭名類聚抄
@goshuinchou 『倭名類聚抄』ですが、巻一の「陽烏」の項でしょうか? https://t.co/yTA4ZoJpfJ
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大日本仏教全書
@Kino_see 『阿娑縛抄』だとこの辺に書かれています。 https://t.co/wdOWVaeXAK
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大日本仏教全書
胎児を男子に転換するのは烏枢沙摩明王の変成男子法かな? https://t.co/wdOWVaeXAK #鎌倉殿の13人
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群書類従
祝部行丸『日吉社神道秘密記』には「八王子、俗形、束帯赤袍、太刀を帯す。千手。国狭槌尊。八十万神を引率して天降る」とあります。 https://t.co/A4nWrsMqkH
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国訳大蔵経 : 昭和新纂
そう言えば、天台智顗は『法華文句』で三光天子について「普香は是れ明星天子にして、虚空蔵の応作なり」と書いていますが、この説の出典は何なんだろう? https://t.co/VKQO1vvx9i
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源平盛衰記
@goshuinchou 木曾義仲は白山権現の三馬場に戦勝を祈願。 https://t.co/19iQq76b7o 合戦後には「義仲が力に非ず、偏に白山権現の御計にて平家は亡びにけり」と言い、金劔宮に馬を奉納しています。 https://t.co/zNbmJnFay7
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源平盛衰記
@goshuinchou 木曾義仲は白山権現の三馬場に戦勝を祈願。 https://t.co/19iQq76b7o 合戦後には「義仲が力に非ず、偏に白山権現の御計にて平家は亡びにけり」と言い、金劔宮に馬を奉納しています。 https://t.co/zNbmJnFay7
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源平盛衰記
@goshuinchou 木曾義仲の「火牛の計」が出て来るのは『源平盛衰記』の第二十九巻です。「四五百頭の牛の角に松明を燃して平家の陣に追入る」と書かれています。 https://t.co/I5lBkAwhG5
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国史大系
@goshuinchou 『釈日本紀』に引用された『天書』逸文によると、伊弉諾尊が温突血(カグツチ)を斬った時に赤霧が天漢(天の河)に達して星と成り、それが神と化して、磐裂(歳星)、根去(熒惑)、磐筒之男(太白)、磐筒之女(辰星)、経津主神(鎮星)と、五星の精が生まれました。 https://t.co/hddf4dWKPc
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三國相傳陰陽輨轄簠簋内傳金烏玉兎集
RT @HisadomeK: 陰陽道ちょっと面白い話。 安倍晴明に仮託された『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』によると、五節句は牛頭天王が巨旦大王(巨端将来)を殺して屍をバラバラにした調伏の儀式に由来し、三月三日のヨモギ餅は巨旦大王の皮膚を表しています。 https://t…
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大日本史料
慶長19年に東福寺の集雲守藤が浅間新宮(静岡浅間神社)について「又此神者、木花開耶姫、天津彦々火瓊々杵尊妻也」(『集雲和尚遺稿』)と記しており、木花開耶姫説は慶長年間にはある程度広まっていたと考えられます。 https://t.co/ZKMdFZDJRV https://t.co/ymXoWdeAN2
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備後叢書
近世資料では『備陽六郡志』は江熊天王社説。 戸出村を「此辺を疫隈といひけれど、いつの比よりか戸出、相田(相方か)、福田なとゝわかれり。 当社の境内を巨旦屋敷と云」 「祇園社祠記」によると、天平勝宝期に行基が当地を訪れ、牛頭天王の本地・医王善逝(薬師)を彫刻。 https://t.co/UrdVI4IFKI https://t.co/eJXMb73yzM
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東海道中膝栗毛
江戸時代には高倉山山上の古墳は「天岩戸」として信仰され、近くには参拝者相手の茶店も有ったそうです。 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』でも、弥次・喜多は外宮参拝の後に高倉山に登って岩戸を拝観していました。 https://t.co/ToX7Ow95gp
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群書類従
日金山の赤白二龍の事は『走湯山縁起』巻第五に記されています。 もし善悪の事が有れば、前兆として此の山岳が必ず震動する。これは神龍が喜怒している時であると説かれています。 https://t.co/x1XfsdjY1m https://t.co/mVlXqY8umW
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群書類従
『走湯山縁起』には、伊豆山権現の容儀を「俗躰、其の長は八尺、壮齢五十余、頭に居士冠子を戴き、身に白素衣裙を着し、健陀色の袈裟を係け、右手に水精念珠を持し、左手に錫杖を把る。柔和忍辱、慈悲和雅也」と記していました。 この神像では居士冠ではなく烏帽子ですが。 https://t.co/ckkzXZq5xI https://t.co/sZKZPTQ615
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大日本名所図会
『大和名所図会』を読んだら、春日大宮四所明神の項に「又或説には第四姫太神は武甕槌命の姫君にして、天児屋根の御妻女なり。故に平岡明神の相殿にまします」と書かれていました。 「天児屋根の御妻女」という説は他でも見ますが、「武甕槌命の姫君」説の出典は何だろう? https://t.co/AK9cjFK3eX
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国史大系
『釈日本紀』が引用する天書によると、五神と五星の関係は以下の通り。 ・磐裂は歳星(木星)の精 ・根去(根裂)は熒惑(火星)の精 ・磐筒男は太白(金星)の精 ・磐筒女は辰星(水星)の精 ・経津主は鎮星(土星)の精 https://t.co/hddf4dWKPc これだと、金星に対応するのは磐筒男神になります。 https://t.co/fJW3ltnQJj
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三國相傳陰陽輨轄簠簋内傳金烏玉兎集
@turuga7000 @furunomitama 『簠簋内伝』も本によって「毘盧遮那如来の化身也」の記述が有ったり無かったりしますね。 『日本古典偽書叢刊』第3巻は有りですが、国会図書館デジタルコレクションのこの本には有りませんでした。 https://t.co/nhdOCJ8n33
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大日本仏教全書
『阿娑縛抄』に「双身八曼荼羅抄六に云。昔国在り、都鉢羅国と名く。其の国〇大疫癘発し、人民皆悉く病死す。時に国王発願念仏し、観音に帰依す。時に十一面観自在菩薩、十一牛頭毘沙門と変化し、毘沙門亦十一面牛頭摩訶天王と現る」と書かれているのです。 https://t.co/b78Wf3F4Ul https://t.co/GYfEVpJiqI
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蘇民将来符の淵源をめぐって
PDFあり。 ⇒出岡 宏 「蘇民将来符の淵源をめぐって」 『人文科学年報』第53号(2023) https://t.co/ELp3YfTRwy
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日本伝説叢書
「伏姫籠穴」が現在の状態に整備されたのは1995~97年ということですが、文献を遡ると大正期には「伏姫が窟」「伏姫の窟」などと呼ばれていたようで、1919年刊行の『日本伝説叢書 安房の巻』に記述があります。若き日の若山牧水が、恋人と共に訪れたという話もあるようで。 https://t.co/l7L2uXKCyW
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「仏頂尊勝母成就法」の研究
@ikkaisai いや確かにチベットでよく祀られる仏様ではあるようですが、仏説一切如来烏瑟膩沙最勝総持経は件の仏様について説かれたお経のようです おそらくは説明にあるように中国で作られたものなんでしょう ちなみに大正蔵で調べたところ、経文と図の内容が一致したので間違いないかと https://t.co/Iy8BRgiYFz
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