1 0 0 0 OA 福岡県史資料

著者
福岡県 編
出版者
福岡県
巻号頁・発行日
vol.第1輯, 1935

言及状況

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>ほぼ筑前國一円を支配した黒田氏による福岡藩の石高は47万3,000石との事ですが、 時代によって石高が違いますが、まず幕府が黒田家に与えたのは旧小早川領30万石余で、黒田領となった後の高直しにより慶長10年(1605年)に石高52万2416石余が表高として認められ、やがて1664年の寛文印知の時に表高43万3100石が正式な石高となります。この石高は分知した支藩である東蓮寺藩4万石と秋月藩4万 ...
大名の石高として一番引用されているのは藤野保『新訂 幕藩体制史の研究』(1975年出版)だと思いますが、それによると小早川秀秋の所領は慶長4年の時点で35万7450石、慶長7年10年の時点で51万石とされています。ただ本書の脚注によると 「(185) 日本の学界には信頼に値する「大名一覧」すら今日までなお存在するに至っていない。とくに「日本史料集成」所蔵の「大名一覧」は単に誤植とは思われない ...
「筑前・豊後・長門」に限って言うのであれば、江戸時代初期の慶長郷帳・国絵図の時期からの郡別石高が総て判明しております。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%9B%BD%E9%83%A1%E5%88%A5%E7%9F%B3%E9%AB%98%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7 一方太閤検地の時代となると、筑前に関しては小早川 ...
太閤検地については様々な写本が残っておりますが、ある程度まとまった郡レベルでの村の石高の詳細が残っているものとしては、以下のものが知られています。 ● 「筑前国田畠之高村々差出前之帳」 小早川秀秋の筑前の所領34万4261石6斗4升8合2勺で実施された検地で、村単位での田畠数・石高の詳細が記載されており、『福岡県史料 第1輯』に活字化されています。 http://dl.ndl.go.jp/i ...
速水氏のオリジナルの文献が手元にないので詳しくは検証できませんが、速水説の場合、中進国である尾張・美濃の人口増加は1600年から1650年の間に1.89倍、1650年から1700年の50年間の間に1.124倍で、その後は幕末までほぼ一定としています。1670年から幕末まで人口が1.124倍となり、馬の頭数が0.55倍となったとすると、1670年から幕末までの間に、馬の頭数の人口に対する割合はほぼ半 ...

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