出版者
国民文庫刊行会
巻号頁・発行日
vol.経子史部 第6巻, 1932

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@satohkun_ 拓跋儀の率いる軍の人数が『魏書』巻2 https://t.co/tFYwj0oDvT と食い違っていて、謎ですね……。「太祖遣捕寶中山行人……」は『資治通鑑』https://t.co/8Ml2LC84Cu と比べると、軍勢ではなく使者を捕らえたということのよう気もします。「容態を離解」と「晋書95-2」も気になりました。
九月の「告津」を「津に告げ」と読んでみたけど、意味不明な気がする。 『資治通鑑』巻108 https://t.co/8Ml2LC84Cu の「珪使所執使者臨河告之曰:「若父已死,何不早歸!」」の「告之」と形は似ているけれど文脈からそんなことまで読めないし……。 それとも「戦勝祈念の祝詞をあげた」的なこと?
@satohkun_ お得情報(?)なのですが、『資治通鑑』巻94 https://t.co/IMon50L4lW の注によりますと、『晋書』巻67温嶠伝とも共通する「至於首啟戎行」のところは小雅・六月の「元戎十乘、以先啟行。」が典拠なのだとか……。
@satohkun_ 昨日の味方は今日の敵、という感じがばりばりの回でしたね。 ところでここの「結婚」は、苻登の妹と乞伏乾帰が結婚したということのようです。 https://t.co/x7phNquP0Y
@satohkun_ 「詭道」には「間道;捷徑」という意味もあるらしいので https://t.co/wwet09Wjuo もしかしてそれなら意味が通ったりするのかな、と思いながら『資治通鑑』 https://t.co/x7phNquP0Y も開いてみたら、なんだか『魏書』とは内容にずれがあるように見えてしまい、頭がパンクいたしました。
『資治通鑑』巻103の咸安元年⑱ https://t.co/m4TemDwaRL に、桓温が術士の杜炅という人に占ってもらって「明公は、勳、宇宙に格(いた)り、位、人臣を極む」https://t.co/Bkpxb6F05f と言われた話があるのを知り、もしかしたら桓温が宇宙大将軍と号していた世界線もあったかも、という電波を受信。

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