8 0 0 0 OA 備後叢書

著者
得能正通 編
出版者
備後郷土史会
巻号頁・発行日
vol.第2巻, 1935

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近世資料では『備陽六郡志』は江熊天王社説。 戸出村を「此辺を疫隈といひけれど、いつの比よりか戸出、相田(相方か)、福田なとゝわかれり。 当社の境内を巨旦屋敷と云」 「祇園社祠記」によると、天平勝宝期に行基が当地を訪れ、牛頭天王の本地・医王善逝(薬師)を彫刻。 https://t.co/UrdVI4IFKI https://t.co/eJXMb73yzM
『備陽六郡志』(「備後州品治郡早苗山天龍院天王寺祇園社祠記」の引用以外の箇所)でした。 https://t.co/UmNVyQuNSl
『備陽六郡志』所収の「備後州品治郡早苗山天龍院天王寺祇園社祠記」によると、天平勝宝年間に行基が備後国に来て当社に法楽を捧げると、「吾は浄瑠璃界の主である、衆生を済度するためこの地に現れた」と神託があり、行基は医王善逝(牛頭本地)を彫刻しました。 https://t.co/UrdVI4qwwA https://t.co/XiA8Bfhu7h
ウィキペディアの素盞嗚神社 (福山市新市町戸手)には、「一般に牛頭天王の本地仏は薬師如来であるが、当社の観音祭祀の理由は不明である」とあるが、『備陽六郡志』https://t.co/pskvwyJaDTには「医王善逝(牛頭本地) 聖観世自在(天徳神、本地蘇民将来也)」とある。

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