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慶長6年(1601)正月6日、山科言緒が従五位上に叙された際の位記。反古を漉き返した宿紙を用い、紙色は薄墨色。「天皇御璽」3顆を捺す。鷹司信房ら公卿の連名があるが、いずれも自署ではない。この年は関ヶ原の戦いの翌年で、連名中には豊臣秀頼、徳川秀忠の名も見える。また、内大臣正二位朝臣とあるのは徳川家康である。山科言緒(ときお。1577-1620)は当時25歳、父は言経(ときつね。1543-1611)。天正13年(1585)父言経が勅勘を蒙り、慶長3年徳川家康のとりなしで許されるまで、一家は13年余にわたり堺などに流寓した。言緒は慶長4年内蔵頭、6年10月右近衛少将となり、最高官位は参議従三位に到った。日記『言緒卿記』がある。根岸武香(1839-1902)収集の冑山文庫旧蔵。

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