著者
橋本実 校
出版者
雄山閣
巻号頁・発行日
vol.中世篇, 1938

言及状況

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足利尊氏が征夷大将軍を望んだのは、鎌倉で起きた中先代の乱を平定する為に関東に下る時の話で、それよりも前の事として、後醍醐天皇が護良親王を征夷大将軍に任命した、その動機として『足利尊氏を征夷大将軍にするよりは危険が少ないと考えたのではないか』と推測されている、って話だと思いますが、それはさておき… 『征夷大将軍=幕府(武家政権)という認識』は勿論成り立っていませんよ。 全くの名目ではあっても、征 ...
ひょっとして誤解がありそうな感じがします。 原文は漢文調で、かつ見にくいけど↓で見られます。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463870/7 ~~ 一、雖帶御下文不令知行經年序所領事 右當知行之後過廿箇年者任右大將家之例不論理非不能改替而申知行之由掠給御下文之輩雖帶彼状不及敍用 ~~ 『一、雖帶御下文不令知行經年序所領事』は、幕府が発行した下 ...
『出兵自体をやめろ』と言う内容ではありませんが、文禄の役に際して、秀吉自身が朝鮮に行く事を後陽成天皇が止めようとしました。 秀吉自身の渡海に反対したのは、後陽成天皇だけではなく、むしろ徳川家康や前田利家などの有力大名が反対したから、と言うのが当時の武士達の中の一般的な理解だったようですが、『自分が言っても、全く無駄って事は無い』と後陽成天皇も思っていたから、言ったのでしょうね。 ただ、天皇の言 ...
足利尊氏個人の本心は私には分かりませんが、公式にはそうです。 建武式目の最後の方に 遠延喜天暦両聖之徳化、近以義時泰時父子之行状、為近代之師 (原文は↓) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463870/30 と、足利尊氏が手本とする過去の人物として、遠くの醍醐・村上両天皇と並んで、北条義時・泰時親子を『近代之師』として、挙げていますからね。 建武式 ...
いや、征夷大将軍になっても、幕府は開けませんよ。とりあえず、源頼朝以降に限っても、護良親王は建武の新政の時の征夷大将軍ですが、護良親王が幕府を開いた、なんて誰も言いませんよね。それは、『征夷大将軍になると幕府が開ける』なんて事はないからです。 “幕府”とは大辞林 第三版の解説に ① 〔戦場で、幕を張って将軍の陣営としたことから〕 将軍の本営。柳営。 ② 近衛府の唐名。転じて、近衛 ...
仰りたいのは、『天皇から征夷大将軍と言う役職を与えられた事が、支配者としての正統性の源であるはず。天皇の権威を貶めるのは自己矛盾』って事ですよね? 幕府と朝廷の間の緊張関係がほぼ解けたのは家光の頃です。徳川家康は後陽成天皇の後継を誰にするかにも介入していますが、後で申し上げる様にこれはまだ慣習に背いていない方で、紫衣事件は天皇の勅許を後で幕府が否定したもので、それも僧侶に権威付けをしてやると ...
>征夷大将軍は帝の命を受けて就任するはずです。 >源氏は天皇の臣下ですから。 まぁ、形式って言うか外見は確かにそうではありますが、実際には『天下の実権を握る者は天皇に指図出来る』と考えられていたからこそ、実際に指図した訳でして… >諸国大名はそこまで家康に隷従したのでしょうか。 むむ?家康が天皇に指図したのを各大名は文句を言わなかったのは家康には逆らえないからで実は嫌々だ ...

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