3 0 0 0 将棋月報

出版者
将棋月報社
巻号頁・発行日
vol.T13, no.7, 1924-07

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溝呂木光治「朝鮮より」『将棋月報』1924年8月号 7月号の続き。1926年に釜山日報主催の南鮮将棋大会が行われたとあるが、これは1926年2月27日付の『釜山日報』で社告が出ており、3月12日に行われたようだ #まいにちNDLDC https://t.co/nfdBYlceiB
溝呂木光治「朝鮮より」『将棋月報』1924年7月号 東京に戻っていた溝呂木が、朝鮮に外遊した際の動向を記述したもの。当時旅にどれくらい時間がかかったかということも分かり良い資料である #まいにちNDLDC https://t.co/nfdBYlceiB
「東西大棋戰」『将棋月報』1924年7月号 1922年11月18日に大阪で行われた、神田辰之助と溝呂木光治の対局。朝鮮より帰京とある 『京城日報』は1922年11月7日付~12月1日付まで池田卯八・高橋其木両五段の対局を4局載せているが、帰京のための穴埋めだったのか #まいにちNDLDC https://t.co/XG8qNYg5m7
「有段者(四) 」『将棋月報』1924年7月号 関根名人の免状授与名簿の4回目。 この時期は福岡から朝鮮満州へと旅にでかけていて、その時に免状を出したようだ。五級初段とちょっと変わった形で、朝鮮人で免状をもらっている人がいるのは特筆すべきところ #まいにちNDLDC https://t.co/LW8m3rdW23
島田「棋遊隨筆(四) 」『将棋月報』1924年7月号 島田與平五段の回想録。1922年10月に釜山で園田豊二段と対局したもの。 『京城日報』は1922年12月から翌2月が欠号だが、島田五段歓迎會席上対局での園田戦は確認でき、この対局も掲載されていた可能性がある #まいにちNDLDC https://t.co/WZbp8sQX0C

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