おがちゃん (@apout1992)

投稿一覧(最新100件)

2 0 0 0 将棋月報

飯島正朗、敗退戦『将棋月報』1940年10月号 加藤竹次郎五段対花村元司三段戦 花村は1943年に升田と指して三香角で勝ち越し定香で負け越して指し分けだったそうだが、3年前に香落下手で加藤五段に勝っている。さすがにこれで升田が角を落とすのは手合違いだった #まいにちNDLDC https://t.co/71P4c3Jpxs
朝日新聞記者・観戦記者である吉井栄治の、文学青年時代の足取りを織田作之助書簡から探ってみました。『海風』7号に掲載された「悲しかればこそ」の織田評が中心です。よろしくお願いします。 https://t.co/xImLqeLOYm
RT @kotani_eisuke: 将棋に注目して芥川の生涯を追うと、芥川龍之介の晩年が全く違ったように見えてきます。芥川が生涯、文学をめぐってどのような軸で考えていたのかが分かってきます。 小谷瑛輔「文学は遊戯か――芥川龍之介と『新思潮』派の同人たち」『将棋と文学スタディ…
RT @kotani_eisuke: 芥川龍之介や菊池寛を輩出したことで有名な『新思潮』派は、遊戯を排する文学グループとして登場し、他方では遊戯的文学観を提示したりと、内部対立も含めて揺れ動き続けました。その問題を論じた拙論が掲載された『将棋と文学スタディーズ2』が出ました。p…

1 0 0 0 近代将棋

中島富治「搖れる連盟 」『近代将棋』1953年8月号 連盟理事となった坂口允彦・建部和歌夫・松下力の紹介がある。松下は「時事新報の棋戦では前に五人抜きに成功し、今度は十二人抜の偉功を立てた」とあるが、これは現在でも棋戦優勝として扱われている #まいにちNDLDC https://t.co/3jlHTsia2X

1 0 0 0 近代将棋

生出拙哉「中島融雪翁を語る」『近代将棋』1956年3月号 中島富治追悼特集で、共に奨励会を作った生出が回想したもの。大正12年頃に中島は菊池寛に免状をとらせまいと一生懸命になっていたとある。免状の濫発に反対していたとあるが、この辺りの事情を知りたい #まいにちNDLDC https://t.co/DOInZgzb9U

1 0 0 0 近代将棋

影山稔雄「将棋物語」『近代将棋』1951年3月号 諏訪三郎宅で倉島竹二郎と出会い将棋を指した話など。倉島は当時市川で母と甥の久冨君(久冨物のモデル)と三人で暮らしていたらしい。最後は真珠湾攻撃に関連する将棋の悲しい話で終わる。 #まいにちNDLDC https://t.co/DOInZghAim

1 0 0 0 朝日年鑑

『朝日年鑑. 1949年版』朝日新聞社,1948 塚田大山の名人戦を振り返っているが、専門家では塚田勝ち、一般ことに関西では大山勝ちを予想していたとある。第3期A級では升田木村丸田が期待されており、大山の評価は当時さほど高くなかったようだ #まいにちNDLDC https://t.co/CJqZ83c7re

1 0 0 0 朝日年鑑

『朝日年鑑. 1947年版』朝日新聞社,1947 戦後すぐ『週刊朝日』で将棋を掲載していた朝日であるが、この頃は掲載がなく記述も控えめ。末尾の「機會をねらつてゐるのも面白い」は囲碁に関しての記述であるが、この後の朝日の動きを考えると意味深である #まいにちNDLDC https://t.co/kXh8QVY3ZF

4 0 0 0 近代将棋

>>プロの対局で、持ち時間が各4時間の将棋は、平成二年十月一日から夕食休みが廃止になった。午後六時ごろになると、一方の残り時間がほとんどなくなる場合が多く、休憩すると味が悪くなるからだ。 田辺忠幸「将棋界高みの見物」『近代将棋』1991年2月号 https://t.co/lsyxcj6JCV

1 0 0 0 朝日年鑑

『朝日年鑑. 1944年版』朝日新聞社,1943 この年は満洲国大成会創立がニュースであるが、将棋大成会の構成に中央本部(東京)、関西本部(大阪)の次に満洲国大成会(新京)とあり、かなり大きな事業であったことが窺える。 #まいにちNDLDC https://t.co/VMvTThMxdr

4 0 0 0 OA 朝日年鑑

『朝日年鑑. 昭和15年』朝日新聞社,1939 1938年11月10日に開催された関西社交倶楽部将棋大会に、木村名人、金・木見・早川・神田八段の他に坂田三吉も出席。将棋界の多くの問題が解決したことを象徴している 保護期間満了のため、インターネット公開資料 #まいにちNDLDC https://t.co/iea92OiNfp

23 0 0 0 OA 朝日年鑑

『朝日年鑑. 昭和14年』朝日新聞社,1938 1938年2月3日付で菊池寛が三段になった記事がある。木村義雄が名人に就位する直前のため、関根名人が授与している。 保護期間満了のため、インターネット公開資料 #まいにちNDLDC https://t.co/QpBq6gy4b0

2 0 0 0 OA 朝日年鑑

『朝日年鑑. 昭和13年』朝日新聞社,1937 坂田木村・坂田花田戦の記事があるのだが、「坂田名人再度敗る」として、坂田を名人としているのが朝日新聞社の特徴。末尾の高段棋士でも名人に坂田の名前がある 保護期間満了のため、インターネット公開資料 #まいにちNDLDC https://t.co/iDgV7y8U7Z

1 0 0 0 朝日年鑑

『朝日年鑑. 昭和12年版』朝日新聞社,1936 この年は、朝日新聞社側から見た神田事件の事情と大合同による将棋大成会誕生について書かれている。朝日将棋欄の名記者であった桑島俊の訃報記事もあり #まいにちNDLDC https://t.co/MIWMEebijt

2 0 0 0 朝日年鑑

『朝日年鑑. 1935年版』朝日新聞社,1934 坂田三吉が大朝を去るというビッグニュースと、十一日会誕生に記事を割いて経緯を説明している。「坂田名人の心境何の幻映によるか」という記述に困惑したものを感じる。 #まいにちNDLDC https://t.co/SNdViMTAvF
>>戦時中、全国有数の軍需生産地帯となつた名古屋地方は(中略)中部日本新聞社は用紙の特別割当をうけ、十九年三月一日タブロイド四頁の『中部日本新聞戦時版』を発刊し、主として生産の面に働く人々を対象として諸者の要求に応えた。 『地方別日本新聞史』日本新聞協会,1956 https://t.co/QRBjXjA4gD

1 0 0 0 毎日年鑑

ちなみに戦時版とは、徴用などで働いている層向けに発行された新聞で、中部日本のほか五紙が発行していました >>▲勤労読者を対象として毎日、読賣、西日本、中部日本、大阪新聞五紙が十九年三月からタブロイド型の日刊戦時新聞を発行す 『毎日年鑑. 1945』 https://t.co/mnDb9cSKuA

1 0 0 0 OA 朝日年鑑

『朝日年鑑. 昭和8年』朝日新聞社,1932 「聯盟決議案」として6つのルールが掲載されているが、遅刻を消費時間に参入することが明記されている。午前十時開始で対局十分前参集ともある 保護期間満了のため、インターネット公開資料 #まいにちNDLDC https://t.co/jQwEtYnCf5

5 0 0 0 OA 朝日年鑑

『朝日年鑑. 昭和7年』朝日新聞社,1931 大阪朝日リーグ戰成績表が掲載されているが、村上真一六段が9勝1敗と圧倒している。村上八段は、年齢的にもこの頃が全盛期だったのだろうか 保護期間満了のため、インターネット公開資料 #まいにちNDLDC https://t.co/gRQVq6DTJe

1 0 0 0 OA 朝日年鑑

『朝日年鑑. 昭和4年』朝日新聞社,1928 この年は、各新聞雑誌の掲載状況が掲載されている。【廣告應用】として「電車切符裏に詰手を廣告に利用」とあるが、どこの鉄道会社のものであったのか気になる。 保護期間満了のため、インターネット公開資料 #まいにちNDLDC https://t.co/hw54GDfwki

1 0 0 0 朝日年鑑

『朝日年鑑. 1928年版』朝日新聞社,1927 朝日年鑑において初めて将棋の欄が設けられたのはこの年。御城将棋の図から始まり、坂田三吉名人の立場から将棋界の現状に触れている。現代棋家も、坂田派の棋士の名前が多く見られる #まいにちNDLDC https://t.co/J6iHEQpBBC

3 0 0 0 文藝

織田作之助「感想」『文藝』1940年7月号 織田作之助の代表作として知られる「夫婦善哉」が第一回文藝推薦作品となった時の文。藤澤桓夫と将棋を指した話から始まり、「端の歩を突いたやうな小説」等と将棋を比喩にしている。『合駒富士』は同年10月からの連載 #まいにちNDLDC https://t.co/ZJHI0KJbQp

1 0 0 0 朝日年鑑

『朝日年鑑. 1941年版』朝日新聞社,1940 >>木見八段門下の大山康晴氏は十五年三月四段に昇格した。十八歳。四段中の最年少者で岡山縣阿知町の出身。 大山名人の四段昇段は1940年3月であるとの記述がある。 https://t.co/iXVIUTkHeY

2 0 0 0 風俗

長松三太郞「緣日ある記『七』はめ手將棊」『風俗』1917年4月号 大道詰将棋は街頭での棋書販売から始まったとされるが、その嚆矢として知られる野田圭甫の大正6年頃の縁日での様子。この頃はまだ詰将棋は出題していないようである #まいにちNDLDC https://t.co/3y8e9erLnA

5 0 0 0 OA 新聞五十年史

伊藤正徳『新聞五十年史』鱒書房,1943 「讀賣の躍進と經營の特質」で囲碁将棋欄の創設などに言及した後、「往年の黒岩涙香による萬朝報を再現したことは疑ふべくもない」と結んでいる。新聞販促の手段として将棋が使われた時代 #まいにちNDLDC https://t.co/2pYJIVzC3G
『休日を楽しくすごす遊び方』日本織物出版社,1953 緩くゲームを紹介する本。将棋のルールを紹介しているなかで、エチケットに反するものとしているものに「待ち駒」がある 昭和28年になっても、ファンの一部には待ち駒の是非が論じられていたようだ #まいにちNDLDC https://t.co/5tPksQilsS

3 0 0 0 経済ライフ

「国鉄アイデア商法――「お座敷将棋列車」と「SLハンバーガー」 」『経済ライフ』1981年7月号 昭和56年夏の企画として、国鉄が「大山名人と行くお座敷列車の旅」を開催する記事。西浦温泉ということは銀波荘に泊まったのだろうか。詳細が知りたい。 #まいにちNDLDC https://t.co/DrM3brZXk2
納賀雅友「海運一本に生きて来た四〇年間」『海運』1957年7月号 「(船)成金」という言葉が将棋由来だという話があるのだが、大正年間は主要紙が将棋欄を設けるようになった時代である。新聞棋戦により、将棋用語が流行語になるほど浸透していったのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/rFGvNfEjTE
須賀川 太郎「社命を帯びて北米から南米へ」『海運』1951年12月号 ニューヨークの日本クラブで将棋を指していた野口英世に「本を読みますか?」と聞き、「読みません。本を読んでいると時勢に遅れます」と返事が帰ってきた話がある。将棋を指しても時勢に遅れなかったようだ https://t.co/HF1rgSSuZD

3 0 0 0 将棋一路

>>三段に昇ったのが、十四年の暮れ、十七歳のときであった。三段になってからはまた順調で、翌年の二月には早くも四段に昇った。昇段成績も良く、十四勝一敗であった。一敗は対松田辰雄(故人、八段)戦であったと記憶している https://t.co/Lo4ij6hPIz

3 0 0 0 OA 法令全書

『法令全書. 明治17年』内閣官報局,1887 明治17年に通達された海軍省の懲罰則の11条に、囲碁や将棋はその戯具を携帯しているだけで処罰されるとある。賭博と同一視されていたことがわかるが、いつから慰安として広く指されるようになったのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/v5O2a11fEk

2 0 0 0 和歌山県史

『和歌山県史. 近現代史料 1』和歌山県,1976 明治10年に禁止が解けた将棋は、明治13年の遊技場規則において、役所に届けることで営業ができるとされている。ただし、「金銭物品ヲ授受スヘカラス」とあり、賭博に対する警戒が見られる #まいにちNDLDC https://t.co/7UBo615dXD

1 0 0 0 和歌山県史

『和歌山県史. 近現代史料 4』和歌山県,1978 明治9年の県税の施行における「県税徴収方法書」の十六に 「碁将棋集会所ノ儀ハ於当県弊害有之、停禁申」 とある。和歌山県ではこのように囲碁将棋が賭博として一時禁止されていたが、全国的にはどうだったのだろう #まいにちNDLDC https://t.co/PJxFTJJ7UZ

1 0 0 0 和歌山県史

『和歌山県史. 近現代史料 8』和歌山県,1984 明治5年10月の布達において、闘鶏と並んで、将碁が賭博であるとして営業を禁止している なお、明治10年の違式詿違条例で将棋の項が消えており、和歌山県で将棋営業が禁止されていたのは5年間のようである。 #まいにちNDLDC https://t.co/cs5Pmnpv4M

2 0 0 0 和歌山県史

『和歌山県史. 近世』和歌山県,1990 、江戸時代の民衆が親しむ娯楽に触れた項目で、 「就中将棊は農村の細民も之を弄り」 と『日高郡誌』に書かれていると紹介している。 将棋が民衆に広く親しまれていた娯楽だからこそ、代表例として挙げられたのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/dPoyG3vwZF
『現代日本の人物事典 : 政治家から落語家まで 1951年度編集』自由国民社,1951 将棋に松田辰雄がいる。「関西流の強気一徹の棋風に特徴がある」と紹介されている #まいにちNDLDC https://t.co/tNMPCRbkE1

2 0 0 0 朝鮮研究

林鳳「朝鮮の夜明け--体験的朝鮮現代史」『将棋評論』1950年7月号 戦後朝鮮で政治浪人たちが「政治福徳房」に集まっていた。「福徳房」は、将棋を指したりする所らしい 三・一運動でも「将棋を指していた」という話があり、チャンギと政治の関わりが気になる #まいにちNDLDC https://t.co/2cH5hTH1Vy
『三菱重工業株式会社史』三菱重工業,1956 三菱養和会の項で岩崎小彌太が作った三菱養和会教条が記載されているが、 >>一、囲碁作詩歌など趣味に遊びて閒適の懐を暢ぶるもよし とある。1943年当時の財界における囲碁と将棋の差が窺える #まいにちNDLDC https://t.co/hR8hEiPhxJ

1 0 0 0 社会事業

鉄谷長太郞「片瀨臨海寮の思い出」 戦後に戦災孤児の収容をした施設の回想録なのだが、「勉強してもえらくなれない。銀めし喰える親分のほうがいい」と話す子供を >>若鮎の様に溌剌として、赤子の様に善悪を超越したすばらしく度胸のいい子供 と表現しているのが素敵と思う https://t.co/S9kIXkPZhM

1 0 0 0 近代将棋

吉井榮治「編輯後記」『文学雑誌』1949年3月号 >>將棋にしろ文學にしろ、由來大阪人には小手先の器用さがなかつた。 大阪文壇を将棋となぞらえて説明している。大阪人の文学の可能性を信じていた吉井が、自らの夢に蓋をしたときの心境を知りたい #まいにちNDLDC https://t.co/g0bXDzjWim

1 0 0 0 近代将棋

吉井栄治「意気あがる関西本部」『近代将棋』1970年5月号 関西本部担当観戦記者による関西棋士評 昭和23,24年頃に朝日新聞大阪本社で升田と灘の香落戦を行ったとあるが、大阪日日の記念対局だとしたら升田勝である。別の対局なのか。それとも吉井の記憶違いか #まいにちNDLDC https://t.co/g0bXDz2kTM

2 0 0 0 将棋月報

東京太郞「盤側閑談」『将棋月報』1943年2月号 天童駒にで項を割いて、戦地の兵隊の慰問品として脚光を浴びた天童駒について書かれている。製品の95%が戦地に送られたとのこと。 『週刊朝日』1月24日号の16Pに「駒をつくる」というグラビア記事があるらしい。 #まいにちNDLDC https://t.co/LAqVBxRbK3

1 0 0 0 将棋月報

彌次郞「天童町の駒から」『将棋月報』1933年8月号 将棋駒で知られる天童。その天童の1933年当時の駒作りについて書かれた記事。駒の産地は大阪と思っていた作者が驚いたとあり、当時は将棋駒は大阪が有名であったことが分かる。 #まいにちNDLDC https://t.co/83fnHNc30g

1 0 0 0 将棋月報

有段者『将棋月報』1927年11月号 東京市の二段に永澤勝雄の名前が見える。プロ入りは1929年になっている永沢勝雄八段と同一人物なのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/XtvEYMwuIH

1 0 0 0 近代将棋

『近代将棋』1951年4月号 大山康晴八段対塚田正夫名人七段戦(於河鹿荘) 65手にて千日手 第7期名人戦第5局、千日手局の自戦記。当時の新聞報道や『名人戦まで』でも65手で千日手とあるが、大山全集では69手となっている。どちらが正しいか不明 #大山全集の謎 #まいにちNDLDC https://t.co/161Xofn2yZ
朝日新聞社が主催した、升田幸三とニューヨーク・タイムズ東京支局長のチェスと将棋の交換対局。『将棋とチェス』という雑誌名にふさわしいページである #まいにちNDLDC https://t.co/LC1Y2eB7d0
中島富治「將棋夜話(其ノ八)」『将棋とチェス』1950年1月号 第3回アマ名人である嶋田永信は戦前山内姓で奨励会員だったのだが、その辺りの事情に触れられている。戦争がなかったのどういう人生を送れたのだろうかつくづく考えてしまう。 #まいにちNDLDC https://t.co/0hWsm0Hntd
江国滋「名人戦対局室」『東京探検 : イラスト・エッセイ』芸術生活社,1973 第31期名人戦第1局の様子を描いたもの。1日目昼食に大山名人がカレーライスを食べたとあるが、この器は観戦記等で食事の記述がないため、非常にありがたい #まいにちNDLDC https://t.co/0BGoXfd95E
中島一郞;村山隆治「對談 詰將棋を語る」『将棋とチェス』1949年12月号 8ページに渡って掲載された、詰将棋の対談。最後のページで優秀だったが若くして死んだ作家として、藤井朗の名前も挙がっている。 #まいにちNDLDC https://t.co/0BGoXeVye6

1 0 0 0 枚方市史

『枚方市史. 第5巻』を読む限り、昭和25年の枚方菊人形興行は10月1日から11月30日に開催されています。大山全集記載の対局日12月20日は誤りで、『近代将棋』の11月20日が確からしいと考えられます https://t.co/NFGkITcIqm
加藤治郞「名局鑑賞 松田七段・加藤七段戰」『将棋とチェス』1949年12月号 1949年9月20日に中野の将棋会館で行われた松田加藤博戦の解説。持時間各八時間なので、チェスクロックの切れ負け将棋で指されている。対局日や対局場に触れてあるのが非常に助かる #まいにちNDLDC https://t.co/3cELPs8b4H

5 0 0 0 真相

「朝日毎日〝名人將棋〟爭奪戰の眞相」『真相』1949年11月号 名人戦問題を赤裸々に綴っている。どこまで本当かは分からないが、序章として名人戦の棋譜が倉島竹二郎の解説付で掲載された「日光事件」があったというのは、毎日新聞社の体制も含めて興味深い。 #まいにちNDLDC https://t.co/2ey2aw9HAL
中島富治「將棋夜話(その六) 」『将棋とチェス』1949年11月号 『眞相』に名人戦問題が掲載されたことを受けた記事がある。真相は語らないとしながら、加藤と升田が重大事項を遂行していると触れており、名人戦問題以外でも升田の影響力は強かったようである #まいにちNDLDC https://t.co/vQMrC5UCUQ
松下力「二十三年度順位決勝戰を顧みて」『将棋とチェス』1949年10月号 1948年10月11日若松寺で行われた順位戦松下五十嵐戦の自戦記。高島原田小泉高柳の顔も見える。こうして発表してもらえると、対局日と棋譜を後世に残すことができる。本当にありがたい。 #まいにちNDLDC https://t.co/yWTqxinZMw
原田泰夫「位と捌きの一戰」『将棋とチェス』1949年7月号 青棋会席上対局と紹介されているこの五十嵐八段との一戦は、112手△6七銀迄の棋譜で『東京タイムズ』を始めとした各種新聞に「A級入り記念対局」といった形で観戦記が掲載されている。 #まいにちNDLDC https://t.co/QtnCabnLXn

1 0 0 0 将棋評論

山中和正「晩春の冷戰」『将棋評論』1950年7月号 第9期名人戦第3局を記録係の山中和正が書いたもの 対局場の様子や、両対局者の仕草が分かる。記述を読む限り終盤木村名人の時間が切れているが、当時は十を読まずに「指してください」とする運用であったようだ #まいにちNDLDC https://t.co/uwP5yRRRgo
田中博『京都財界半世紀 : 田中博翁夜話』田中翁夜話刊行会,1952 「趣味も嗜好も平凡至極」という項で、第9期名人戦第3局の対局場の話がさらっと触れられている。 対局場は「「田中博氏邸」であるが、本人は「ただ座敷を使つてもらつただけ」と回想している。 #まいにちNDLDC https://t.co/K9ztAELXLS

2 0 0 0 将棋月報

櫻井三桂「暖かい日に浴して」『将棋月報』1927年6月号 縁日での将棋についての項があり、大道詰将棋は「五目並べの方法に慣つて詰將棋を出題して本を賣つてゐる」という見解がある。縁日にいつでも二三名本を売るものいるほど、当時聯珠は流行っていたようだ #まいにちNDLDC https://t.co/7h5EH3EUfS

1 0 0 0 近代将棋

「東京と大阪」『近代将棋』1955年2月号 東西の違いを並べる際、大阪方が上京する時一番苦手なのは外米、東京方が西下する時に一番苦手なのは味噌汁だという話題がある 1954年は過去最高の143万トンの米を輸入しているが、関西では影響が少なかったのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/V93dFwRVo7

3 0 0 0 将棋月報

宮本金三「放送將棋聽戰記」『将棋月報』1927年8月号 JOBKのラジオ将棋の観(聴)戦記。翌週に2回目も放送されているが、放送スケジュールはどんな感じだったのだろうか。 #まいにちNDLDC https://t.co/zfutRyWDmT

3 0 0 0 将棋月報

長井勇「自棋追憶」『将棋月報』1927年8月号 ひとりのアマチュアが将棋と関わりを綴ったもの。社会人になって将棋の楽しみを覚え、軍隊での娯楽として将棋を親しんだことが書かれている。連隊対抗将棋戦が開かれるなど、旧軍では将棋が盛んだったようだ。 #まいにちNDLDC https://t.co/vJBL7sun2W

2 0 0 0 将棋月報

「名家棋戦」『将棋月報』1927年6月号 大野源一初段(17歳)の月報初掲載局は、と村上真一五段の角落戦。 #まいにちNDLDC https://t.co/gGQUthMkJc

2 0 0 0 将棋月報

耕男愚人「名人經歷談」『将棋月報』1927年6月号 後に『棋道半世紀』にも収録される、朝鮮及び満州の旅行記。末尾で、坂口允彦が花田門下となったことに触れられている。 #まいにちNDLDC https://t.co/82o4FicDYF

1 0 0 0 新聞太平記

御手洗辰雄 『新聞太平記』鱒書房,1952 将棋界においては『國民新聞』の編集局長として倉島竹二郎を採用したことで名を残している御手洗辰雄による新聞業界の裏面(側面)史 「囲碁将棋欄の舞台裏」という項で、戦後の新聞争議として名人戦問題を取り上げている #まいにちNDLDC https://t.co/2u1P0MgSJJ

3 0 0 0 将棋月報

「宮田青年二段に昇格」『将棋月報』1926年10月号 木見八段の内弟子とあり、当時は木見門下だった宮田巳之助が二段に昇段した記事。大野少年の名前もあるが、これは大野源一のことであろう #まいにちNDLDC https://t.co/oFBBl9uCQe

2 0 0 0 将棋月報

一記者「各地の情勢」『将棋月報』1927年3月号 朝鮮釜山を始めとして、各地のアマチュアが紹介されている。 大阪では福岡久一や上田三三といった後の専門棋士の名前がある他、神戸には樋口金信の名前もみえる。 #まいにちNDLDC https://t.co/sEmqUAfXLp

2 0 0 0 将棋月報

耕男愚人「名人經歷談」『将棋月報』1927年3月号 塚田正夫が花田長太郎門下になった経緯(花田将棋所を紹介される)や、樋口義雄が専門棋士となる経緯が紹介されている。樋口は同時に三段を免許されている #まいにちNDLDC https://t.co/n2MRhNJk8F

1 0 0 0 将棋月報

「塚田銀波兄」『将棋月報』1927年1月号 荻窪に将棋所を開設した塚田銀波を応援する読者投稿。まだ12才の段階でこの扱いである。才能が評価されていたことがわかる。 #まいにちNDLDC https://t.co/vahVjKG7eD

5 0 0 0 将棋月報

耕男愚人「名人經歷談」『将棋月報』1927年2月号 関東大震災で亡くなった小林孝三郎四段の追悼碑が谷中の本通寺の井戸の傍に立ったという話。現存しているのだろうか。確認してみたい。関東大震災では、本文の通り矢島五香七段も亡くなっている。 #まいにちNDLDC https://t.co/cYkKvXG3Pb

1 0 0 0 近代将棋

中島富治「棋士と私」『近代将棋』1955年5月号 夭折した棋士として、石川四郎・中村貴男・関口慎吾・細田清英・林勝三郎を紹介している。 細田清英では「本人よりは父親の方がのぼせてしまって」とあり、以下父親の言動などに触れている。 #まいにちNDLDC https://t.co/vhDNwFVhTc

1 0 0 0 将棋月報

「懸賞詰將棋」『将棋月報』1926年12月号 発行遅延のため大正15年12月号は詰将棋のみの発行だったが、この号で塚田銀波が詰将棋を発表する。後の名人の第一歩である。 #まいにちNDLDC https://t.co/6c3vhGaC2L

3 0 0 0 将棋新戦法

観戦記者のPNが新聞社のものだった問題については、この本での説明がわかりやすいかな。加藤治郎は各社でペンネームを使い分けている上に、日経で書く時は飛将軍(大和久彪)の名前を借りていた。個人のPNになっていくのは1960年代から リンクを張り間違えていたので訂正 https://t.co/i6OOPGAyCI https://t.co/NXPl8rUEmr

1 0 0 0 将棋月報

耕男愚人「名人經歷談」『将棋月報』1927年1月号 前年10月に入門した細田清英の写真がある。こんな小さい子供が毎週山梨から列車で通っていたとは、相当熱心な親だったことが想像できる。 #まいにちNDLDC https://t.co/akQ0yQGr4I

2 0 0 0 将棋月報

「名人方に弟子入りした五才五ヶ月の新弟子談」『将棋月報』1926年11月号 10月17日に山梨の細田氏が名人を訪ねて、子供を弟子入りさせた記事。細田清英は後に大山康晴少年とラジオ対局を指したことがあり、将来を嘱望されていたが、若くして亡くなっている。 #まいにちNDLDC https://t.co/rr3vbOUkva

2 0 0 0 将棋月報

耕男愚人「關根名人經歷談」『将棋月報』1926年11月号 関根名人が関西に行った時の記録。広島で門司の木村義雄氏と会っているが、この木村義雄は十四世名人と同姓同名の別人で、後にアマ名人戦に出場する人物である #まいにちNDLDC https://t.co/ELhUWjqp4E

3 0 0 0 将棋月報

「ハイ今日は」『将棋月報』1926年10月号 朝鮮満州に井上七段と称する偽物棋士がいることを指摘する讀者投稿。その前の投稿も高段を自称する怪しい棋士を紹介しており、この号に掲載された土居八段の偽物も含め、当時は不埒な輩が多かったことがわかる #まいにちNDLDC https://t.co/9DVlfcoEOI

3 0 0 0 将棋月報

「大阪棋正會の成績」「東京聯盟會員成績」『将棋月報』1926年10月号 大阪と東京の棋士の成績一覧。勝抜戦全盛なので対局数が大きく違うのが面白い。点数制を採用した理由が分かる。また、勝越・負越の項目があるのが興味深い。 #まいにちNDLDC https://t.co/cLeiTLgSQN

5 0 0 0 OA 藤枝町誌

「藤枝町誌」静岡県志太郡藤枝町,1924 >>第七節室内娯樂 (中略) >>碁、將棋等は主として男子間に行はれ、女子の之を弄ぶは極めて稀れなり 98年前の記述。100年かけて少しずつ歩んできた将棋界は、これからも歩み続けていく #まいにちNDLDC https://t.co/sxPGv7Z5cZ

3 0 0 0 将棋月報

「大衆將棋公開」『将棋月報』1926年10月号 テニスコートで行われた公開対局の観戦記。500人ほど集まったらしい。次の一手が出題されるなど、公開対局のフォーマットはこの頃からできている #まいにちNDLDC https://t.co/V7KfCUbvNU

3 0 0 0 将棋月報

横田龍歩「土居八をなぐり飛ばして」『将棋月報』1926年10月号 月報と土居市太郎は前年の1925年に記述を巡って揉めていた。そんなこともあって、土居八段を殴り飛ばしたら偽物だったという話。「偽土居なら殴る必要はない」もすごいが、掲載されるのもすごい #まいにちNDLDC https://t.co/dUdRFqkpkb
菊池寛「将棋の話」『菊池寛文学読本. 秋冬の巻』,第一書房,1936 将棋について菊池寛が語ったもの。慢心のために敗れた例として、「雁木流の元祖檜垣是安」を挙げている。一般的な将棋ファンは、この記述によって雁木の檜垣是安を知ったのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/n6c0DWznQ6

2 0 0 0 将棋月報

「讀者の聲」『将棋月報』1926年9月号 「檜垣是安の是安流俗に云ふ雁木とは如何なる手順にて組むや」という質問に、「何れ調査の上發表します」と回答している。雁木の定義がはっきりしていなかったことがわかる #まいにちNDLDC https://t.co/GNvzTxXhfK

2 0 0 0 将棋月報

「本社嘱託棋士樋口義雄君」『将棋月報』1926年9月号 後にプロ入りする樋口義雄が、月報の嘱託として活動することを紹介する記事。当時は専門棋士との境目は曖昧だったため、新聞将棋に載らなくても様々な活動をする棋士がいた #まいにちNDLDC https://t.co/KZXxETAJsk

2 0 0 0 将棋月報

「讀者の聲」『近代将棋月報』1926年5月号 桜井三桂が「塚田銀波君」と題する投稿をしている。詰将棋の回答で優秀な成績を残している塚田正夫少年に自宅に来るように勧める内容で、入門以前から塚田の才能が評価されていたことが分かる #まいにちNDLDC https://t.co/Agl2Qvmnmi

2 0 0 0 将棋月報

「有段者」『近代将棋月報』1926年5月号 木村義雄がいよいよ八段に。同号の記事では飯塚・建部の昇段も発表されているが、この号では木村のみで、飯塚は次号で発表。建部の発表はなし #まいにちNDLDC https://t.co/KvbNRHzBTv

2 0 0 0 将棋評論

本間一雄「關西奬勵會棋士の橫顏」『将棋評論』1951年新年号 松田辰雄八段門下の和田平一2級25才が紹介されている。和田は戦前の『将棋世界』の詰将棋欄にも投稿歴がある人で、家庭の事情もあり高齢での奨励会入となったが、四段にはなれなかった #まいにちNDLDC https://t.co/aHRxNjPRvt

1 0 0 0 将棋評論

「關西奬勵會の展望」『将棋評論』1950年4月号 松田辰雄八段門下として清瀬耕一3級19才の名前がある。詳細不明。 #まいにちNDLDC https://t.co/7FXW1VwYyX

1 0 0 0 将棋評論

「天才豆初段」『将棋評論』1949年10月号 松田辰雄八段の弟子として上田友彦少年が紹介されている。「将来は松田八段の秘蔵弟子として大成が楽しまれる」と紹介されているが、その後、松田八段と上田さんは時代の波に呑まれることになる #まいにちNDLDC https://t.co/F2nvRzfHOO

1 0 0 0 将棋月報

宮本弓彥「將棋日誌」『将棋月報』1938年2月号 当時『将棋世界』の編集をしていた宮本の回想。博文館時代の将棋世界には編集長がいなかったことが分かる。金子金五郎は大成会発行後に将棋世界初代編集長となったが、創刊編集長でないことに注意が必要である #まいにちNDLDC https://t.co/Vhw5cwjbaY

5 0 0 0 将棋月報

「人氣投票 結果」『将棋月報』1927年2月号 約一年に渡って募集した、素人棋客人気投票の結果。一位の前田三桂を始め、常連投稿者が上位のなか251票を取り8位となった菊池寛が目立つ。将棋ファンにとっても憧れの存在であったのだろう #まいにちNDLDC https://t.co/WNrgeHtiv3

1 0 0 0 将棋月報

「優秀素人棋友人氣投票」『将棋月報』1926年4月号 棋士の人気投票をしようという投稿から誕生した、アマチュア棋客の人気投票。専門棋士だけでなく、アマチュアからの投稿記事で成り立っていた『将棋月報』ならではの企画 #まいにちNDLDC https://t.co/HoPhHZLWbm

1 0 0 0 近代将棋

「山田,棋聖位を守る」『近代将棋』1968年3月号 防衛した笑顔の山田棋聖(和服)と、3連敗で肩を落とす中原五段(スーツ)のグラビア写真 https://t.co/xfes5OGIjb

1 0 0 0 将棋月報

「大阪號の内容」『将棋月報』1926年4月号 『将棋月報』には大阪號と名古屋號(こちらは未確認)があったようで、同じ号で目次が微妙にずれているものも確認している。内容は同じと回答にあるので、ページの構成が違うだけで、掲載内容は同一であるようだ #まいにちNDLDC https://t.co/rDjat4TlBY

2 0 0 0 将棋月報

耕男愚人「關根名人經歷談」『近代将棋』1926年3月号 黎明期の新聞将棋の、関根名人の関わりを記したもの。夕刊新聞を大村忠雄が受持っているとされており、『東京夕刊新聞』と思われる。大村四段は将棋雑誌も発行していたが、どのような人物だったのだろうか #まいにちNDLDC https://t.co/fyHS9jPGTV

1 0 0 0 近代将棋

三木桂馬「北海道棋界の父 福井八段」『近代将棋』1952年7月号 福井資明八段の略歴。旭川で五段を授与されて当時は、当地で商いをしていたらしい。その後専門棋士を目指したものの、北海道で普及をすることになる。 事情を踏まえると、確かにプロ棋士であろう #まいにちNDLDC https://t.co/ITMsFDqRYs

1 0 0 0 将棋月報

「有段者」『将棋月報』1925年5月号 関根名人の免状授与名簿。菊池寛二段の名前がある。1925年に二段昇段したようである。 #まいにちNDLDC https://t.co/5HZHEkAKbo

3 0 0 0 将棋月報

浅川生「宇都宮より歸松迄」『将棋月報』1926年1月号 各地の棋客の紹介。千葉市の勝山庄太郎六段は汁粉店を経営していたり、盤駒製造の豊島太郎吉六段や二代目奥野一香を訪ねたりと、当時の棋士が副業をしながら生計を立てていたことがわかる #まいにちNDLDC https://t.co/QtAxvbJgEn

5 0 0 0 富士

「名好敵手朗らか訪問 木村義雄氏と大山康晴氏」『富士』1951年1月号 大衆雑誌のグラビアを飾った木村名人と大山九段であるが、なんと入浴写真である。当時からゴシップ需要があったということなのだろう #まいにちNDLDC https://t.co/vdO3gxGTnf

4 0 0 0 富士

「升田幸三 勝負放談」『富士』1950年1月号 升田をメインにした座談会。坂口安吾について升田が、「坂口さん大好きなんですよ。どこか淡白で、そして臆病で、神経質で、文士は大体神経質ですが、そういう所が実に好きなんです」と触れている #まいにちNDLDC https://t.co/PNGxG41mVN

お気に入り一覧(最新100件)

将棋に注目して芥川の生涯を追うと、芥川龍之介の晩年が全く違ったように見えてきます。芥川が生涯、文学をめぐってどのような軸で考えていたのかが分かってきます。 小谷瑛輔「文学は遊戯か――芥川龍之介と『新思潮』派の同人たち」『将棋と文学スタディーズ2』2023年3月 https://t.co/DYXEx8R4Tz
芥川龍之介や菊池寛を輩出したことで有名な『新思潮』派は、遊戯を排する文学グループとして登場し、他方では遊戯的文学観を提示したりと、内部対立も含めて揺れ動き続けました。その問題を論じた拙論が掲載された『将棋と文学スタディーズ2』が出ました。pdfで読めます。https://t.co/DYXEx8R4Tz

2 0 0 0 将棋月報

「有段者」『近代将棋月報』1926年5月号 木村義雄がいよいよ八段に。同号の記事では飯塚・建部の昇段も発表されているが、この号では木村のみで、飯塚は次号で発表。建部の発表はなし #まいにちNDLDC https://t.co/KvbNRHzBTv

1 0 0 0 OA 財界人を語る

阿部真之助は1966年(亡くなった2年後)に表彰されている。 近代将棋1966年12月号読めてよかった。ありがとうございます。 石山賢吉というと、実業家同士でわいわい将棋やってる『財界人を語る』の「名士と将棋」「上らず会」が良い https://t.co/h9oHERAw2V https://t.co/YkSO42MErd
【将棋と文学研究会】 本研究会は、将棋と日本文学の関係について、幅広い観点から明らかにしていくことを目指しています。 https://t.co/CNYbwhHUd5 ・将棋と文学研究のための基本データ https://t.co/TUmvEnwFqd 『将棋と文学スタディーズ』 https://t.co/90rwXIkpnq
文学研究の枠内ではどういう風に論じられるかに関心をお持ちの方には一例として小谷瑛輔「〈子どもたちの時間〉の現代 : 山内マリコ論序説」 https://t.co/McJbFnOKG3 あくまで序論レベルの雑駁な論ですが、地域格差を前提にどのような屈折が産まれるかを描いた山内作品について分析を試みたものです。

6 0 0 0 OA 将棋新報

国立国会図書館デジタルコレクション - 将棋新報. 第1-5集 https://t.co/jvPxY1CUxr

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