1 0 0 0 OA 群書類従

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巻号頁・発行日
vol.第239-240,

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天喜四年四月晦日(1056)皇后宮春秋歌合 https://t.co/0tQ3FMxxOT (群書類聚)の二番では範永の春日祭と内侍大佐の七夕祭が合わせられていた。
天徳四年(960)三月三十日の内裏歌合第十九番で、右方歌人元真のこの歌に対し判者左大臣藤原実頼は藤原朝忠の「あふことのたえてしなくば中々に人をも身をもうらみざらまし」(拾遺集所収)を「きよげなり」と勝にした。 http://t.co/YAmbQwUA7p
長久二年(1041)の歌合わせ祝題で永成法師は「君が代はすゑの松やまはるばるとこすしら浪の数もしられず」と詠んでいるが http://t.co/fDkVVMLXEz 、恋では左方撰者相模は伊勢大夫の「世中にわりなき物は人しれず恋つつとくをつむにぞ有ける」を採った。
堀川右大臣頼宗(993-1065)は宇治前太政大臣頼通(992-1074)の弟(道長の子)。長元八年五月十六日(1035/6/24)賀陽院水閣歌合 http://t.co/lhw1IMXc6Y の当時頼宗は春宮大夫であった。
宇治前太政大臣頼通(992-1074、太政大臣は1062)の三十講歌合は長元八(1035)年五月十六日に加陽院水閣にて行われ http://t.co/TR7gSpBE6v 、その後二十一日石清水参拝、二十二日住吉神社にて奉幣が行われた。
長暦二年九月十三日 源大納言(師房)家歌合 http://t.co/dcvHBhUddS の秋田題 右方に。長暦二年九月十三日は西暦で1038年10月13日。
皇后宮春秋歌合 天喜四年四月晦日(1056年) http://t.co/MZMn2dEeo9 六番で梅を詠んだ相模と対し、内大臣頼宗の判は持。
源大納言(師房)家歌合 長暦二年九月十三日 題露 http://t.co/2hR3FZGTZL にこの歌がある。
十三番。 http://t.co/jQPUesuIbg 典侍とあるのが大弐三位。
「ふかく」は「國」から補った。伊勢大輔は大中臣輔親(954-1038)のむすめで、康資王母の母。天喜四年四月晦日皇后宮春秋歌合 http://t.co/MZMn2dEeo9 では「小夜更て」。ちなみに春(子日)で勝った頭中将は藤原顕房らしい。
長家(1005-1064)は道長の子。これ http://t.co/6EgUKtNvCs の一番右方が権大納言長家の歌。
長元八年(1035)五月十六日賀陽院水閣歌合で、群書類従には赤染衛門の193も相模の205もあるが、この歌は春宮権亮良頼 http://t.co/tehTbffaL0 になっており左馬頭良経ではない。
#131 https://t.co/45XYGLK6gc と同じ時の歌。宇治前太政大臣(当時左大臣関白)頼通の歌は殿下としてはじめに。http://t.co/3sQjle595O
伊勢大輔は大中臣輔親(954-1038)のむすめで、康資王母らの母。この歌合は131、141にも出ていて、その九番 http://t.co/tpgHatPUBw 。
大弐三位は紫式部の娘。この歌は歌合の冒頭に出て、典侍の名で詠まれている。 http://t.co/7oRQ3mauAa
永承五年(1050)、関白頼通があらかじめ出した桜、郭公、鹿の題をもとに賀陽院で歌合せが行なわれ、その余興に出席していた上卿の歌も講じられた。当時内大臣であった藤原頼宗(993-1065)の桜題歌がこれ。 http://t.co/3sQjle595O
望城は坂上是則の子。天徳四年(960)歌合は群書類従にも収録されていた。http://t.co/FUGAeqxkfE
天喜四年四月に行なわれた中宮寛子の「皇后宮春秋歌合」 http://t.co/0tQ3FMguMT の時か。「或人云 範永妻哥也」(國)。
後冷泉院御時皇后宮歌合は天喜四年(1056)四月晦日寛子の歌合 http://t.co/0tQ3FMguMT らしく「堀河右大臣(?)判」(國)のとおり頼宗(993-1065、道長次男)が判者。中原頼成妻が「散(?)位(?)為時女」(國)とあるが、藤原為時は紫式部の父。
國學院大學の本では「かへらぬ」になっている。作者は、呂保殿歌合の「こよひうたよみし人々」 http://t.co/JbSrhgHjV0 に「さいも 入道一品宮女房 三河守管(ママ)原為理女 母ハ加賀丹波守奉親女 仍加賀左衛門トイフ 時ノ人サイモトヨブ」とある。
天喜四年四月晦日(1056)皇后宮春秋歌合 (112/130) http://t.co/GriaCFxZ に九番祝題左で「源三位俊賢 長濱の真砂の数もなにならず つきせずみゆる君が御代かな」がみえる。ただし源俊賢(959 - 1027)。
長元八年宇治太政大臣家哥合によめる 能因法師 君が代はしらくもかかるつくばねの 峯のつづきの浦(海)となるまで {詞 161} 賀陽院水閣歌合 89/130 http://t.co/GriaCFxZ 九番祝題で「海はうみ 山はやまにてあらんこそよからめ」と判を下されている
永承五年一宮哥合によめる 出羽弁 きく人のなどやすからぬ鹿の音は我妻をこそこひて鳴らん(め) {詞 120}祐子内親王家歌合 (群書類従第百八十一巻) http://t.co/GriaCFxZ 101/130 十六番鹿 左 106/103 永承五年は1050

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