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『翁草』 巻58には、大徳寺の織田信長の像を見た細川藤孝は「まるで生きておられるかのようで、とても近づいては拝めません」と言って、はるか遠くから拝んだという話もある。その像にも、うかつに近づけば、人を動けなくするような特殊効果が、ほどこしてあったのだろう。 https://t.co/8m5RqdO5PN
『翁草』57巻「塵泥抜萃」 https://t.co/h7TCXifu7T " 入交弥六左衛門の事 右の牧野河内守取次番の士に入交(イリマジリ)弥六左衛門と云ふ者有り。珍しき姓名にて、その上言語の少しさだかならぬ男故、諸家の使者来て名乗合ふ時 姓名聞え兼る故、再往いひても見えず、
https://t.co/x2ceOf3fs8 " 数ならぬ身と云ふ事 数ならぬ身など常ざまの人の云ふまじき事にや。畢竟云はずして知れたる事なればなり。光広卿の耳底記云、貴人ならぬ人の数ならぬなど詠ぬものなり。其故はなんでもなけれども、数ならぬ抔とよむは、貴人高位の人の事なり。
『翁草』57巻「塵泥抜萃」 https://t.co/h7TCXifu7T " 入交弥六左衛門の事 右の牧野河内守取次番の士にと云ふ者有り。珍しき姓名にて、その上言語の少しさだかならぬ男故、諸家の使者来て名乗合ふ時 姓名聞え兼る故、再往いひても見えず、
まさか毛利元就が、正月早々、手を洗って、鵜飼をしながら、旧年を振り返り、新年の計を考えていたとも思われないので、この「手水・鵜飼」も、「手洗い・うがい」のことだろう。ただ、こっちの『翁草』巻60「『為人鈔』抜萃」では、"手水 漱して" と書かれているけれど。 https://t.co/SbdWi6SFMq
のちに天下を取った豊臣秀吉が、徳川家康のひざまくら、つまり家康のたまの枕で、ふと武田信玄と上杉謙信の話をし始めたのも、上杉謙信のこの歌を思い出したからだろう。秀吉が家康に膝枕をしてもらった話は、『翁草』第58巻にある。 https://t.co/CRr951OB7m
https://t.co/DMeMI8sGSz "太閤は活量の人なり。権現様御膝を枕になされ仰けるは、日本は扨置き、唐迄も手に入れ思ふ事も無し、信玄や謙信などと云ふ入道共、存生に候はヾそくび押へて引付け能き咄坊主たるべき物をと宣ふとなり。" 太閤秀吉はエネルギッシュな人だった。
『永夜茗談抜粋』『翁草』 巻58 https://t.co/YplMtIWVrw "太閤本妻は尾張のゴキリの禰宜の娘なり浅野又右衛門妹の子姪なるを養ひ置り、或時信長狩野の帰りに、又右衛門所にて休息あり、彼娘茶を運びしを、信長所望有て連帰り、秀吉に被遣、又右衛門は有徳なり、藤吉は貧なりとて被遣、

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