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Yahoo!知恵袋 (1 users, 3 posts)
『幕府なるものを考案したのは、江戸後期の水戸学派』と言う主張は
① 中国での、遠征先の将軍の幕営を指す意味の幕府が…
② 日本では近衛大将の館や近衛大将本人の意味になり…
③ 源頼朝が極一時期右近衛大将に任命された事から、征夷大将軍の館や征夷大将軍本人を指す意味が出来て…
④ 江戸時代後半になると、現在”幕府”と言ったら真っ先にイメージされる『武家政権』と言う意味が出来た。
と言う話の④ ...
極めて単純化して言えば、平清盛が征夷大将軍ではないからです。
辞書・事典類がまとめてひけるサイト「コトバンク」で見られる、旺文社日本史事典 三訂版の「幕府」の解説を引用します。
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鎌倉・室町・江戸時代の武家政治の政府
もと中国で出征中の将軍の幕営を称し,日本では近衛大将・近衛府の唐名。源頼朝が1190年右近衛大将となったことから鎌倉の居所を幕府と呼んだ。以後武家政治の首長で ...
現在の歴史用語としての「幕府」という言葉は、征夷大将軍をトップとする政治権力・政治組織を指すものであるのはご存知の通りですが、元々は中国語で将軍の軍営を指す言葉で、それが日本では、近衛府を中国風に呼ぶ時に使われるようになりました。それが、更には近衛大将、近衛大将の館を指すようになり、源頼朝が右近衛大将だった時期があるから、頼朝の館が幕府と呼ばれ、征夷大将軍の館は幕府と呼ばれ、江戸時代になって、現在 ...
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