15 0 0 0 OA 史徴墨宝

著者
帝国大学編年史編纂掛 編
出版者
大成館
巻号頁・発行日
vol.第2編, 1889

言及状況

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承久3年8月5日(1221年8月23日)後鳥羽院が配流先の隠岐国に到着。院自身の回想によると、出雲大濱浦から渡海して三刻ほどで到着したものの、同行者たちはみな船酔いでダウンしてしまったとか。 ↓後鳥羽院宸翰「清寂案」(『史徴墨宝』) https://t.co/sHVwdiCef3 #後鳥羽上皇 https://t.co/PLuL5MTVQ1
そういえばうっかりしていましたが、昨日は後鳥羽院の一行が出雲大濱浦から船出し隠岐に到着した1221年(承久3)8月30日(グレゴリオ暦)からちょうど800年なのです。 ↓ 後鳥羽院宸筆「清寂案」(『史徴墨宝』) https://t.co/sHVwdiThh3 https://t.co/ge4BEIhPxR https://t.co/unFoN5f8h5
後鳥羽院は氏王との対面を望んでいましたが果たされなかったようです。氏王のもとへは隠岐の院から幾つかの宸翰が送られており、清寂(藤原清房)についてのメモもそのひとつでした。 『史徴墨宝』という古文書の影印版には清寂メモの一部が載せられています。 https://t.co/sHVwdiThh3 https://t.co/QK0oq1AmdA

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