(@uesugi_dewa)

投稿一覧(最新100件)

RT @prapanca_snares: 小林信彦「空海のサンスクリット学習」 https://t.co/JDtUU1yPz4 空海は、サンスクリット語をほとんど学習していなかったし、読めもしなかったと論じる火の玉ストレートすぎる論文を読んでいます(論文の趣旨とはズレる注の補…
RT @tsukiokabunko: ちなみに宝幡寺の寺役人や支配機構、寺領については、松本さんが精力的に取り組まれているので、興味ある方は是非合わせてご覧いただきたい。 近世中後期出羽国宝幢寺における寺役人の職分・身分 : 近世寺院領主の統治機構とその特質 https://…
RT @Tadashi_Imafuku: 広橋家記録の「永禄6年 補略」全文は、赤坂恒明氏の「永禄六年の『補略』について─戦国期の所謂公家大名(在国公家領主)に関する記載を中心に─」を参照(リポジトリ)のこと。 https://t.co/1ZvefbizTd https://…
飛鳥井雅康(宋世・二楽軒)は越後上杉房定のもとにも下向してて、八条上杉龍松丸に蹴鞠伝授をおこなっていますね⚽️ https://t.co/iTsZlG9r0E https://t.co/3YKYVCjC2b
物部姓の倭系百済人というと、「物部施徳麻奇牟」「物部連奈率用奇多」「物部奈率奇非」「上方奈率物部烏」などが『日本書紀』の欽明天皇紀に見えるようですね。 https://t.co/FN5QCXPZnu https://t.co/CpnjgItu9D

15 0 0 0 OA 史徴墨宝

承久3年8月5日(1221年8月23日)後鳥羽院が配流先の隠岐国に到着。院自身の回想によると、出雲大濱浦から渡海して三刻ほどで到着したものの、同行者たちはみな船酔いでダウンしてしまったとか。 ↓後鳥羽院宸翰「清寂案」(『史徴墨宝』) https://t.co/sHVwdiCef3 #後鳥羽上皇 https://t.co/PLuL5MTVQ1
ここだけの話、「宝積経要品」は国会図書館のデジコレで見られちゃうんですよね。とはいえ実物はめったに見られないので。展示は明日7/24まで! https://t.co/MvBIgNeYNv
RT @uesugi_dewa: 今から800年前の承久3年(1221)7月13日(旧暦)、後鳥羽院が配流地の隠岐へ向けて鳥羽殿を立ちました。 院に供奉したわずかな人数の内に、出羽前司藤原清房(清寂入道)の名が見えます。清房は上杉家の祖重房の父です。 https://t.c…
RT @rokuhara12212: 坂東武士の教養を論ずる際に、その識字率の低さの根拠にされるのが関東御成敗式目について述べた北条泰時書状の内容ですが、従来の解釈は、武士は無教養だという思い込みが前提にあったようです。この論文を御一読ください。↓ https://t.co/T…
RT @ahmadzakijp: インド人とネパール人とパキスタン人の「インド料理屋」を支えているネットワークについては、すでに研究があります。互いの対立があり、同国人内でも出身地やモスク、インド人学校などを基点にして、それぞれ異なるリクルート・出店戦略があります。 https…

3 0 0 0 OA 康富記

『康富記』享徳4年正月6日条 或語云、昨日関東飛脚到来、鎌倉殿[持氏御子][成氏]去年十二月廿七日、管領上杉右京亮[房州入道子]被召出於鎌倉殿御所被誅伐云々、是併故鎌倉殿御生涯事、父房州申沙汰之御憤歟、依之御所方与上杉手有合戦云々 https://t.co/lfzccpAPgo https://t.co/LshWIOz4aY

4 0 0 0 OA 康富記

『康富記』享徳3年12月27日条 後聞是日鎌倉殿被誅管領上杉右京亮於御所、被出抜云々、故鎌倉殿之御敵之故者也 https://t.co/laAVWD9dhB https://t.co/mKYYBjQdE1
百済では東城王の時代に祭壇が築かれ天地が祭られており(三国史記)、王城の公山城付近で地壇と思しき遺跡が見つかっているとか https://t.co/b51F26bwCQ
RT @kotosakikotoko: @uesugi_dewa 最近はチュクチ等北東アジア系の前合わせ式鎧を基に日本式鎧の技法を取り入れて作成されたもの、という説も出ております。ご参考までに。 サハリン発見「アイヌ鎧」の年代について https://t.co/KPZcwPPh…

3 0 0 0 OA [師守記] 64巻

↑ 「師守記」康永3年8月2日条 https://t.co/CwTFXyULrv 国会図書館に「師守記」の自筆本があるんですねー
"院殿上人にまでなった忠綱は、蔵人時代には「頗被召仕之者」であったといい、その父資綱が高倉天皇の蔵人にすぎなかったことを考えれば、父祖の地位はそれほど重要ではなく、累代の蔵人の家系の出であったという点に上北面選抜の契機があったといえよう" https://t.co/Kdew5klnlb https://t.co/XPtiWXI5PP
@uizhackiinmuufb 有難うございます。海陸両路の選択があったということなんですね。 ちなみに醍醐寺の僧によって書かれたとされる『永禄六年北国下り遣足帳』では越中・越後間は陸路で突破したようです。 https://t.co/PQmXUB3lcv

2 0 0 0 OA 職原抄

北畠親房『職原抄』によると、近衛将監は諸大夫層から六位の者が任官し、五位に昇っても叙留(位階が上がって官位不相当になっても辞任せずにもとの官に留任)するのが通例か。左近大夫とか右近大夫というのがそれですよね。 https://t.co/4LZRHnvtdt https://t.co/AahTZEileG https://t.co/OaBTZVeSO5
RT @ef_infor: 尊氏さんの関帝信仰…綾部安国寺にも尊氏さんが陣中で所持していたと伝わる関羽像が保管されているのですが、京都大興寺にも尊氏さんゆかりの関羽像があるのだそうです(^^) 日本の関羽さん人気は尊氏さんがルーツ⁉︎Σ( ̄。 ̄ノ)ノ 通販の如く中国に関羽像を…
RT @mtnonoonly: この論文で書かれているような近代の神社の活動をめぐる研究を諏訪社についても行う必要がありますね CiNii 論文 -  民俗宗教空間の歴史性--気多神社の官国幣社昇格運動と気多神の物語の変容 (特集 文化人類学の現代的課題(2)) -- (空間…

3 0 0 0 OA 官職秘抄

→旧例では定員四人だが、近年は凡卑の輩が成功(売官)によって任官し十数人にも及んでいるとの事。 『官職秘抄』は鎌倉初期に従三位兵部卿平基親によって書かれた官職の解説書です。 https://t.co/w5LYKlh82x https://t.co/0iZltmNJHK
RT @rivereastbamboo: 『隋書』経籍志の「漢荊州刺史劉表新定禮一卷」ってなんぞ?もしかして劉表って野心家さん? と思って関連論文を読むと後漢末の荊州は一大学術センター化していたのね。北の鄭玄、南の荊州学派。 野沢逹昌「後漢末荊州学派の研究」 https://…
『源平盛衰記』には「武蔵国豊島ノ上滝野河松橋」とあるんですよね。この松橋は板橋区にある板橋とは別物と考えられています。 まあ『源平盛衰記』は14世紀後半の成立とされますから、延慶本平家物語より新しいわけですが。 https://t.co/LAlfr2o0g0 https://t.co/DIBPE0pg9D https://t.co/fWR66DcOGu
→『明月記』での登場回数も非常に多い人です。そして清房と同様に後鳥羽院の隠岐配流にお供をした数少ない近臣のひとりでもあり、隠岐と京を往復し後鳥羽院の赦免の噂を探ったりもしていました。 https://t.co/QXTqCgPsMA https://t.co/8eHyu1SzrO

30 0 0 0 OA 国史大系

RT @uesugi_dewa: 事件当時の清房の年齢は不明ですが、このような無分別さから考えると、あるいは清房も師季とそれほど年齢差のない血気盛んな若者だったのではないかと思えてきます。 師季が文治4年(1188)生ですから、清房もその前後の生まれなのかもしれません。 ↓…

30 0 0 0 OA 国史大系

事件当時の清房の年齢は不明ですが、このような無分別さから考えると、あるいは清房も師季とそれほど年齢差のない血気盛んな若者だったのではないかと思えてきます。 師季が文治4年(1188)生ですから、清房もその前後の生まれなのかもしれません。 ↓ 『公卿補任』源師季 https://t.co/cSRD2NX2Yn https://t.co/9EbmLVDj5f

28 0 0 0 OA 明月記

ふたたび藤原清房(上杉重房の父)について。 『明月記』建永元年(1206)7月3日条に「左近清房」が見えます。 『明月記』の記主藤原定家は主君の九条兼実の命を受け、後鳥羽院へ扇を献上する使者に(嫌々ながら)立っているのですが、 https://t.co/EjKfW2vj7i https://t.co/lto2zBmaHx https://t.co/LtnahWyLoM
RT @washou3956: メモ。田口寛「『鎌倉大草子』二巻本系統/彰考館本系統の小群」(『日本文学研究』55・56、梅光学院大学日本文学会、2021年1月)https://t.co/LKMc39lRwd #こんな論文が出ていたようです
#工藤の日 工藤氏は、藤原南家乙麻呂流の為憲がその官職の木工助(もくのすけ)から「工藤大夫」を号したことに始まります。 この家系からは二階堂、伊東、河津、狩野などそうそうたる武家が輩出されます。 https://t.co/ai8TvWzzxX https://t.co/xQH8Od1CPq https://t.co/dZXHUNElOa

7 0 0 0 OA 肖像集 9

「めでたき物かな、えもいはぬ物かな、おもしろいものかな」 何も喉に通らないほど弱っていたはずの俊成は美味しい美味しいと喜んで何度も雪をお代わりをしたそうです。やはり甘葛煎をかけた雪だったのかな。 https://t.co/FGLbghaHQ5 https://t.co/XNRn8WNShX

28 0 0 0 OA 明月記

『明月記』にも「雪食」ありました⛄️ 定家の父俊成が臨終の間際にどうしても雪が食べたいとねだったので、定家は家人に北山の雪を取りに行かせて父のもとに送り食べさせたのだそうです。 https://t.co/ulIBgo3Sa3 https://t.co/Cvi1ZLzTyw https://t.co/e1SJcyAEt9
↑ 上に出した系図は国会図書館デジコレ『尊卑分脈』からです https://t.co/mokwbym7ZO

15 0 0 0 OA 史徴墨宝

そういえばうっかりしていましたが、昨日は後鳥羽院の一行が出雲大濱浦から船出し隠岐に到着した1221年(承久3)8月30日(グレゴリオ暦)からちょうど800年なのです。 ↓ 後鳥羽院宸筆「清寂案」(『史徴墨宝』) https://t.co/sHVwdiThh3 https://t.co/ge4BEIhPxR https://t.co/unFoN5f8h5

1 0 0 0 OA 史徴墨宝

『史徴墨宝』には考証編が付いており、後鳥羽院宸翰についても詳しく注釈がなされていたので、今回現代語訳する上でまるっと参考にさせていただきました。 https://t.co/wcBOEgNbb3 https://t.co/XsMaJXXQaM

15 0 0 0 OA 史徴墨宝

後鳥羽院は氏王との対面を望んでいましたが果たされなかったようです。氏王のもとへは隠岐の院から幾つかの宸翰が送られており、清寂(藤原清房)についてのメモもそのひとつでした。 『史徴墨宝』という古文書の影印版には清寂メモの一部が載せられています。 https://t.co/sHVwdiThh3 https://t.co/QK0oq1AmdA
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒佐藤亜莉華 「醍醐寺僧と根来寺僧の交流とその変容」 『日本女子大学大学院文学研究科紀要』27(2021) https://t.co/2a3b6hBxsT
今から800年前の承久3年(1221)7月13日(旧暦)、後鳥羽院が配流地の隠岐へ向けて鳥羽殿を立ちました。 院に供奉したわずかな人数の内に、出羽前司藤原清房(清寂入道)の名が見えます。清房は上杉家の祖重房の父です。 https://t.co/SYtJvCdONg https://t.co/6N0fc9finn https://t.co/IYsVS678z2

3 0 0 0 OA 諸系譜

RT @iokhicjnoakn: @uesugi_dewa 「守部」+「藤原」で「守藤(→首藤)」になったという説もありますね。なお、信憑性は不明ですが、守部助清の出自については、奈良時代の守部大隅(もと鍛冶氏)に始まる次のような系譜が残されており、熱田社社家大喜氏もこの一族…
@kitano52795327 あ、すみません こちらです https://t.co/nrx2wzEEZb
RT @Naga_Kyoto: 荘園を「私的大土地所有」として理解するのは間違い!という記事。歴史学ではとっくに覆された見解が今も生き残っている理由に関する考察もされている。大変勉強になりました。 岡野 友彦「日本の荘園はなぜ教えにくいか」 https://t.co/ZoB0N…

2 0 0 0 OA 何鹿郡誌

そもそも丹波国何鹿(いかるが)郡八田(やた)郷とは「倭名抄」に見える古い郷。 中世の八田郷の郷域は旧東八田村・西八田村に相当し、現在の綾部市の中北部を占める。 山内上杉氏に宛行われた八田郷の「本郷」がどのあたりなのか、今ひとつ判然としないのが問題なのね
RT @Kangen_Coup1246: 中世における海上氏の専論として、 石渡洋平「戦国期下総海上氏の展開と動向 : 一族・家中・領域支配」(『駒沢史学』83、2014年) が挙げられます。機関リポジトリでPDF公開されております。 https://t.co/NK8IAkiP…

9 0 0 0 OA 故実叢書

直義亭三条殿跡から程近い三条富小路には、直義の執事ともいうべき腹心上杉重能の屋敷があったらしい。 「中古京師内外図」 https://t.co/kxk0vH0drM https://t.co/ucjADVkroF https://t.co/LvQKWqSaQL
おっ、日文研のオープンアクセスに上杉清子についての論考があるのか!☺️ 「上杉清子の生涯をたどる」 https://t.co/zJ8IxWtN4Z …英語だった
RT @rokurohei_XI: あと、これ☟とか。いささかあっさりはしているけれど。 本間志奈「佐竹義人(義憲)についての基礎的研究」(『法政大学大学院紀要』75、2015) https://t.co/VZUdZmWtgz
RT @rokurohei_XI: あと、これ☟とか。いささかあっさりはしているけれど。 本間志奈「佐竹義人(義憲)についての基礎的研究」(『法政大学大学院紀要』75、2015) https://t.co/VZUdZmWtgz
@N_Toumine 川崎大師のケースについてはこちらの論文に書いてありました。 坂本勝成「院室兼帯寺院について : 近世における新義真言宗寺院の場合」 https://t.co/dBfPHxxPCm
こうした本末関係は近世真言宗において広く見られ、門跡寺院は末寺に対し通常の本寺権(住持の任免等)を持たなかったという。 この希薄化した関係を強化しようとしたのが「院室兼帯」だったわけね。 坂本勝成「院室兼帯寺院について : 近世における新義真言宗寺院の場合」 https://t.co/dBfPHxxPCm https://t.co/9R8aSObnLd https://t.co/z72FF55mBd
RT @washou3956: PDF公開。石原比伊呂「足利義稙にとっての笙と義満先例:将軍権威再建への試行錯誤」(『聖心女子大学論叢』136、2020年12月)足利将軍家の故実のひとつ「笙」(雅楽)と足利義稙との関係から、義稙の政治姿勢の変化を読み取ろうとする論文。https…
RT @ursus21627082: 日本でもすっかり定着した「ハロウィン」をアイルランドに残る「ケルト」文化から紐解く言説に対して、古代アイルランド島の文化を「ケルト」と呼びあらわすことはできないという欧米学会の研究動向をまとめた九鬼由紀「ケルトとは何か」『関学西洋史論集』4…
RT @manshu226: 古文書にもとづいて古民家の床下の土から硝石をつくる実験をしたらしい。 https://t.co/4sBIhWSRU4 「煙硝づくり『古土法』の史学調査と実験的検証について」(薬史学雑誌 54(2)、2019)
RT @medieval_oota: なんと、原田信男 先生の『中世村落の景観と生活』が、国立国会図書館デジタルコレクションで読めます! 書籍化前の”博士論文”が公開されているのです(筆者承諾済)。 ひとまず、ばーっと読んでみました。 高島緑雄先生の『関東中世水田の研究』と…
⇧ 写真①②は黒田基樹 編「史料紹介・上杉憲実文書集(2)─山内上杉氏文書集7」より https://t.co/PmiLhYOr3m 写真③は『伊東市史』所掲の上杉房定書状(424号) 写真④は吉川弘文館 編『花押・印章図典』より
@fushunia こんばんは 検索してみたところ、『桑島流秘伝馬医巻物』という史料の中に「五病之吉相之事」というのがありまして、「結馬久敷といへども、腹なり目之内ゆるく、起ふしかろくは死すことなし」などと見えます。 https://t.co/QURLwMVCgJ
康房の父清房は長房の猶子となってるし(房字が通じるのもそのためか)、康房の曾孫宣盛は長房玄孫の九条大納言光経の猶子(養子?)となり隆経と改名しており、康房(清房)流と長房流はかなり親しい付き合いだったのが分かるのだ。 https://t.co/TVnwKU9Og3 ←6コマ目 https://t.co/y5Vbq22cTa
「尊卑分脈」で康房の子孫を見ると、官位を正四位まで盛り返しているんだよね。 これは同じ勧修寺一門宣孝流の海住山民部卿長房の系統と親密な関係を保ち、その縁故を利用できたためではなかろうか。 https://t.co/TVnwKU9Og3 ←28コマ目 https://t.co/EUFzBhvaQq
田中奈保氏の論文「高氏と上杉氏─鎌倉期足利氏の家政と被官」読みたいけど、図書館も本屋も空いてない

43 0 0 0 OA 群書類従

@IichiroJingu そういえば、『難太平記』において、憲房が尊氏に討幕挙兵を勧めた、あるいは清子が憲房だけに家時・貞氏の「御造意」を言い聞かせていた、と見えるのも気になるところです。 https://t.co/TL2TTTwyCc https://t.co/ElPynbmi3X

25 0 0 0 OA 鎌倉持氏記

RT @rokurohei_XI: 『鎌倉持氏記』は、『室町軍記総覧』と『高崎市史』に翻刻があるけど、国会図書館所蔵本が唯一の伝本だからその画像⬇️を見るのだよ。 https://t.co/POliq2QtKe 校訂しなおして某書の巻末付録にしようと思いついたのは後の祭り。

7 0 0 0 OA 今昔物語集

『今昔物語集』巻25第5「平維茂罸藤原諸任語」かしらん…? https://t.co/TkUZ6qm7Vn https://t.co/akmw3KABXa https://t.co/naRsJiSxMP
RT @whitemachi: https://t.co/5GFG0dKKuS 暴走する牛車に乗る鎌倉公方とか面白すぎるからやめてほしい
RT @studiokgk: 厚真町、もともとあったアイヌ語地名を軒並み日本風に改竄したところなので前から良い印象がない。 https://t.co/IEnIx5rHo5 https://t.co/WJ2rdfkVf7
RT @KusodaYoroi: https://t.co/2cTSukgFN2 これこれ。持氏が金襴の肩衣に小袴、片籠手、脇盾、鎖の単袴という小具足姿で出てきており、厳密な故実が存在したらしい。
RT @kojima_sakura: 『国会図書館月報』の「中世の古文書を読んでみよう」、今回は武田信玄の朱印状を取り上げています。https://t.co/zOkMdzofUr 「眼病なので印判にした」という言い訳付きですし、押された位置も名前の下で、まさに花押の代わり。(続
RT @kojima_sakura: >RT 「文書の中の文書」というタイトルで、和与状を引用した関東下知状について解説しています。 『国立国会図書館月報』のページはこちらです→ https://t.co/Ml0Fr5aRuU 該当頁のPDFはこちら→ https://t.co…
RT @hashimoto_tokyo: Nスペ「古代史ミステリー 「御柱」 ~最後の“縄文王国”の謎~」を見て、御柱祭についてきちんと知りたくなった人は、怪しい本よりまず石川俊介さんの「諏訪大社御柱祭の文化人類学的研究」を読むことをお勧めします(PDF注意)。https://…
RT @asijaga2nd: 『精進魚類物語』https://t.co/quXldOc3BB 室町時代、一条兼良作とか伝わる源平合戦擬人化パロディー。納豆や野菜に扮した精進物軍(源氏)が、魚や鳥(平家)を最後は鍋の具に。

お気に入り一覧(最新100件)

「いうまでもなく、中世の寺社は「寺家」「社家」と称されたように何らかの意味で当該集団が家に擬制される性質を持っており、その意味では第二部も「家」論と見なし得るのだが、[…]」(103頁)。https://t.co/LEEbZFLx10
福井藩の忍者に関する基礎的研究 https://t.co/fArmTNXkzh 慶安二年から慶応二年まで存続した福井藩の忍び。忍術を稽古して忍び道具携行するのはテンプレなのに、権利が株として売買されてたり、タウンマップに忍者屋敷が堂々と載ってたりするのが妙におかしい。
秋篠宮悠仁さまの最初の学術論文がJ-STAGEにて公開されています。 https://t.co/OxRkIVGr6t
昨今のネコやクマの混乱をみるにつけて動物愛護のことはきちんと勉強しておかなければならない。そういえば日本における動物愛護精神発露の初期のものとして「生類憐みの令」が挙げられるんだっけと思って調べていたら面白い論文があった。こちらは前編(哺乳類) / https://t.co/vq5Nts1RDK
私は学界の第一人者ではありません(むしろアンタッチャブル)が、彼女は私と対立しているのではなく学界の総体から相手にされていません。詳しく知りたければ学会誌の東大イスラム学研究室の松山先生による書評をお読み下さい。https://t.co/gHH3YFaWoZ https://t.co/wSVuiGn53x
ストライクフォースさんに教えてもらった「弥生時代の戦闘技術」 先史時代は世界中どこでも死因における殺人の割合が高い事は知られてるけど、私は死因を調べたものを読んだのは初めてで面白かった。 背後から刺すのが多く、まあそうだよなと。 https://t.co/71Adjj855l
昨今、#関宿周辺の河川普請 の話題がSNS上で大変話題となっているようです。 そこで、8年前に出された論文ですが、戦国時代後半も含めた #関宿 周辺の河川普請について、以下に紹介致します。 #松浦茂樹(2015)「関宿から利根川東遷を考える」『水利科学』59巻1号 pp.27-56 https://t.co/AT4QlPLBTZ
日本語史についての無理解から、研究者が著作で誤りを広め、強く批判されています。これに関し、以前日本語学会の学会誌に載った矢田勉氏の「日本語学会の社会的役割と『日本語学大辞典』」は多くの人にぜひ読んでほしい。誤った説を広める代表的な著作が批判されています。https://t.co/3EeyhKnDTI
拙稿「室町幕府の文書管理―南北朝~室町初期を中心に―」(『アーカイブズ学研究』36、2022年)がダウンロードできるようになりました。正誤表もあります。 https://t.co/E3cZYFWZO8 https://t.co/6EKi0JOHKJ
CiNii 図書 - 室町・戦国時代の相国寺領荘園 https://t.co/JZFYCMh4VD #CiNii
金原ダム湖におけるオオクチバスの機能的根絶。坪井ほか 2023 (日本語論文、OA) https://t.co/giznHoyNo6 長野県の金原ダム湖でアイカゴ、かけ上がり用刺し網、水中銃などによる駆除をした結果、2018年以降成魚が確認されなくなったようです。(続く) #論文紹介
小林信彦「空海のサンスクリット学習」 https://t.co/JDtUU1yPz4 空海は、サンスクリット語をほとんど学習していなかったし、読めもしなかったと論じる火の玉ストレートすぎる論文を読んでいます(論文の趣旨とはズレる注の補足箇所などには、小林先生自身の極端な主張も目につきますが……)。
Twitter(X)は最近の生態学を含めた研究の動向を知る上で個人的に欠かせないサービスです(特に子供が生まれてから)。また思わぬ発見もあります。2年前に、海上でコモリグモが発見された事例を蜘蛛学会誌に報告しましたが、これもtwitterの投稿がきっかけです。 https://t.co/NmBV153Kzt https://t.co/bdi96mgcQu
ちなみに宝幡寺の寺役人や支配機構、寺領については、松本さんが精力的に取り組まれているので、興味ある方は是非合わせてご覧いただきたい。 近世中後期出羽国宝幢寺における寺役人の職分・身分 : 近世寺院領主の統治機構とその特質 https://t.co/84XHxDEZPo https://t.co/zq6wi2SM2j
PDFあり。 ⇒飯田 隆夫 「相模大山木太刀奉納の起源──初代市川団十郎の元禄六年自記を介して──」 『演劇学論集 日本演劇学会紀要』76 (2023) https://t.co/cJCsEvyjxm
PDFあり。 ⇒高井文子, 近能善範 「日本の初期パソコン市場における競争 NEC PC-98帝国の誕生から崩壊まで (前)」 『赤門マネジメント・レビュー』22巻3号 (2023) https://t.co/B5nFhgRc9y
松下憲一「北魏の国号「大代」と「大魏」」 https://t.co/xBQj7i0ely かまーんめーん( ´艸`) https://t.co/dJSvh8OiW4
PDFあり。 ⇒小川 剛生 「兼好の居る場所─六波羅探題とその周辺─」 『中世文学』67 (2022) https://t.co/qrniAPyhgZ
PDFあり。 ⇒佐多 芳彦 「烏帽子の誕生と変化について」 『立正大学文学部論叢』第146号 (2023/3) https://t.co/CpolELdSvD
メモ。吉原弘道『平安~室町時代における刀鍛冶の基礎的研究:中世刀剣書を中心とした刀工一覧(稿) : 日本学術振興会科学研究費研究成果報告書』(2023年2月)*所蔵先は東大史料編纂所のみ(2023年6月5日現在)。今後もっと増えるかしらん。https://t.co/5qEsxw5BLS #こんな論文が出ていたようです
オメガマンは韓国最古の稲は「松菊里遺跡(紀元前850年頃)」と言っていたけど、↓によると漁隠遺跡からは突帯文土器と炭化米が出土しており1260~960calBCで日本より古い。 総合研究大学院大学 2005 弥生時代の開始年代 ―AMS -炭素14年代測定による高精度年代体系の構築― https://t.co/6Uwk28is6V https://t.co/NErlF5YzGW
宇文泰の子どもたちは、どんな一族と結婚したのか。北周宗室の婚姻状況の変化を追った論文が、拙稿13「北周宗室の婚姻動向―「楊文愻墓誌」を手がかりとして」(『駿台史学』144、2012年)です。注27であげた「北周七女碑」も地味ながら貴重な石刻史料です。 https://t.co/ur4mFbWhq9
その終焉の手前の、あがきとあきらめ、その渦中にあったのが、今回展示されている土御門晴雄による「彗星出現一件」だと思います。 展示内容に無いこともたくさんベラベラ書いてしまいました。 詳しくはというか正しくは下記ふたつの論文をご参照ください。 https://t.co/rF49Ttx11j… https://t.co/Ogp4fkN1N9
畠山家の抗争と山城国守護と山城国一揆と御料国化政策あたりを調べているところだったので、興味深い内容。山城守護は義満による興福寺統制の実現を前提として設置されたとか、伊勢貞陸以前に義満の最側近・結城満藤や、高師英が務めた時期があったとか。各時期の変遷。 https://t.co/5I0rCEvEsq
広橋家記録の「永禄6年 補略」全文は、赤坂恒明氏の「永禄六年の『補略』について─戦国期の所謂公家大名(在国公家領主)に関する記載を中心に─」を参照(リポジトリ)のこと。 https://t.co/1ZvefbizTd https://t.co/4ygh3f93BD
『早稲田大学高等学院研究年誌』67に「丹波の石清水八幡宮寺領荘園 -諸国石清水領荘園概説(一)-」を執筆しました。諸国の石清水領荘園について概説する企画の第一弾です。別媒体でも同企画の論文を発表する可能性があるので、通し番号を振っておきました。 https://t.co/9ha4UKEvhX
文献を教えてもらいました。ありがとうございます。ニホンオオカミとヤマイヌの関係について科学的知見に基づいた考察として個人的に一番納得できる総説。面白いです。 / J-STAGE Articles - オオカミやヤマイヌと呼ばれたシーボルトが残したニホンオオカミ標本の謎 https://t.co/krXO4hTJFG
東照宮綱吉公有徳院殿公神道御条目 - 国立国会図書館デジタルコレクション これが以前論文にも書いた、近世神職偽文書のホームラン王とも呼べる、元和天和御条目です。 https://t.co/OcRDrQ0umT
家永遵嗣「14世紀の公武関係・朝幕関係と室町幕府」(学習院史学56号)先日読了。 観応の擾乱後、室町幕府は2代将軍足利義詮の下で安定するが、義詮の親裁は寺社本所領保護を基調としており、武士の利害と反する政策を実行している。 https://t.co/rxXQupkJLn

110 0 0 0 OA 史籍雑纂

原本手書きで分かんなくて検索したら、活字が、国会図書館デジタルの史籍雑纂にありました。北条下げな逸話な感じ。氏政の酒乱で酒の席で厠禁止にして失禁するのを見てゲラゲラ笑う(意訳です)逸話もあって、これはいつたい……https://t.co/BKmMrYwN9W
最近はこんなことになっている。減らしてもだいじょうぶだよ! 水稲作におけるリン酸減肥基本指針の策定 https://t.co/akQOhY63QY
じゃあリン酸は水田でどのように溶解してイネに吸収されるか。それはこの研究とか。 湛水下の水田土壌におけるリン酸の溶解度上昇の原因について https://t.co/raHfrH92U7

6 0 0 0 高城氏

メモ。千野原靖方『下総原氏・高城氏の歴史』(手賀沼ブックレット、たけしま出版)、〈上〉第1部「原氏」は2017年7月、〈下〉第2部「高城氏」は2021年10月の刊行。https://t.co/nJm1E1EScv #こんな論文が出ていたようです
#鎌倉殿の13人 は「こうぎょう」のようですが、山田邦和先生ご教示の舘隆志「公暁の法名について」の読みは「こうきょう」で、「暁」を呉音:ギョウ、漢音:キョウ とする理解。ただ、手元の『新漢語林』を見ると「ギョウ」は慣用としているので、それなら良いかもしれない。 https://t.co/03z4sCPVFJ
過日『写真集「諏訪社遊楽図屏風」』(諏訪市博物館、2001年1月)を購入したけど、『御柱祭:神長官守矢史料館八ヶ岳総合博物館企画展』(茅野市神長官守矢史料館、2022年3月)も買えばよかったと後悔。御柱祭にかんする中・近世の古文書の写真等を翻刻付で掲載していた。https://t.co/Jzi7kiV18v
⇨舘氏の論文は <https://t.co/4PRfkwZN3v>からダウンロード可能です。

10 0 0 0 OA 本草綱目

明代の『本草綱目』には夏冰の項目に、冬場の氷を夏になるまで氷室で蓄えることや、夏に氷を食べすぎた皇帝が腹を壊した話などが引用されているが、“凝水石”で氷を作れるという『淮南萬畢術』の記述がガセ認定されていて、硝石で氷を作る技術のほうはおそらく既に廃れていた。 https://t.co/2UwPbHuu0P https://t.co/r8JBQqeKqL
先祖とか子孫の話ではなく、奥州合戦後の奥羽における地頭配置の在り方などに論及できればと思っています。【参考文献】 「出羽国由利郡地頭由利維平をめぐって ― 源頼朝政権と出羽国」 https://t.co/jxFbkJ05lv 「中世前期、出羽に進出した京・鎌倉の武士たち」 https://t.co/E3PvaAEmzf
続編。山口真也「漫画にみる図書館職員の人物像 (1990年代以降)」 https://t.co/EbSJt9RINr 「図書館職員の職業観であるが、図書館職員の仕事は、館種問わず「平凡」「地味」「同じことの繰り返し」「ヒマ」という負のイメージが強い」メディアの影響は強いよね、という。
先行論文のこちらも。山口真也「漫画にみる学校図書館と学校図書館職員のイメージ」 https://t.co/Yx5DGEDkRU 「繰り返せば、学校図書館は「人気のない場所」であり、学校図書館職員は専門職とほとんど無縁の活動を行っている」
この話題については、20年前の論文だけどこちらの力作が面白い。山口真也「漫画作品にみる「図書館の自由」 : 「利用者の秘密」を漏洩する図書館員」 https://t.co/k76CqRfLpA 「図書館あるいは図書館員が登場する漫画作品について、1967年から2001年に発表された作品まで合計1784作品収集」 https://t.co/UW2GQvanKC
従って「シャンペンサイダー」は日本発祥であろうと思っていたのですが、 『なぜ三ツ矢サイダーは生き残れたのか』に引用されていた『業界回顧史』を読んでびっくり(続く) https://t.co/cUxM1QZDyu
「山背国府」で検索したら、木下良先生の論文があった。 https://t.co/h2o642Q7cG https://t.co/A0Pkwdyss9
雑定は、北魏の「山公寺碑」に登場する姓です。事例が少なすぎて、詳細不明の謎の姓ですが、羌族の可能性が指摘されています。拙稿「北魏後半期の州府僚佐ー「山公寺碑」を中心に」(『東洋学報』91-2、2009年)でちょろっと触れました。https://t.co/vpp8cVfpIL
PDFあり。 ⇒齋藤 敬之 「近世ザクセン選帝侯領における手工業者の決闘に関する一考察 : 法規範と裁判記録を対照させて」 『アカデミア. 人文・自然科学編』第24号 (2022/6) https://t.co/4t9eyCdjjl
PDFあり。 ⇒林雅代,山田彩佳 「ランドセルの歴史と日本人のジェンダー観の関連に関する研究」 『アカデミア. 人文・自然科学編』第24号 (2022/6) https://t.co/I4KKR2awl9
岩村忍はリットン調査団に同行取材したという談話を残していて、同時代資料でウラが取れないものかと次デジで検索したところ、満鉄の報告書に調査団一行の特別列車3号車に乗っていたことが分かった(^^)/ https://t.co/azyaYaLxiK https://t.co/5foCZ1jzrq
ちなみに土用丑の日について文献記録から検証した最初の人は、私の知るかぎり宮川曼魚(『深川のうなぎ』)です。国会図書館にログオンすると読めます。 https://t.co/mvtDnvtC2i 土用丑の日についておすすめする関連書は『すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ』(飯野亮一)です。
幕末の講武所風などの武士の風俗の話(先の揃いの袴の話も)はこちらから。稽古着はボロければボロいほどありがたがられたというのは笑ってしまった。 https://t.co/mg7Im3dm7J
こちら山口広『検証・統一協会=家庭連合』についても、当方による書評がある。各章をまとめた部分だけ読んでも、かなりの事実がわかる。なお、これら書評は当方が勝手に書いているのではなく、専門学術誌編集委員会からの執筆依頼を受けて執筆し、掲載されたものである。 https://t.co/fNkmyaejE3
さすがにハードルが高すぎるよ、という方には、同書(櫻井義秀・中西尋子『統一教会』)の書評を当方が書いていますので、読んでみてください。要点はおさえられていると思います。https://t.co/kdkc6I8Ad4
補足。 URLの資料を読む限り、米軍が朝鮮戦争で日本から調達していたとき、 M2迫撃砲用の60mm砲弾を生産していたのは ダイキン(大阪金属工業)ではなく 大同製鋼(現:大同特殊鋼)みたいなんよな ダイキンは代わりに81mmを作ってる https://t.co/jDoFM3H7XM https://t.co/jDoFM3H7XM
罪責感とその軽減 「水子供養」調査から : 高橋 由典 _ ソシオロジ 1987年32巻1号 - J-STAGE https://t.co/DY5BCaCQSr
水子供養にみる胎児観の変遷 : 鈴木 由利子 _ 国立歴史民俗博物館研究報告 - 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ https://t.co/U5X0253W2W
水子供養の発生と現状 : 森栗 茂一 _ 国立歴史民俗博物館研究報告 - 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ https://t.co/oFY68kilLT
どの組織でも言えることだけれども、学芸員の非正規雇用や短期雇用が常態化するとこうなるのよな 出典論文↓ https://t.co/hOtit98qmc https://t.co/KySQjd2zal
さらに、沖縄のシングルマザーが共同体に助けられている、という俗説を聞き取り調査から批判したのが平安名萌恵の論文「「沖縄の非婚シングルマザー」像を問い直す」(2020)です。 https://t.co/WV8Z5yniJV
PDFあり。 ⇒薗部 寿樹 「史料紹介『看聞日記』現代語訳(二四)」 『山形県立米沢女子短期大学附属生活文化研究所報告』49 (2022/3) https://t.co/LcLxcMVMw1

4 0 0 0 OA 三国伝記

『三国伝記』「加州盗人依大般若助命生事」に『太平記』第五巻で護良親王が大般若経の唐櫃に隠れて助かった説話まんまの話が載ってる。空いていた唐櫃に入った後、別の唐櫃に移って難を逃れるところも、追手が「大唐の玄奘三蔵」云々と笑う場面まで含めて完全に一致している。 https://t.co/30Pdza8Pa2
1つ前の紀要論文が英文論文なんだけど、これも英文である必要が全くわからない謎論文だった。 [英文論文] 中村宙正 「池江璃花子選手の哲学に彩られた財政学」 『尚美学園大学スポーツマネジメント研究紀要』第2号(2021) https://t.co/A38YxI6M1v
ほんの少しだけ気になっていたアレ、公開されたのか! 中村宙正「オリンピアン麻生太郎選手の心と技と財政論」『尚美学園大学スポーツマネジメント研究紀要』3(2021) https://t.co/RMCUsSJD8Z https://t.co/zfpHOuH6jU
https://t.co/NiL3Ywb10S なお当該史料は国会図書館デジコレで公開されている。
PDFあり。 ⇒砂田安秀, 杉浦義典 「マインドフルネスは有害な行動にむすびつくか?――マインドフルネスと能動的攻撃の関連に対する危害/ケアの調整効果」 『パーソナリティ研究』30巻1号(2021) https://t.co/ZxWeDVvWoi
"具体的には,マインドフルネスによって自身の目的遂行の妨げとなる恐怖・不安などの感情の影響を排除することで,冷淡に,首尾よく計画を実行に移すことが可能であったとの証言がなされており…" https://t.co/U6I9FruP26
坂東武士の教養を論ずる際に、その識字率の低さの根拠にされるのが関東御成敗式目について述べた北条泰時書状の内容ですが、従来の解釈は、武士は無教養だという思い込みが前提にあったようです。この論文を御一読ください。↓ https://t.co/TOY1fFRTX3
ソ連国家による文書押収は、国内知識人だけでなくベルリンをはじめとする海外で何度も行われた。この問題に一番熱心に取り組んでいるのはパリ大のソフィー・クーレ教授である。彼女は『記憶の略奪La mémoire spoliée』で不可解な史料の旅を追う。その一部は日本語で読める。https://t.co/ert823WnAy
PDFあり。 ⇒小泉 悠 「ロシアの軍事戦略における中・東欧 ―NATO東方拡大とウクライナ危機のインパクト―」 『国際安全保障』48巻3号 (2020/12) https://t.co/6kQ6rO7kgg
平治の乱後の源義朝縁者の流刑にかんする論文。 在京活動を行っていた武士が流人の身柄を引き受けていたことや朝廷とは別に平氏独自の流刑が存在したことを指摘。 渡邉 俊氏「中世前期の流刑と在京武士」(福岡女子大学国際文理学部紀要『文芸と思想』80号、2016年) https://t.co/X6a8s16tSb
これによると、国造どうしの同族関係の中心には和邇氏や物部氏などといった中央の豪族の存在があったと考えられるケースが多いらしい。 政権お膝元の豪族が地方の豪族たちを同族に組み込むのがヤマト政権の勢力拡大の手段の1つだったのかな。 https://t.co/zkvWeuc58G

418 0 0 0 OA 百猫画譜

国会図書館デジタルコレクションのスポットライトのコーナーにあった『百猫画譜』 猫

52 0 0 0 OA 寛政重脩諸家譜

小笠原六五郎は、どちらの小笠原氏かと思ったら、 元々は遠江の土豪の堀江氏で、高天神小笠原長高の 一族に準じて、小笠原名字を名乗った家だそう。 この家、紀州藩士から徳川吉宗将軍就任のときに幕府旗本に転じて、代々累進して7000石の知行を得るまでになっています。 https://t.co/ynXk39C5w8 https://t.co/8pZ5Dq5KNY
唐突にオイカワ丸さんが登場してふいたw https://t.co/GCa5zb7Cfd https://t.co/zxTUITgPG4

3 0 0 0 OA 越佐史料

最近、国立国会図書館のデジタルコレクションで越佐史料が読めるのに気付いた。 これ、気付いた時はめちゃくちゃ嬉しかったよヽ(´▽`)/ https://t.co/ewUbobCqhD #帝國圖書館 https://t.co/1BmlWE5K44

43 0 0 0 OA 国史大系

山田先生が >「北条時政」と名乗ったり呼び掛けたりすることは皆無だったと思いますよ。 https://t.co/1btQ0Xss4J とおっしゃるように、一人称・二人称としては「北条時政」はありえないでしょうけど、『愚管抄』を見ると三人称としては「北条時政」は、ありだったようです https://t.co/iR4FTba24T https://t.co/rrD9QSJk5j

10 0 0 0 OA 続群書類従

続群書類従版の『小田原衆所領役帳』 https://t.co/trDKPGBDGK を見てますけど、太田大膳亮の所領の矢向が矢田と誤記されてたり、染屋が満屋に誤記されてたり、 群書類従は本当に誤記が多いので、別系の写本または原本が残っていたら、結局そっち探し出して確認する必要があるのが面倒くさい。。。 https://t.co/vnQ0XB0qhv
PDF公開。西川広平「南北朝期安芸・甲斐武田家の成立過程について」(『文学部紀要.史学』65、中央大学文学部、2020年3月)題目にあるように、14世紀後半における両武田家をとおして、南北朝期武家社会における家の成立過程を考究する。https://t.co/Xf4IeGcZYt #こんな論文がありました
PDF公開。平雅行「鎌倉真言派の展開:随心院流を中心に」(『人間文化研究』47、2021年11月)氏による20年以上の仕事の続編。「はじめに」曰く、「いよいよそのゴールが見えてきた」云々。楽しみ。https://t.co/g3hsFaqySY #こんな論文がありました
#考古学のおやつ 3/3 →cf. 辰巳晃司・奈良 貴史 (2021) 近世幕府旗本永井家の頭骨にみられる貴族的特徴について. Anthropological Science (Japanese Series), 129巻 2号 p. 53-74 [J-Stage (@jstage_ej)] https://t.co/lC9eU1nIKI
インド人とネパール人とパキスタン人の「インド料理屋」を支えているネットワークについては、すでに研究があります。互いの対立があり、同国人内でも出身地やモスク、インド人学校などを基点にして、それぞれ異なるリクルート・出店戦略があります。 https://t.co/e20mDCsxKa https://t.co/ARUQlFX94j
PDF公開。関周一「室町幕府の異国使節への対応」(『宮崎大学教育学部紀要』96、2021年3月)義詮~義勝期幕府の異国使節への対応をめぐる基礎的研究。各応対は、政治的演出を行った、現実の政治や社会において一定の意義を有したという視点から考察。https://t.co/Ovd8KAWphT #こんな論文がありました https://t.co/7KulLveSmD
CiNii 論文 - 金属製文化財の材質研究 https://t.co/TJUfBOD0WL #CiNii >『金之六斉』周礼考工記 錫14%…鐘鼎(しょうてい)の斉 錫17%…斧斤(ふきん)の斉 錫20%…戈戟(かげき)の斉 錫25%…大刃(たいじん)の斉 錫30%…削殺矢(さくさっし)の斉 錫50%…鑑燧(かんすい)の斉
ここで不二家の社史『不二家 五十年の歩み』を見てみましょう。国会図書館館内で閲覧できます。 https://t.co/zFWragv3gm
@uesugi_dewa 最近はチュクチ等北東アジア系の前合わせ式鎧を基に日本式鎧の技法を取り入れて作成されたもの、という説も出ております。ご参考までに。 サハリン発見「アイヌ鎧」の年代について https://t.co/KPZcwPPh8I

16 0 0 0 OA 紀行文集

蝦夷兵の兜と甲冑は、これに書かれたものに近かったんじゃないかと考えられる。 https://t.co/Q5pMTiv0RI (250コマ目) https://t.co/r57qMCe1dW
PDF公開。伊藤翔太「院政期の天皇前世説話について」(『北海学園大学人文論集』71、2021年8月)院政期に見られる天皇前世説話の内容分析から、同時期の天皇の往生や仏教的な罪に関する言説にも触れつつ、同説話の存在意義を検討。https://t.co/FQfX6RHbDO #こんな論文がありました
「康正二年造内裏国役段銭引付」室町期の写本。これ百瀬今朝雄さんによれば、伊勢被官の堤有家の作とのこと。まだまだ精進が足りない。 https://t.co/YR43OW2J1g

6 0 0 0 OA 解馬新書 2巻

https://t.co/AJ3rsW8hCK https://t.co/FYxUxL3kcM
アカポスこっわ. https://t.co/5XcThlTeLW https://t.co/UIbO91dSyE

39 0 0 0 OA 游心録 : 随筆集

堀口九萬一の随筆集『游心録』については、小沼丹のエッセイで知ったのだけど、小沼のエッセイでも引かれていたのが、柳原前光の北京公使の頃の小エピソ―ド。 元々の出典は国デジの『游心録』178コマ~ https://t.co/c5f1BjTwDx
蝦夷地の「無事」―17世紀アイヌ社会のなかの「和人」─(2003) https://t.co/gLzTQ4fjPD
GOZA先生が色川文書を使って後南朝関連の報告書を書いたようで読んでいる。 後南朝フレンズにはちょっと耳の痛い報告 https://t.co/t5e9iv0AuJ
拙稿「北周宇文護執政期再考ー宇文護幕僚の人的構成を中心に」(『集刊東洋学』98、2007年)のリポジトリ(電子版)が公開されてました。 正史と諸史料(石刻・仏典など)の宇文護像の違いを示し、側近や幕僚の人的構成を検討し、宇文護執政期の再評価を試みたものです。 https://t.co/Ywv3zh6OTW
引用は山口興順「関東における天台談義所の一側面」(『印度学仏教学研究』49-2、2003年3月)595頁。末尾の「宗教・学問活動がよって立ついわば下部構造の掘り起こしをもっと進めてゆく必要があるであろう」(597頁)という指摘も大事な気がする(たぶん)。https://t.co/IUG1Hc2LvJ
小札考 : ユーラシアからみた小札鎧の系譜(2009) https://t.co/Yzo4XkuQry https://t.co/80bDHPQqQP
小札考 : ユーラシアからみた小札鎧の系譜(2009) https://t.co/Yzo4XkuQry https://t.co/80bDHPQqQP
フルーツの細胞壁が、電解質のセパレータ https://t.co/erdr9UIMBh の様なイオン交換膜の役割をして。 フルーツのシロップの糖質低下(炭化が進めば糖質が低下する事で浸透圧は変化する)により、浸透圧の関係で、フルーツ外に糖質が徐々に排出された結果、フルーツそのものには、糖度が下がり

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