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「もがき求めている」 「つねにそこにある平和」 のあり方に関する鈴木大拙の具体的な表現の中で 一番好きなものは『百醜千拙』165 https://t.co/bubf7C8cex 「悪い事,厭な事が叢がり起る」 それに延々と対処する. 日常の営みの露悪的な表現ですが 地に足が着いた感じで心地よい https://t.co/Q1ghXVZiCv
最も端的なのは鈴木大拙 『独立独行して,自分の力を各自の特性によりて働かすなどと云うことは,機械化の今日では日増しになくなって行く… 個人の特性,千差万別的なるものを殺して仕舞う… 自由な発表が欠けた人間は,人間としていくらの価値もない』 『百醜千拙』256-(5) https://t.co/4AM7uyMsHB
『自由な発表が欠けた人間は,人間としていくらの価値もない。 処が,近代の科学,工業,社会組織などは,人間をこんな風に堕落させねば止まぬ』 鈴木大拙 『百醜千拙』256-(3) https://t.co/bubf7C8cex
『生死代謝の時節到来すれば 此身も亦やがて先行者の跡を逐う。 只此世に居る間は,ぢたばたする そうして過ぎ去し方を憶い出したり 未だ来ぬことなどを考える』 鈴木大拙『百醜千拙』3- https://t.co/bubf7C8cex じたばたする 過去を思い出す 未来を考える 当り前だけに共感してしまう(3)
@yumpastrami 正確にはコレです…「救われなくて良し」の感が私には響きました。 『我は間もなく神の所へ往かなくてはならぬ。 神は吾を如何やうに片付け給ふか、そは吾が知る所ではない』 鈴木大拙『百醜千拙』186- …戦前の本で著作権が切れており、リンク先は国立国会図書館です https://t.co/bubf7BQ30p
@yumpastrami 頁数は179頁でした。折角なので続きです。 『「神を敬せよ」,「神を愛せよ」という彼の言葉よりも,その日々の行為とその人の風格とを見る方が,よりよい説教であると,人々は評判した。勝手元がこみ合って繁忙を極むときでも,彼は平生の静和を失わず、神の現前を忘れなかった』 https://t.co/bubf7BQ30p
ブラザー・ローレンスが修道院で食事係をしていた小ネタ… 「自分は,この種の仕事を好む性質ではないけれど,神の愛するの一念からは,何でもやることは厭わぬ,嫌なことでも,好きなことでも,御意のままである,彼是に執着することは少しもないと自ら告白している」 『百醜千拙』 https://t.co/bubf7BQ30p https://t.co/SRymCtPFuJ
『大会社の事務を整理して行くも、国家の経済を立てて行くも、皆一家庭の勝手元を締まった心でやれば…何でもないことである。 当面の仕事を処理して行く力と、責任の感じないものは、何をやっても、出来上がるためしはない』 #鈴木大拙 『百醜千拙』178-(2.了) #禅 https://t.co/bubf7BQ30p
『学問の修得も、坐禅の練習も、法眼の獲得も、固より…大切であるが、作務の慣習がないと、禅僧の教育は完璧と云われぬ… それ故に手足の労働即ち作務なるものを、僧堂の教育の基礎とせぬ処には、真正の作家を鋳出し得ないと予は信ずる』 鈴木大拙『百醜千拙』192 https://t.co/yvlQLdHyxT #禅 #仏教
『禅宗の人は「教外別伝、不立文字」の次に「直指人心、見性成仏」というが、これは佛教にかぶれた文字で、本当の禅の見方からすれば、心だの、性だの、成仏だの云うのは、蛇足を添えたに過ぎない』 鈴木大拙『百醜千拙』8 #仏教 #禅 https://t.co/bubf7BQ30p
『道光…「禅師、あなたは何の心を用いて道を修せられますか」 珠「老僧には心の用ゆべきもなければ、道の修すべきもない…」… 光「私には何が何やら薩張りわかりませぬ」 珠「…尤もだ、老僧自身にも頓とわからぬのぢゃ」』 #鈴木大拙 『百醜千拙』116- #仏教 #禅 https://t.co/bubf7BQ30p
『 #自由 な発表が欠けた人間は、人間としていくらの価値もない。 処が、近代の科学、工業、社会組織などは、人間をこんな風に堕落させねば止まぬ』 #鈴木大拙 『百醜千拙』256-(3) #仏教 #禅 https://t.co/bubf7BQ30p
『 #趙州 の語録 …の問答… 一人の婆子が問うた 婆は是れ五障の身で地獄は決定と思いますが、どうしてこれを免れ得ましょうか… 答に曰はく… 願わくば一切の人は悉く天に生まれてくれ。 願わくば婆々だけは永く苦海に沈むであろう』 #鈴木大拙 『百醜千拙』153 #仏教 #禅 https://t.co/bubf7BQ30p
『我は間もなく神の所へ往かなくてはならぬ。 神は吾を如何やうに片付け給ふか、そは吾が知る所ではない。 吾は何時も仕合である。この最もつらき訓練を受けねばならぬ吾は、不断の喜びを覚える』 ――ブラザー・ローレンス #鈴木大拙 『百醜千拙』186- #仏教 #禅 #キリスト教 https://t.co/bubf7BQ30p
生死代謝の時節到来すれば、此身も亦やがて先行者の跡を逐う 只此世に居る間は、ぢたばたする そうして過ぎ去し方を憶い出したり 未だ来ぬことなどを考える #鈴木大拙 『百醜千拙』3-4 #仏教 #禅 https://t.co/bubf7BQ30p
→而して離有なみだを流す、死んでからは、他力でどこかへ行く、又行かなくてもよい。 鈴木大拙『百醜千拙』165 https://t.co/bubf7BQ30p
とに角、こんな塩梅でせつせつとくらす。而して離有なみだを流す、死んでからは、他力でどこかへ行く、又行かなくてもよい。 ーー鈴木大拙『百醜千拙』165 https://t.co/bubf7BQ30p
公案禅に付随する最も危険な説は、禅と人格とを二つにすることである もし禅が一種の芸術であり、又一種の知的産物にすぎぬなら、人物と禅とを区別して見るのも亦敢て妨げまい が、禅の本質は人格の全分から迸り出た精神的表現である ――鈴木大拙『百醜千拙』79-80 https://t.co/yvlQLdHyxT

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