著者
池田 寛二
出版者
法政大学サステイナビリティ研究センター
雑誌
サステイナビリティ研究 = Research on Sustainability : The Academic Journal of the Research Center for Sustainability (ISSN:2185260X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.7-27, 2019-03-15

「サステイナビリティ」という言葉は、現代社会に遍く通用している流行語のひとつである。だが、それゆえに、多方面の専門家らによって異なる観点から多様に意味づけられ、この言葉を用いた議論に少なからず混乱が見られることも事実である。本稿は、このような現状を踏まえて、サステイナビリティを、多義的な流行語もしくは標語としてではなく、「概念」として再検討することを目的とする。ここで「概念」とは、マックス・ウェーバーの言うところの、「経験的実在を思考により妥当な仕方で秩序づける」ための「装置」のことを指す。それは結果的に「理念型」、すなわち、無限に多様な経験的実在を構成する諸事象の連関を、それにどの程度近いか、または遠いかという観点から判断し叙述するための表現手段とするために、現実のどこかに経験的に見いだされることのない「ひとつのユートピア」概念として提示される。その際に、本稿で特に留意するのは、サステイナビリティの概念を「人新世(Anthropocene)」、すなわち、人間が地球環境に刻みつけた痕跡が人間以外の自然の巨大な力に匹敵するほどに地球環境の機能に大きな衝撃を与えるようになった産業革命期を起源とする時代に私たちが今生きている(その典型事例が気候変動)という地質学的な時代認識を前提にして検討することである。人新世の歴史観を踏まえ、シーレによるサステイナビリティの作業的定義とベッカーによる当該概念のコアにある三つの思考様式を手掛かりとし、さらに「トリプル・ボトムライン」や「サステイナビリティのトリプル・ヘリックス・モデル」、ケイトーのスキームなどサステイナビリティの概念をめぐる先行研究を参照しつつ検討した結果、本稿では、図1に素描されるように、人新世の自然、すなわち、自然が「(人間)社会が入り込んでいない自然」と「(人間)社会が入り込んだ自然」から構成されているという認識に立って、前者を「自然」、後者を「環境」と弁別したうえで、「サステイナビリティとは、社会と環境が持ち応え合う(bearable)関係で、環境と経済が育成し合う(viable)関係で、経済と社会が公平/公正を保障し合う(equitable)関係で重なり合っている状態を意味する」、そして環境と経済はいずれも社会関係に埋め込まれている、という定義を理念型として導き出すことができた。この理念型を再度シーレの作業的定義を参照しながら、倫理、科学、文化、世代間公正とサステイナビリティとの関連性を考察し、最後に、資本主義とサステイナビリティの関連性を検討した。その過程で、人間を人類として一様に捉える地球管理主義とそれを支える「地-権力」およびサステイナビリティを資本主義の枠組みに組み込んで無限の経済成長を喧伝する自然資本主義が、この理念型から遠ざかっていることを批判的に論じた。

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池田 寛二、2019、サステイナビリティ概念を問い直す : 人新世という時代認識の中で/法政大学サステイナビリディ研究センター https://t.co/sqirT3Rv7E

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