著者
下川 潔
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.29-52, 2006-03-25

近年有力視されている解釈によれば、ヒュームは、グロチウス、ホッブズ、プーフェンドルフ、ロックらの近代自然法学の伝統に依拠しつつも、その伝統を批判的に継承し、経験的方法を一貫して用いることによって世俗的自然法学としての正義論を確立した、と言われる。しかし、ヒュームが何をどの程度まで近代自然法学の伝統に負っているか、また逆に、彼の自然法思想がいかなる点でどれほど独創的であるかは、実はまだあまり解明されていない。そこで本論文では、ヒュームがいかなる正義概念を用いたかという一つの限定された観点を採用し、その観点からヒュームと近代自然法学の伝統との連続性と断絶を検証する。それによって、ヒュームがこの思想伝統から多くの思考の素材を得ながらも、独創的な正義概念を作り出したということを明らかにする。また、彼がその正義概念を採用することによって、近代自然法学の貴重な遺産の一つが失われてしまったことも示す。 本論文の1 節から3 節までは、ヒュームがいかにグロチウスの正義概念を継承し、それを変容させたかを彼らの主要著作に即して明らかにする。ヒュームは、グロチウスから正義概念の核──正義とは、他人のものに手を出さないこと(alieni abstinentia)であるという見解──を学びとった(1 節)。しかし、彼はグロチウス正義概念の基礎にある完全な権利という概念を捨て、正義は権利を前提としないと考えた(2 節)。さらにヒュームは、配分的正義を本来的な正義の領域から追放したグロチウスの戦略を基本的に継承しながらも、一般規則の問題として考察する限り、配分的正義も正義の一部分をなすと考えた(3 節)。4 節と5節は、ヒュームの正義概念の独創性を考察する。彼の正義概念は、正義を規則遵守として明確に位置づけた点、また正義の対象を外的な財産だけに限定した点で独創的である(4 節)。この正義の対象の限定は伝統的な正義の対象の縮小化を意味するが、ヒュームは「三種の異なる善」に関する議論によってこの縮小化を正当化する。この議論は誤った前提や推論にもとづいているが、これによってヒュームは、近代自然法学が正義の領域内で保護しようとした生命、人身の自由、人間の尊厳などの価値を、法の平等な保護の外へと排除してしまう。

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