- 著者
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鈴木 由加里
- 雑誌
- 人文 (ISSN:18817920)
- 巻号頁・発行日
- vol.5, pp.39-56, 2007-03-26
フランス哲学が日本に輸入されて以来、多くの哲学者が紹介されたが、現在では忘れられている哲学者も少なくない。ジャン─ マリー・ギュヨーもそのような哲学者の一人である。ギュヨーは、中江兆民の編んだ『政理叢談』において、その著作が紹介され、明治末期から大正期にかけては、多くの邦訳が出版され、また英訳を介して文壇及び大正期の文化に影響を与えた。アカデミズムでも美学・教育学・道徳学において一時期取り上げられたが、その後アカデミズムでは取り上げられず、主体的に論じられることもないまま現在に至っている。 明治末から大正期にかけて発展した大学制度においては、哲学といえば新カント派のドイツ哲学であり、それに対抗するものとして、当時のフランス哲学が在野の文化人や一部の大学の研究者によって取り上げられてきたものである。フランス哲学の受容において、重視されたのは、「現代性」「同時代性」であり、それ故、明治大正期に取り上げられたベルクソンやブートルーなどは「現代哲学」として受容されていたのである。 難解であるけれども思想的な深さをもつドイツ哲学に対して、明晰判明であるが浅いフランス哲学という批判を退けるために、ギュヨーを初めとするフランス哲学者がアカデミズムにおいて紹介されたのである。その目的は、ギュヨーの思想の研究ではなく、むしろフランス哲学の特性を証明するためであった。 そこには、ドイツ哲学を経由したフランス哲学観を離れてフランス哲学を研究することへの希求が存在している。しかし、そのフランス哲学受容の必要性の主張の裏には、「現代哲学」としてのフランス哲学を研究し、それを日本的な哲学の創生に役立てるという目的も同時に存在しているのである。欧米の思想の輸入過多に対して、日本的なるもの、日本独自の哲学という西欧思想との融合に際して、フランス哲学が利用されていたのである。そのような目的において、ギュヨーの哲学は役立つと考えられなかったためにアカデミズムの中で研究されなくなっていった。ギュヨーの生命の哲学を日本的な文脈の中に置き換えることは難しく、19 世期末に夭逝した哲学者であったために哲学史における評価も定まらず、ベルクソンの哲学ほど利用価値がないと判断されたために忘れられた哲学者となっていったのである。