著者
清水 聡
雑誌
玉川大学経営学部紀要
巻号頁・発行日
no.31, pp.17-31, 2020-03-20

本稿は,1950 年代における極東情勢と欧州情勢に対するソ連外交の決定過程を取り上げる。1950 年,朝鮮半島において朝鮮戦争が勃発し,極東において「冷戦」は「熱戦」へと転化した。アメリカは朝鮮戦争に迅速に介入し,ソ連に対して攻勢を強めた。その上,西側連合国(米英仏)は,ソ連が西欧を攻撃するというシナリオを防ぐために西ドイツの再軍備を決定した。1950 年,西ドイツの再軍備問題は欧州防衛共同体(EDC)として計画された。 この時期,ソ連は西側連合国に対して中立を基礎にドイツを再統一することを目的としてスターリン・ノートを提案した。しかしながら西側連合国は,スターリン・ノートをEDC 条約の調印を妨げることを目的とした危険な提案と見なして拒否した。 アメリカがソ連に対する強硬な政策を採用したことに直面して,スターリンは極東情勢と欧州情勢のグローバルな連関を再考しなければならなくなった。スターリンは東西ドイツ間の境界線を危険な地帯として,防衛することを東ドイツ指導部に命令した。朝鮮戦争とスターリン・ノートの失敗は冷戦に強い衝撃を与えた。 冷戦史研究に取り組む研究者にとって,極東情勢と欧州情勢とのグローバルな連関は,重要な主題であり,この研究モデルは冷戦の真相を解き明かす可能性を秘めている。

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■研究業績(清水聡)です。 「極東情勢と欧州情勢の連関―1950年代の国際政治とソ連外交―」 https://t.co/escQwnXEqI

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