巻号頁・発行日
1869

統計 / 和装 / 明治2年

言及状況

Yahoo!知恵袋 (1 users, 3 posts)

大熊重信文書の『府藩県石高人口表』(明治2年)によると、鹿児島藩の管轄国郡は「薩摩全、大隅全、日向一郡」、飛び地の数は合計一とあり、どこにも「大和」の文字がありません。何か他藩と混同しての勘違いじゃないでしょうか? http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/26989/1/i14_a4361.pdf 以下の旧高旧領取調帳の ...
> 1. 江戸時代後期と明治初期の族籍別人口割合は、ほぼ同じと考えてよいのでしょうか。 藩によって違います。仙台藩では幕末に17万人前後いた武家の内、「陪臣」のほぼ全てと、身分の低い士分をすべて「帰農」させることにより、最終的に4万人程度まで士卒族人口を縮少させました。 戊辰戦争に負けた仙台藩以外でも、名字帯刀を許されていた富農クラス、地方の郷士、足軽クラスを、俸禄カットのために士族・ ...
徳川吉宗の時代より、各国別人口が集計されています。残っている史料によりますと加賀の人口は以下の通りです。 享保6年(1721年):20万6933人 寛延3年(1750年):20万2429人 宝暦6年(1756年):16万0778人 天明6年(1786年):19万6732人 寛政4年(1792年):18万9682人 寛政10年(1798年):19万2738人 文化元年(1804年) ...

収集済み URL リスト