中華民国は複雑なアイデンティティの形成を経ながら現在の「台湾」へと収斂していった。その背景には、有史以来の外来政権による支配や、蒋介石率いる国民党軍政期以来の社会的背景などが大きく関与している。台湾は長らくno man's land の状態であった。オランダ統治を契機に、以降様々な外来政権によって統治されることとなった台湾は、帝国日本の統治によって初めて「台湾」を意識することとなった。台湾は長らく複数のエスニック・グループが共存していた。エスニック・グループ同士で一つのネイションとして意識を共有することはなく、また一つのグループが明確に島の支配者として独立することもなく、棲み分けられていた。それは清朝統治時代においても同様であり、あくまでも部分的な統治に留まっていた。「日本」というネイションに統合されることで、台湾に住む人々が共に「日本人」化させられた。しかしながら、明らかな内地人と外地人の差別・差異に、外地人たちは自らを他者化することとなり、「われわれ」を意識することとなった。この「われわれ」は日本人とは異なるナショナル・アイデンティティを有するものであり、「台湾」創出の萌芽であった。本研究では台湾のナショナル・アイデンティティの萌芽を日本統治期に見るものである。方法として日本人作家の川合三良と台湾人作家の呂赫若の文学作品をテクストとして取り上げ、内地人が外地台湾をどのようにまなざしていたか、外地人たちが日本帝国の家族国家観による統治をどのように受容していたかの2 点を文学作品から分析する。さらに日本人という支配者が存在したことで、原住民族と漢族グループの境界に揺らぎが生じたことで、現代に繋がる「台湾」としてのナショナル・アイデンティティの萌芽が日本統治時代に現れていたことを明らかにする。