- 著者
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石丸 あゆみ
- 出版者
- 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部考古学研究室
- 雑誌
- 東京大学考古学研究室研究紀要 (ISSN:18803784)
- 巻号頁・発行日
- vol.25, pp.65-96, 2011-03-20
本稿では、最近増加した資料を含め弥生系土器が出土した遺跡のうち、弥生系土器の資料数が多く様相がそれぞれ異なる4遺跡と、朝鮮半島と日本列島を結ぶ交渉ルート上に位置し、拠点的な役割を果たしていたと考えられる原ノ辻遺跡の出土土器を比較検討することで、当時の日韓交渉の復元を試みた。弥生系土器の様相からI期:城ノ越式から須玖I式古段階、II期:須玖I式新段階から須玖II式の2段階に区分し分析を行った。その結果、I期は、弥生時代前期後半に交易の中継地として開始された原ノ辻遺跡と、朝鮮半島南部の金海地域を中心とした各地域との短期間の居住を伴う小規模な交渉が行われた時期、また勒島の集落もこの時期に朝鮮半島側の交易拠点として開始されたが、この時点では複数存在する拠点の一つであるということが明らかとなった。II期は、前漢の武帝による楽浪郡を含む4郡の設置以後に活発化した交易に、北部九州沿岸域を中心とした西日本の各地域の集団が積極的に関与するようになったため、原ノ辻が交易の拠点として発展を見せ、環濠集落が成立する時期である。勒島においてもこの時期が最も多くの弥生土器がもたらされる時期であり、原ノ辻の弥生土器と強い関連を読み取ることができるため、原ノ辻と勒島の間に集約された交易ルートが確立されたと考えられる。