著者
福家 崇洋
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.167-206, 2013-03-29

本論文は,1950年前後における京都民主戦線の軌跡を再検討した。京都民主戦線は敗戦後の日本で「革新」的な首長を次々に誕生させた統一戦線として知られている。本稿では,京都民主戦線を一地域の事象に限定せず,海外公文書所蔵資料を用いながら日本共産党の動きや国外共産党との関係まで視野に入れて捉えなおしている。1章は東アジア共産圏の構築を中国共産党の台頭と「極東コミンフォルム」構想に焦点をあてて論じた。2章は東アジア共産主義運動の再編にともなう中ソ両共産党から日本共産党への影響を明らかにした。具体的には日本共産党とソ連共産党の水面下の交渉と「コミンフォルム批判」にいたる経緯である。3,4章は京都民主戦線の軌跡を京都市長選から府知事選まで追いかけつつ,民主戦線勝利の背景や,日本共産党の民主民族戦線の変化 (「植民地 (日本)」「民族」の解放や「愛国」の強調) とその京都民主戦線への影響を明らかにした。市長,府知事の当選という京都民主戦線の成功は,従事者たちの意図とは別に,路線変更後の日本共産党の功績として位置付けられていった。5章は4章における日本共産党の民主民族戦線変化の要因をソ中両共産党の影響に探り,日本に後方基地攪乱の働きを求めるソ中両共産党からの指示を海外公文書館所蔵資料から跡づけている。6章は「志賀意見書」の波紋や国外共産党からの不信と警告,パージの影響を論じながら,日本共産党がしだいに党内部の亀裂を深めていく様を論じた。最後の7章では改めて参院選挙における京都民主戦線の動きに着目し,日本共産党の民主「民族」路線と急進化の影響がついにはイデオロギー対立による京都民主戦線の分裂にまでいたる過程を明らかにした。

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