著者
川口 朋子
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.113-136, 2013-03-29

本研究は,戦後京都を事例とし,戦時下に防空事業として執行された建物疎開の戦後処理状況を明らかにしたものである。戦後を迎えた京都は,空襲被災が微少という点において東京や大阪など五大都市とは異質な立場にあり,防空事業の爪痕を戦後都市がどのように吸収,処理していったのか,その過程を解明するために最適な都市である。内務省国土局では,1945年8月以降疎開跡地を都市計画の空地と読み替え,工場周辺の小空地や消防道路,空地帯の跡地を中心に都市計画決定を進めた。都市計画決定に向けた一連の動きのなかで,京都市へは罹災都市借地借家臨時処理法を適用し,特別都市計画法を非適用とした。防空法廃止後も疎開跡地を京都市が賃借し続けることを法的に規定した一方で,戦災復興事業の対象外に位置づけた。戦直後の市街地には,疎開者と非疎開者の差,疎開跡地を利用した都市計画施設など建物疎開の痕跡が際立つ空間が存在した。聞き取り調査では,疎開者が非疎開者に対して抱く感情として不平等意識があることを確認した。その背景には,疎開者の多くが元の居住地から極めて近場に移動した結果,取り壊された自宅跡地を見る機会が多く非疎開者との生活環境の差を強く感じたためと考察した。戦後になって周知の事実となった,京都市が「非戦災都市」であるという現実も,疎開者に心理的葛藤を抱かせた。建物疎開に対する国の規定概念を罹災都市借地借家臨時処理法と戦時補償特別措置法の審議過程から検討した結果,建物疎開を受けた者と民間空襲被災者の借地権を区別し,疎開地と戦災地は同等ではないと規定したことが明らかになった。

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編集者: SRIA
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