著者
瀧川 美生
出版者
成城大学
雑誌
成城美学美術史 (ISSN:13405861)
巻号頁・発行日
no.17/18, pp.103-119, 2012-03

オスマン帝国期に建設された大モスク群は、19世紀から20世紀にかけての西欧の研究者らによって、ハギア・ソフィアの模倣とみなされてきた。実際に、オスマン帝国を代表する16世紀の建築家シナンの手がけたイスタンブルのスレイマニェ・ジャーミィにおいても、ハギア・ソフィアの平面形式は意図的に採用されている。しかしながら、形式的な類似が認められるからこそ、両者を比較することにより、シナンのモスクにおける独自の空間性は明確になる。本論では、シナンの手がけた二つのモスクを取り扱い、彼がハギア・ソフィアの空間をいかにオスマン帝国化したかを明らかにしたい。 スレイマニェ・ジャーミィにおいては、ハギア・ソフィアの平面形式による広大なドーム空間を踏襲した上で、ビザンティン建築やイスラーム建築の建築語彙や装飾などから採用した建築的諸要素を結びつけることにより、キリスト教聖堂が持つアプシスへの方向性を解消し、集中と拡散と呼び得る視覚作用を堂内に出現させ、オスマン帝国モスクにおける理想空間の実現に寄与したと考えられる。 構造と装飾、双方の働きによって生じたこれらの視覚効果は、スレイマニェ・ジャーミィの約20年後に建設されたエディルネのセリミエ・ジャーミィにおいて、より洗練を増し、強調されている。八本に増やされたピアの配置や多数の開口部、ムカルナスなどの装飾により、訪問者が堂内で体験するであろう集中と拡散という相反する視覚への作用は、構造と装飾による美的空間の達成という同一目的への寄与のために、ハギア・ソフィアとはまったく異なるオスマン帝国モスクの独自表現における重要な一要素となったのである。 ハギア・ソフィア、あるいはビザンティン建築の諸要素がオスマン帝国建築に多大な影響を与えたことは事実である。しかし、それは単なる模倣にはとどまらない。シナンのモスクの独自性とは、異文化の影響を排除することで現れるものではなく、そこから取り入れた様々な要素をオスマン帝国化(トルコ化)し、再解釈することによって生み出された独自表現であり、それはまた、オスマン帝国の性質そのものを表しているのである。

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