著者
原田 信之
雑誌
新見公立大学紀要 = The bulletin of Niimi College
巻号頁・発行日
vol.38-1, pp.1-12, 2017

玄賓(七三四~八一八)は南都法相宗興福寺の高僧であったが、備中国(岡山県)や伯耆国(鳥取県)など、隠遁した地で寺院を建立していたことが知られている。伯耆国に関するものでは、『日本三代実録』に伯耆国会見郡で阿弥陀寺を建立したことが記されているが、その場所がどこであったのかは未だにわかっていない。玄賓が伯耆国会見郡に建立した阿弥陀寺の場所については、これまでに伯耆大山建立説と伯耆賀祥建立説が提示されてきた。寛保二年(一七四二)成立の『伯耆民諺記』、安政五年(一八五八)編纂の『伯耆志』会見郡分などの地誌類に加え、地域に伝わっている文献や伝承を調査した結果、玄賓が伯耆国会見郡に建立した阿弥陀寺の場所は、伯耆賀祥(鳥取県南部町賀祥)であった可能性が極めて高いことがわかった。伯耆大山には玄賓の伝承は伝わっていないが、伯耆賀祥には玄賓が豊寧寺(伯耆三十三札所第三番。法寧寺、保寧寺、宝念寺とも。阿弥陀寺があった地とされる)と白山権現を草創したとの伝承があり、その地には「あみだいじ」という地名が残っている。

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