著者
藤井 仁奈
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.1-22, 2012-09-01

井上ひさしは、「シェイクスピア大全集」を謳い文句にした劇作『天保十二年のシェイクスピア』へ、シェイクスピア作品の筋を巧みに持ち込んでいる。私は、『井上ひさし・追悼プロジェクト『天保十二年のシェイクスピア』研究』に参加し、その際、論文「『天保十二年のシェイクスピア』論―佐渡の三世次について―」のなかで、佐渡の三世次が作品全体の不条理さに関わり、三世次さえも不条理に破滅するという点を明らかにし、井上がこの作品で、「人が何の理由もなく次々に死んでいかなくてはならぬこのご時勢」において、「ばたばたと無造作に命を落とす」という「不条理」を強調して描こうとしたこと、そしてその不条理が不完全な「策略家」である三世次に集約されていることを指摘した。だが、『ハムレット』については、きじるしの王次の「きじるし」が三世次によって引き起こされ、『ハムレット』の筋を主軸にする登場人物たちの死が三世次に起因することを指摘するにとどめた。三世次が井上自身を投影した登場人物であり、不完全な策略家であることの指摘を目的としていたためだ。しかし、三世次が『ハムレット』の筋にからむことによって、『ハムレット』におけるオフィーリアの役割を担うお冬が、王次の言動によって狂気に陥り、死を遂げるという結末は、いっそう不条理なものになるという点も論証したかった。あくまでも「オフェーリアはお冬に[…]転生している」ようにしか見えないお冬も、井上によって巧妙に作り変えられている。お冬の死に至る過程には、一見三世次が無関係のように思われる。しかし、三世次こそがお冬に不条理をもたらすのであり、その不条理は『ハムレット』におけるオフィーリアの悲劇とは異質のものなのだ。お冬の不条理さを先の論文で書き切れなかったことは非常に心残りであり、私個人の「井上ひさし追悼研究」はお冬を論証することで完結させたいと思う。したがって、本論では『ハムレット』におけるオフィーリアと『天保十二年のシェイクスピア』におけるお冬を比較考察し、お冬の狂気の原因が、三世次のことばによるものであることを明らかにすると同時に、お冬について、井上がオフィーリアをパロディ化する巧みさを指摘したい。

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#天保十二年のシェイクスピア をより深く味わう為に 井上ひさし「天保十二年のシェイクスピア」における〈性〉の考察 / 後藤隆基 https://t.co/L39T7bsonB お冬 : 井上ひさしのオフィーリア / 藤井仁奈 https://t.co/JzE5P84Zjb 佐渡の三世次について / (同) https://t.co/pq1SbwjzOJ
王次出てくるとこまでしか読んでないけど一番王次のこと書いてあった https://t.co/Om4saqUnfJ

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